叫んだ声はかき消された
気まぐれに動く猫のように赤い髪が真っ黒なシーツの中から這い出てきた。ゆったりとしていて緩慢なな動作はまだ彼女が寝ぼけていたことをありありと示していたし、ぼんやりと虚空を見つめる姿はひどく扇情的であったし、黒と赤のコントラストから浮かび出る白い肌は病的なまでに白く見える。
しばし、ベッドの上でぼんやりとしていた彼女――モノキュレーターは大きく、ひとつ欠伸をこぼす。適当に掴んだシャツを一枚羽織ってようやく覚醒してきた頭でベッドから出る。別に誰に怒られるわけではないが朝は起きてニュースを見るのが日課だった。
キッチンのコーヒーメーカーに挽いた豆とフィルタ、水をセットしてボタンを押した。手でいれても美味しいのだが今日はコーヒーメーカーでいいや、と惰性を働かせた。お気に入りの六十インチの大型テレビに電源を入れればそこに映し出されたのは――惨劇だ。
現在は平和な日本の午前。
人類の約七割ほどが何らかの得意能力を有する超人社会ではあるが、それでもこれだけの惨劇はお目にかかれないだろうという状況だった。アニメか、はたまたSF映画か、とツッコミたくなるようなビルの倒壊、地面の崩壊に未だ消えない炎と煙――終末世界のような光景にモノキュレーターはにぃ、と唇の端を持ち上げて笑う。
「昨日、都内の高層ビルが立ち並ぶ通りにて、敵が暴れるという事件が発生しました。――事件の全貌はいまだわかっておりませんが、どうやら年若い女性一人がヒーローたちと戦っていたという情報も入ってきており……」
コーヒーが出来上がったことを伝えるメロディー。ニュースキャスターが原稿を読み上げているのから背を向けるとアスナは冷蔵庫から卵やベーコン、キャベツなどを取り出すと料理に取り掛かった。世間が騒ぐのは良いことだ。あれだけの事故が起きればしばらくはニュースも騒ぐだろう。
「この事件では殉職したヒーローが二名、怪我をしたヒーローが十名にも及ぶ大事件となり、更に一般市民からも四名が死亡、重軽傷者が五十人規模にもなり、警察はこの事件の犯人を調査しているとのことです。また、手口が数年前から発生している大規模犯罪者――モノキュレーターと一致していることから警察はこれらの線も含めて調査していく方針を明らかにしており――」
モノキュレーターは嗤う。
カウンターに背を向けて肘をつくと、テレビを見て肩をすくめた。見つけられるものか、という自信に満ちた瞳で不敵にあざ笑った。
都内の高級マンション。ここがモノキュレーターの住処であり、活動拠点だ。これまでの敵のように静かに、暗闇の中で潜むような真似はモノキュレーターは好まない。やるなら、徹底的に、楽しむなら最後まで。この環境ですら自分を楽しませるスパイスでしか無い。
「さぁ、ヒーローさん――楽しい遊戯をしましょ?」
* * *
プレゼント・マイクこと山田ひざしはオフだった。
メディア向きの仕事も、一応ヒーロー活動も今日はオフ。完全な一一般市民として街の雑踏の中に居た。普段の鳥のトサカのような髪型をやめて、奇抜なサングラスはメガネへ、服装も黒のレザーではなくカジュアルなシャツとパンツへ変えればバレないのだ。オフ活動が一般にバレたことは一度もないのが自慢だ。
携帯をかちかちといじりながら歩くのは些かマナーがいいとは言えなかったが、昨日の事件のネットニュースを見ながら、ち、と歯噛みする。モノキュレーターと思われる敵による犯行。あれだけ大規模に行われ、ヒーローたちは彼女の存在を捉えていたのにもかかわらず、捕まえるどころかヒーローから殉職二名、一般市民から四名の死者を出してしまった。その場に居たヒーローの一人として悔しいにも程がある。
プレゼント・マイクが悔しがるのには他にも事情があるが、それは彼個人――山田ひざしの事情であり、ヒーローとしては、プレゼント・マイクとしては事件解決ができなかったことへの悔しさのほうが大きい。
(あれだけ派手に犯行を繰り返すくせに、尻尾を掴ませねぇ……潜伏先すら見つからねぇってどういうことなんだよ)
警察との協議ではもしかすると彼女にはバックボーンが居るのではないかという話もあった。だが、プレゼント・マイクはそれを素早く否定した。あの女が誰かの指示をおとなしく聞くような女には見えなかった。それについてはイレイザーヘッドからも同意が出る。
もしも、彼女にバックボーンがついてるとするならおかしい点がいくらでもあるのだ。
一つ目は彼女が雄英高校の普通科に入学した点だ。
これは極秘扱いされているが、彼女は戸籍と個性登録をいじって架空の人物を作り出しその人物として雄英の普通科に通っていた。少なからず、イレイザーヘッドとプレゼント・マイクは彼女を見ているのだ。学校内で何度も。その当時の名前を調べてみれば、卒業生名簿に顔写真が載っていた。――間違いなく、モノキュレーターだったのだ。
