2ボタン


 稲城実業高校の男子制服は学ランだ。
 それにともなって、第二ボタンが存在するわけで。サッカー部とか、バスケ部とかのエース級だった人たちは第二ボタン争奪戦みたいな感じで毎年毎年大変そうだ。まあ、大抵そういうエース級の人たちは既に彼女がいたりして、第二ボタンも彼女の手に渡ったりするわけなのだが。
 今日は稲城実業の卒業式だ。


「右京先輩、卒業おめでとうございます」
 証書を受け取った後、野球部の部室へと足を運べば、一年生の多田野が出迎えてくれた。マネージャーとは言えど、この部の一員だったからということで他の三年部員達と一緒にやってきたわけだったが、思わぬ歓迎に右京は目を細めた。
「そうか、雅いないから」
 大体同じポジションを引き継いだ後輩が先輩の出迎えにやってくるのだが、多田野は捕手だ。そして――夏に正捕手だった原田は現在、プロ入り二軍キャンプに参加していて卒業式には不参加。後日、キャンプ終了後に卒業証書を正式に受け取る形になっているらしい。多田野は出迎える先輩をなくして、少し手持ち無沙汰だったのだろう、マネージャーの後継者の居ない右京の元へ花束を持ってきてくれたというわけだ。
「あ、いえ、そういうわけじゃ」
「いいんだよー。雅にも渡したかったよね」
 そう言いながら、自分よりも背の高い後輩の頭を撫でる。可愛らしい印象もある多田野だが捕手らしくしっかりとした体つきに変わってきている。秋大での敗戦後、やっぱり彼も練習に打ち込んで変わってきているのだろう。
「三年間、お疲れ様でした」
「鳴の相手は大変だろうけど、頑張ってね」
 はい、と力強く頷いた彼は本当にいい子だ。右京は花束を抱えなおして、ふと、自分たちが一年生だった頃はどうだっただろうかと、思い返す。原田は、うん、一年生の頃からあの仏頂面だったからきっと先輩たちからすれば可愛げのない後輩だったんだろうか、と思い返す。正捕手で、主将で、四番で――いつの間にか、チームの中心に立っていた幼馴染は、野球で生きていく覚悟をしてプロの世界に踏み込んでいった。
(北海道かぁ)
「遠いね」
 後ろから話しかけてきたのは成宮だった。卒業おめでと、紅さん、といつもどおりの不遜な態度。最初は腹立たしく思ったこともあったし、冷たい態度も取ったこともあったけど、いつしかそれも成宮鳴の魅力の一つなのだと気付いたからまあ、いい思い出だ。
 ――遠いね。
 心を読まれたかのような言葉に肩が震えた。
「ねぇ、雅さんに言ってもらった?」
「――ううん」
 成宮と二人、部室の端で話すことは多分、部員の中では成宮しか知らなかったことだ。
「何で?」
「そんなの、お前が一番知ってるじゃん。甲子園優勝しなかったからだよ」
 
 ――甲子園で優勝したら、伝えたいことがある。

 二年の夏。甲子園の入り口で約束したこと。約束、と指切りしたあの夏は優勝どころか、三回戦負け。
 そして、三年の夏。再度約束したのは西東京予選の決勝戦前の夜。いつも通り、練習終わりに家まで送るという彼の申し出をありがたく受けた、夏の、夜。
 その約束も果たされず、冬を迎えてそしてーー初めて、進路が別れた。
 右京は大学へ進学し、原田はプロに入り北海道(しばらくは二軍なので、千葉の鎌ヶ谷だろうが)だ。

「会えないかもよ?」
「うん。しってる」
 プロの世界は厳しい。きっと、高校の甲子園以上に彼は張り詰めて、集中するだろう。会いには来ないだろう、彼のことだから。
「仕方ないもん」
 いいんだ。
 それが彼の選んだ道なら、文句をいうつもりは微塵もなかった。

「ずっと、待ってようって決めたし」

 きっと、今、向こうで一人頑張ってる。なれない場所、慣れない環境、プロという厳しい環境。なら、帰ってこれる場所ではありたいと思うんだ。原田がどう思ってるかはわからないけど。
「健気かよ」
「あはは、健気じゃないと二年も待ったりなんてしませんって」
 ずっと好きだったんだ。だから、待っていられた。邪魔したくなかった。そばに居て、幼馴染として一番近い女の子でいられるのが嬉しかった。誰にも譲りたくなかったよ、この場所だけは。
(執念深い、我ながら)
 少しだけ泣きそうになった。
「もしかしたら、雅、プロに入って素敵な人見つけてくるかもしれないじゃん」
「そうしたら、俺が雅さんのこと殴りに行ってあげる」
 そういって拳を握りしめた一つ年下のエースは満面の笑みだ。
「ありがと、鳴」



