その手紙には多分愛が詰まっていた
――スクアーロの字はお世辞にもきれいな字とは言えなかった。彼の利き手はもともと左手である。それはとうの昔に手首から先がなくなり、無機物の新しい手がついた。しかし、その手も本物ではないのだから字がきれいに書けなくても仕方がないし、彼は仕事柄右手で武器を扱うことも多かったけれども、それでも字を書くのと武器を持つのとでは訳が違う。右手の字は一向にうまくならないままだった。字をきれいに見せるだけなら、パソコンで書面を作ればいい。事実、スクアーロはXANXUSに提出する書類や報告書など公式の文章はすべてパソコンで作成していた。キーボードを叩くくらいなら左手もある程度は使えたし、字を書くよりもストレスは少なかった。だが、それでも、スクアーロは月に一度、ペンを持って机に向かっていることがある。
「あれ、何してんの」
ベルフェゴールがたまたま用事があってスクアーロの部屋にノックもなしに入ったのはそのときだった。ベルフェゴールの雑多としたものだらけの部屋とは違う、ストイックで剣というものだけを突き詰めてきた男のシンプルで何もない部屋のシンプルなデスクに向かっているスクアーロの前にあるのはノートパソコンではない。便箋と万年筆とインク瓶。つい、ベルフェゴールは「似合わね*」と口に出してしまうくらいの光景だ。
「見てわかんだろぉ」
「……手紙? スクアーロが?」
本当に似合わない。
「誰に?」
このくらいの興味は許されるだろう、とベルフェゴールが聞いてみるがスクアーロは答えなかった。誰でもいいだろ、という当たり障りのない返事。なんとなくその姿に女の影を感じる。
「女?」
「性別はな」
あれ、と意外そうな表情を向けた。あっさりと答えたのも面白くなかったが、もっと面白くなかったのはその反応である。恋愛感情でもあるのかと想像していたベルフェゴールにとってはからかうネタを一つ失ったようなものだった。どんなやつ?と重ねて質問をぶつけてみるが、スクアーロは答えなかった。ただ不器用な右手で必死で綺麗にしようと頑張った跡は見受けられるがやっぱり汚い字で手紙を書いていた。文面は決まっているのか、結構スラスラと書いていくではないか。どんなことを書いていたのか、ベルフェゴールはすでに興味を失っていた。
それから一週間も経たないうちにスクアーロに返事が帰ってきた。たまたまヴァリアー本部の談話室でその手紙がスクアーロの手に渡ったのだ。全員が手書きの手紙に興味津々だったし、ベルフェゴールはすでにスクアーロが手紙を書いているのを見ている。その返事が返ってきたのだと察した。スクアーロは何も言わずに蝋封を確認して、わずかばかり穏やかな瞳を見せた。そして何時になく丁寧に手紙を扱うと、蝋封を開け、便箋を取り出した。何の変哲もないし真っ白な便箋には罫線すら引かれていない、ぱっと見ただけではコピー用紙か何かではないかと勘違いしそうだ。スクアーロはその手紙をぱっと流し見して、すぐに封筒の中に戻してしまった。
「あら、何だったの?」
「さぁなぁ」
スクアーロは愉快げにそういった。見るか、とベルフェゴールの視線に気づいて封筒に一度しまった手紙を差し出した。見てもいいの、と聞けば、別に何も書いちゃいねえ、と言われた。まさか、と思って手紙を受け取って、便箋を開いてみた。真っ白な羊皮紙には――スクアーロのいったとおり何も書かれてはいなかった。びっくりとしているのがわかったのか、だからいっただろぉ、とスクアーロはベルフェゴールの手から便箋を取り戻して、もう一度便箋を眺めた。
「なぁ、その送り主誰なんだよ」
その質問にはスクアーロは答えなかった。ただ、手を振って、俺は部屋に戻る、といった後はしばらく談話室には戻ってこなかった。
* * *
アスナの手元に届いたのは汚い字の手紙だった。彼は相変わらず律儀に手書きでこの手紙のたった一文を書いて送ってくる。
「鳥かごの鳥へ」
たった。たったそれだけの手紙。近況やら、挨拶やら、そういったもののすべて省かれたその手紙は月に一度必ず送られてくる。きっと、彼なりの生存報告なのかもしれないし、元気にしているという証明なのかもしれない。アスナはくすくすと笑いながら彼の手紙の、愛おしいその汚い字を眺めるのが大好きだった。この数年で何通になったのか。すべて大事に保管しているが、左腕をなくしてからの字が一向に成長していないのはどういうことだろう、とたまに見比べては楽しんでいるのだ。
彼からの唯一の便り。時折、ここに帰ってくる――いや訪れることはあっても長い時間顔を合わせるわけではない。アスナにとってはこの手紙そのものがたまらなく愛おしいのだ。仕事の合間を縫って時間を割いて、決まった文言とは言えど、苦手なペンを取るスクアーロの姿を想像するのが好きだった。きっと、自分からの返事を見て愉快そうにする彼の姿も容易に想像がつく。だから――返事はいつもひとつだった。
* * *
「今、思えばさ。あの手紙はおまえだったんだな」
ベルフェゴールの前に座っているのは小さな少女だ。――アレスという名前のスクアーロの娘。ついこの間、DNA鑑定で血縁関係が認められた、と正式にアレスはスクアーロの娘として引き取られた。だが、この少女は普通のこどもではないことはベルフェゴールも、ヴァリアー全員が知っている。でなければ、こんなところに八歳にも満たないような少女がいられるわけがない。(ゆりかご当時ベルフェゴールが八歳だったが、それはあえてカウントしないでおこう。彼はすでに普通の人間ではないのだ)
アレスは本日のおやつであるチョコバナナクレープを美味しそうに頬張っていた。たっぷりの生クリームをほっぺたにつけて、無邪気な子供のようになんのこと?と首を傾げてみせたが、実にあざとい。そう演じているのがベルフェゴールにはわかった。
「スクアーロに毎月一度届いてた白紙の手紙」
そう言うと、アレス――アスナはニコリと笑った。
「さぁ」
「スクアーロと同じこというなぁ、お前も。なぁ、あれさ、なんて書いてあったの」
「白紙だったでしょ?」
「まあ、白紙だった」
一度見せてもらったし。
だが、あの手紙は全部まとめて大事に保管されていることをベルフェゴールは知っていたし、彼が書いていた一文だけの手紙もまた、彼女のもとで大事に保管され、彼女の死後スクアーロの手に戻ってきた。これだけが残されていたのです、と聞いたスクアーロの表情は一体どんなものだったのか、間近で見ていたはずのベルフェゴールにも理解できなかった。それくらいには無表情だった。
「あの手紙にはね」
アレスは笑った。
「愛が詰まってたの」
「はぁ?」
素っ頓狂な声が上がる。アレスは愉快そうに声を上げて笑った。
「言葉にならない気持ちが沢山詰まってたの」