敢えて、顔と名前が残るようなことをするはずがない。してはすぐに足がつくからだが、彼女は平然と嘲笑うようにそれをして、プレゼント・マイクの前に現れた。食堂ですれ違った、あのときのままの彼女の姿で。
(あーーー、わかんねぇ、何がしたいんだ、あいつ)
何がしたいかなんてわかってる。
壊したい。
殺したい。
人が苦しんで絶望する姿が見たい。
壊れゆく街の中。
楽しそうに嗤いながら、泣いているように見えたのはただの――。
「きゃっ、」
「っと、悪ぃ――!」
前方不注意だった。なんとか声の――おそらく女性――手を掴んで目を見開いた。
毛先に向かって色の変わる痛烈なまでに目に焼き付く赤い髪。
サングラスを掛けていて見えづらいが、光を浴びるインペリアルトパーズの瞳。
「モノキュレーター……!?」
「あれ? ああ、君は確か――プレゼント・マイク」
目が細められた。
しまった、今、自分は彼女の射程の範囲内に入っていると理解してしまった。彼女の個性は未だ解明されていないところが多いが、彼女は人間であろうと、物質であろうと関係なくその構成に大きな影響を与えることができることだけがわかっている。警察の調査でモノキュレーターが触った場所はひどく脆くなっていた、とわかったからだ。
プレゼント・マイクが警戒したことを察したのだろう、モノキュレーターは嗤うと、しぃ、と唇に指を当てた。
「貴方の個性はここでは使えないでしょう? 巻き込んでしまうものね、無害な彼らを」
ちらり、と自分たちをかき分けて進む群衆へ瞳が向けられる。ぐ、と言葉を飲むとわかりやすいね、貴方、とからからと嗤うモノキュレーターがいた。――それは十代の、子供のような雰囲気すら感じて、一瞬たじろいだ。
「ねぇ、貴方暇でしょう?」
「……どういう意味だよ」
つい、声が緊張した。
「私と遊びましょ?」
掴んでいた手をあっという間に掴み返されて、ぐいと引っ張られた。行ってみたいところがあるんだけど、一人だとちょっと楽しくなさそうだったのよ、と話す彼女に呆気を取られながらも、ふざけるな、と言いかけて、彼女があっさりと足を止めた。
「別にこの手を話しても結構よ。――私は自分の"楽しみ"をするだけだから」
ゾッとした。
彼女の楽しみは明確だ。
――壊すこと。
――殺すこと。
――人を苦しめること。
プレゼント・マイクはOK、と緩慢に伸ばしながら言う。これは自分に選択肢はない。彼女の提示は提案ではなく、人質を含んだ強制だった。にこりと嗤う彼女ほど悪魔なものはなかった。
「んで、What do you want to do?」
「そうね、遊園地に行きたいの」
「……は?」
彼女の言葉に絶句した。
気づけば本当にモノキュレーターとプレゼント・マイクは平日とは言え人の出入りの多い大型遊園地へと足を運んでいた。ここらでは大きな遊園地であり、まあ、所謂夢の国と呼ばれている世界各地に存在する遊園地だ。彼女はその入り口に来て目を輝かせている。
「すごいねー、一度来てみたかったのよ!」
「……へぇ」
つい、声のトーンが下がる。早く、と急かす彼女に変わってチケットやらなんやら用立てる。チケット代は購入してくるとあっさりと二人分彼女から渡された。別に私が付き合わせたことだし、と言われどうしていいか悩んでいるうちに既にモノキュレーターは列に並んでいた。なんだか、奇妙な光景だ。
(……普通に、してやがる)
どこにでもいそうな、そんな成人女性。
倒壊した建物に腰掛けてくすくすとヒーローたちを笑っていた彼女の姿はここには無くて、プレゼント・マイクはどうしていいかわからなくなりそうだった。本当はわかっている、このまま彼女を捕まえなくてはならないことは。そのために仲間や警察に連絡を入れる必要があるだろう。だが、その隙はあるだろうか、と思って頭を掻いた。
遊園地で遊ぶ彼女はありえないほど普通で、在りえないほど――何も知らない少女だった。
「ジェットコースター?」
「は?」
「知らないの。こういう自由が与えられたのはつい最近だから」
だから、教えてちょうだい。
この夢の国は普通の遊園地とあるものは少し違うがまあ、もとを正せばにたようなものだろう、とプレゼント・マイクはこれから乗る乗り物には一つ一つ説明を入れた。できるだけ普通を装うように、いつもの自分を装った。声に緊張が走らないように、つい、声が大きくなりすぎて、プレゼント・マイクだとバレそうになった時はひやっとした。メディア露出が多い自分は恋愛についてもそれなりに注意しないとすぐにパパラッチだ。
ジェットコースターで普通にはしゃいだり、お化け屋敷で怖がったり、森をめぐるようなアトラクションで目を輝かせたり、光り輝くパレードに手を伸ばしたりする目の前の彼女がモノキュレーターだとは信じたくなかった。
「なぁ、ひとつ聞いていいか?」
「答えないかもしれないけど、どうぞ」