(本当は、雅の第二ボタンほしかったんだよ)
 これから卒業証書授与があるやつだから、ボタンほしいなんて言えないし、そもそも言ってもいまいち意味わかってなさそうだし。三月の終わりの授与式終わったときに後輩の子とかにせがまれたらあげちゃうんじゃないだろうか、とか思う。
 もうすぐ新生活も始まるし、来週には新居で一人暮らしだ。初めて実家を離れて生活するとはいえ、実家の道場に顔をだすために頻繁に帰ってくるんだろうなぁと思いながら、部屋に戻ってきた。卒業おめでとうございます、という道場の門弟たちには礼をおざなりに礼を言った。
(……雅、もう寝てるかなぁ)
 九時を回っている。もしかしたら、練習に備えて寝てるかもしれない。実際に千葉の鎌ヶ谷に居を移すのは四月だとは聞いているが――会えるのはもうないだろう。右京ももう、実家には居ないのだから。携帯を眺めて、どうしようかと思ってると着信音のアメリカン・シンフォニーが鳴り響いた。ちなみに、原田のヒッティングテーマだった曲だ。携帯の画面には「原田雅功」だった。慌てて飛び起きて、通話ボタンを押した。
「も、もしもし?」
『おう、まだ寝てなかったか』
 二週間ぶりの原田の声だった。
『いくらお前でも流石にまだ寝てねぇよな』
「寝てないよ……っていうか、鳴たちに付き合わされて今帰ってきたところ」
『あ? ああ――卒業式、今日だったか』
 やっぱり、忘れてるし、と右京はがっくりと肩を落とした。まあ、それくらい練習に一生懸命だって言うことだろう。彼らしくて逆に安心した。布団の上に座って、壁に背中を預けた。
「ちゃーんとみんな卒業証書もらいましたよ。雅以外は」
『うるせぇ、こっちは大変なんだよ』
「お、雅でも大変って言うんだ。まだ一軍キャンプでもないくせに』
『ちっ……鳴と同じこといいやがる』
「開幕一軍目指すんでしょ。なら、大変なんて言ってられないんじゃない?」
 けたけたと笑って言えば、携帯の向こうで原田が苦虫を噛み潰したような顔をしたのが容易に想像がついた。鳴と同じこと言いやがって、と悪態つく声が聞こえてくる。
「でもさ、」
『あ?』
「無理だけはしないでね」
 プロで怪我したとか、結構ニュースになってるから。怪我をして前線を離れて、戻ってくれなくなった人だった居るんだ、と思えば、少し苦しい。高校の時のようにすぐ傍にはいてあげられない、駆けつけてあげられない、気付いてあげられない。
『何、泣きそうな声で言ってんだよ』
「泣いてない!」
『無理なんてそもそもしねぇよ。まあ、今の俺じゃプロで上がってくのはきついところあるだろうけどな』
 がむしゃらにやっても仕方ねえだろ、という原田の声はいつもと同じだ。気負いもなく、気が抜けているわけでもない。ちょうどよく力の抜けた、そうだ、その声の日はよくホームランを打ってくれたっけ、と思い出す。
『お前こそ、無理すんじゃねえぞ』
「剣道しないよ?」
『そうじゃねえよ。――お前、一人だと、ポンポン抱え込むだろ』
 適度に吐き出せよ、という彼の声は少し照れくさそうだった。
「うん、わかってる」
『本当か、怪しいけどな』
「大丈夫だよ」
 だって、溜め込んでも苦しいときに黙ってそばに居て背中なでてくれる人はもう居ないから。
「もう、子供じゃないんだもん」
『……おう』
 ちょっと沈黙。
 電話の沈黙って少し苦しいな、と互いに思ったところで、右京は切り出した。
「あのさ、雅。第二ボタンさ」
『……制服のか?』
「そう。あの、卒業証書授与終わって、制服、もう着ないってなったら、制服についてる第二ボタン、俺に、頂戴?」
『……何すんだよ』
 ほら、やっぱりしらない。だと思ってたよ。
「ただ、ほしいだけ。あの、多分、後輩の子とかにも言われるかもしれないけど、あげないでね!?」
『お、おう……』
 必死だな、お前、という声。
 必死だよ、そりゃ。
(だって、もう会わないかもしれないじゃん)
 こっちから連絡を入れるつもりはなかった。原田の邪魔になりたくないから、せめて、最後のわがままだけは言わせてほしい。ボタンだけはほしい。
『わかったよ。お前の実家に置いとく』
「うん、ありがとう」
 新しい住所は教えてなかった。きっと教えても意味が無いと思ったから。
 もしかしたら、新年に帰ってきたらスレ違いぐらいはできるかもしれない。なんて、淡い期待はしておこう。
 そのボタンはお守り袋に入れて、持ち歩くことにしよう。
『紅葉、あの、約束』
 言い出しにくそうな声で、約束、と言われて、びくり、と肩が震えた。夏からはタブーであるかのようにその話題にはふたりとも触れてこなかった。

『もう少しだけ、待っててくれるか』

 真剣な声。
「もう少しってどのくらい?」
 泣きそうな声出してるなぁって思った。
『……明確に言えねぇな』
「一軍入りしたらにする?」
『いや。開幕一軍入りして――初ホームランが出たら』
「あれ、意外と目標低いね、雅なら、リーグ優勝したら〜とか日本シリーズで優勝したら〜とか言い出すかと思った」
 泣きそうになりながら笑った。
『お前、待っていられねえだろ』
 ――またせてる自覚くらいはあるんだよ。
「でも、雅、ホームランまで長そうだなぁ……雅、ホームランにこだわらず、得点になればいいってタイプだったしさ」
『くそ……言い返せねぇ』
 それでも、待ってろ、って言ってくれるなら。
「いいよ、待っててあげる」
 いくらでも待ちますよ。伊達に十四年も一緒に過ごしてなんていないんだ。伊達に十年以上も――片思いなんてしてないんだから。
「浮気しないでよ」
『待ってろっていうやつがいるのに、他のやつ見てる暇があると思ってんのかよ』
「雅はしないだろーなー」
 しないだろうけど、念押し。

『紅葉、』
「なぁに」
『卒業おめでとう』
「……雅も、証書はまだだけど、おめでとう」

 少しの別れだ。
 少しだけ、離れるだけ。
 また会える時は、きっと約束を果たす時だ。

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