最期まで燃える葉
初めて会った日のことを、きっと俺たちは忘れられないだろう。
「行って、界離」
紅葉の声が鋭く獅子劫を諌めた。後ろには竜牙兵。前にも竜牙兵。紅葉の視線の先にいる竜牙兵は槍、剣……あらゆる武器を持った竜の牙で作られた兵士達が追いかけてきている。行って、という一言の意味がわからない獅子劫ではない。早く来い、といいかけた口は止まった。その背中はあの日から何が変わったのだろう。獅子劫は伸ばしかけた腕を引き止め、くるりと紅葉に背中を向けた。
「……帰ったら、結婚十五周年だな」
「あれ、珍しい、ちゃんと覚えてたの?」
軽口を言う紅葉の声が僅かに震えているように聞こえたのは都合の良い解釈だ。紅葉はおそらく死を前にして震える女ではないと、獅子劫はしっていた。ずっとそれを見てきた。抑止の魔眼を持ち、優等な姉に比べられ、それでもなお、獅子劫界離という存在を尊重してくれたたった一人の妻。ぐっ、と唇を噛み締めたのは、きっと獅子劫の中に紅葉に対して後悔が残っているからだ。幸せにしてやれなかった、愛してやれなかった――こんなところで一人で死なせてしまう。その後悔も懺悔も全てしっているように、紅葉はふわりと笑って獅子劫に振り返った。その背中はいつだって大きくて、いつだって優しくて、いつだって――紅葉の一番好きな人。
「界離、あのね」
魔眼殺しのメガネを外して床に落とした。目をゆっくりと細めた。魔眼を使うまでもない、その後悔もその懺悔と一緒に生きると決めたのだ。あの日、あの時――帰れ――と一言言われたそのときから。右京紅葉は獅子劫紅葉になって、界離の孤独に寄り添うと決めた。
「プレゼント、なにもいらないから」
もしも、懺悔があるとするならこちらの方だ。寄り添うと決めたのに――一人で死ににいく。
「界離と一緒にいられたら、幸せだなぁ」
涙で歪んだ視界の獅子劫の背中を見つめて、笑った。貴方が後悔することなど無い。貴方は前に進んでゆけばいい。忘れてはならないことを抱えて。紅葉は獅子劫に手をのばすことはなかった。いつものように後ろから抱きつくことも今回はしてはならない。少しでも彼を引き止める要素はなくさなければ。
「――ああ、俺もだよ」
その、一言で十分だった。
行くぞ、と走り出した獅子劫を赤のセイバーは追った。いいのか、という言葉はかけてはならないとわかっていた。この二人はすでに覚悟していたし、何度も何度もシミュレーションしてきたことだったのだろう。予定調和であるかのように二人はあっさりと別れた。――互いの表情はこの際、見なかったことにしよう。きっとそのサングラスの奥では後悔と懺悔の入り混じった瞳をしていて、きっとあの小さな嫁は誰よりもそれを理解していたのだ。真の敵はこの先にいる。彼は彼の目的のために、自分は自分の目的のために――そして、彼女は彼女の目的のために殉じるのだ。なんて誇り高い――強い女性だったのだろう。
* * *
髪を結んでいたゴムが切れてしまった。強化の魔術をかけた刀がきしみを上げる音がする中、紅葉は自分の髪が重力と動きに逆らわず流れていくのを感じて――どうしよう、なんて思ってしまった。長く伸ばしすぎたかな、界離にそろそろ切れよって怒られてたんだった。昔は長い髪の女が好きとか言ってたくせに、ぜったい忘れてるよね、界離のことだし。竜牙兵を一体、なぎ倒した。ただの魔術師の割にはよくやってる方だよなぁ、と思う。本来ならサーヴァントにまかせて魔術師は大人しくしているところだよね、ここは、と思いながら紅葉は刀を翻して、脚に強化の魔術をかけて、地面と脚が反発するように魔術を組んだ。
抑止の魔眼をフルで使えば彼らの攻撃はいちおう見える。だけど疲れてきた。甘いものが食べたい。そういえば、界離としばらく出かけてない。仕事のことばっかりで、界離とデートすること忘れてた。これが終わったら、頑張ったな――って何処かに連れて行ってもらおうかな。そういえば、近所に美味しいケーキ屋ができたって聞いたな、そこに言ってみたいな。がきん、と竜牙兵の体に止められる刀を無理やり引き剥がして強引にそれを断ち切った。脇腹の一瞬の冷たい感覚。その後、すぐに痛みと熱が襲ってきて紅葉は瞬時に痛みを遮断するように魔術をかけた。治癒魔術に関しては界離以上なのだ。これは自慢できる。まだ、まだ動ける。
(界離……)
一瞬、界離の顔が浮かんだ。リビングで新聞を広げながらコーヒーを飲んでいて。クッキーを作ってお話しながら二人で食べて――その時、界離の元にやってきた小さな少女を思い出した。そういえば三人でゲームをしたことがあった。なんだっけFPS形式のホラーゲームっぽいやつだ。二人には不評だったけど、俺は結構好きだったなぁ。今やっても、界離に勝てる気がする。また、みんなでしたいなぁ、たまには姉さんを誘って。
脚を貫かれた感覚。腹に刺さる鉄の塊。肩をかすめていった槍。一つ、一つ、痛みの感覚を遮断して、それでももう体は動かなかった。地に伏せる真似などしてたまるか。立ち止まってたまるか。命が潰えるその瞬間まで強く、強く。
(紅葉、って名前は昔嫌いだった)
枯れて、落ちるだけの葉。死にゆく葉。
「キレイだろ」
紅い葉が燃えるようで。
最期の瞬間まで自らを美しく彩るそれがいい、と褒めてくれた界離の声がひどく懐かしくて、ひどく嬉しくて。ならば、自分の生きざまは決まっている。その最期の瞬間まで――
(界離)
ねえ、知ってた、界離。
俺ね、界離の事――