夜も近づいてくると、遊園地は少しだけ色を変える。輝く電灯の明かりに照らされながら彼女は淡く微笑む。その手に握られているのははちみつレモンのシャーベットだ。はちみつのツボのような入れ物に入っているそれを食べながら彼女は暗くなりつつある空を見上げている。
「何で、敵なんだ、――アスナ」
モノキュレーターが学生だった頃、彼女が使っていた名前を呼んだ。この名前は決して彼女から直接聞いた名前ではない。通りがけ、彼女のクラスメイトが彼女を呼んでいたときに聞いてしまった名前。ずっと、大切にしてきた。科が違ったから、まるで会う機会はなかった。食堂に行けば姿を見かける程度。なのに、こんなに覚えてた。
「ヒーローがそれを聞いたら失格だと思うけど。そうだなぁ、それしか知らないの」
食べる? と差し出されたシャーベットの乗ったスプーン。高校時代だったら嬉しかったかもしれない、なんて思いながら差し出されたそれを口に含んだ。甘酸っぱい、味がする。
「Why?」
「質問が多いなぁ。私が覚えてるのは試験管の外で、成功だ、とか、この子が、とか言ってる声だけ。勉強はたくさん教わったわ、個性を使いこなすために。あらゆる戦闘訓練も積んだわ、死なないために」
壊すこと。
殺すことを前提とした生き方。
「別に同情はいらないわ。私はそれを楽しんでる。自分を作り上げた男たちが、私に殺された時の顔は最高によかった。これ以上無い、っていう絶望を浮かべて死んでくれたわ。――お父様以外は」
「……? Father?」
「ええ。血は繋がってないけど、私を作る計画を立てた人。――勝てない、と思った。私がどれだけ強くなってもきっとあの人には勝てないし、逆らえない」
だから、敬愛を込めてお父様。
モノキュレーターは静かに目を伏せた。
「でも、私はわたしだけのものだから。自由に生きるわ。壊すことも、殺すことも、人の心を折ることも全ては――私の快楽。私だけの気持ち」
そう笑った彼女は綺麗だった。――同時にひどく消えそうだったが。
「私の快楽で苦しむ人間がいることを私は理解してる。でも、私は、私が生きている意味を、それ以外に知らない」
それに楽しいし。
彼女の手のアイスは既に解けてしまっている。
「私は誰の救済もいらない」
ゲームに負ければ私に待っているのは死。
それをギリギリまで楽しむ。
いつか、自分に恨みを持った男に後ろから刺されてしまうかもしれないし、ヒーローたちに捕まってタルタロスという永遠の地獄に入れられるかもしれない。
もしかしたら、このゲームを勝ちきって、逃げ切れるかもしれない。
どちらに転んだって構わなかった。
どうせ、いつか死ぬのだ。
(なら、私はギリギリまで楽しむだけ)
この心が完全に壊れてしまうまで。
この体が完全に動かなくなるまで。
――誰かが終わらせてくれるかもしれない、なんて不毛な夢はもう見ない。
――誰かが救ってくれるかもしれない、なんて希望はもう抱いていない。
「私はこの世界の敵であるのが生きる意味」
必要悪。
絶対的に求められる悪。
この世界にはそれらが必要とされる時がある。
「貴方はヒーローなんだから、敵がいなくちゃ困るでしょ?」
山田くん。
そういうと目の前の男は目を見開いた。そして、ぐ、と唇を噛み締めた。モノキュレーターはすた、と立ち上がると歩き出した。これで解放してあげるべきだと知っていた。
どん、と花火が高く上がって、花開く。
「ヒーローは!!」
花火の音に混じってプレゼント・マイクの声が聞こえた。
「ヒーローは誰かを助けるために居るんだぜ!!」
言ってる意味がわからなかった。
というよりも、彼の個性はヴォイス。その声の大きさたるや、指向性スピーカーが無くても相当大きさだった。その場を歩いていた人たちがみんな彼を見ている。
「俺は!!!お前を助けたい!!」
山田ひざしは高校時代に恋をした。
クラスの違う、学科の違う接点の少ない女子だった。
近寄りがたい独特な空気があるのに、どこか人を惹きつけてやまないそんな人。――いつも、泣いているように見えて、でも、声をかけることはできなかった。
「変わったヤツ」
その人は今、自分を見てたまらなく泣きそうな顔で――笑っていた。
強く、風が吹く。
「もしも、そう。もしも――」
紅い長い髪が花火の光に照らされてまるで炎のように揺らめく。
「俺を救ってくれるなら、貴方がいいなぁ」
叶わない夢は見たくない。
だって、それは楽しいことではないから。
強い風が吹き抜けてモノキュレーターは消えた。
まるで、はじめからそこに居なかったかのように。――夢のような、そんな、時間。プレゼント・マイクに注目してたはずの人たちはいつの間にか帰路へつくための群衆となっていた。
あっという間だった。
いつものようにモノキュレーターはあっという間に消えた。
それは。
プレゼント・マイクとモノキュレーターの誰も知らない二人だけの秘密。