仕立て屋マッドハッターの忙しい一日


 ボンゴレは多くのファミリーを抱える巨大ファミリーである。イタリアどころか、世界有数の巨大ファミリーであるそのボンゴレの幹部たちの中でも年少の部類に入るのだろう右京紅星はイタリアにかまえている右京家の本山の自身の部屋であまり好きではないパソコンを前にして仕事をしていた。別段火急の仕事ではなかったが久しぶりに腰を据えて右京家の保有する屋敷に帰ってこれたのだからと部屋にこもった。休まれればいいのに、という家人たちの申し出はありがたかったが、娘であり後継者である紅葉がヴァリアー・本部・十代目ファミリーを行き来して精力的に活動し、今から十代目の地位を固めようと奔走しているのだから、なんとなく休むのは憚られた。
 カルテのまとめ直しや、右京家で預かっている土地の状況の整理などすることはたくさんある。まだ、そこまで紅葉に任せるのは早いだろうと思っているのだ。今は十代目のために自分がどう動くべきなのか、XANXUSたちをどう取り扱うのか、本部の自分よりも格の上の幹部たちとどう渡り合っていくか――それらを学んでいくほうが重要だからだ。領地の運用の仕方も、兵隊の動かし方もXANXUSが折をみて教えているようだから、あえてこちらから教える必要は感じていない。紅葉は賢い子だ、必要になれば自分から言いに来るだろう。

 コンコン、とノックの音が聞こえて紅星は顔を上げた。入れ――と静かにいえば、ドアが開かれてよい紅茶の香りが紅星の鼻腔を擽った。
「兄さん、お疲れ様」
 まるで鏡でも見ているような気分にさせられる。紅星の双子の弟――赤月が笑いながら紅茶のセットが乗ったカートを押して紅星の部屋に入ってくる。昔から見慣れてはいるが、どうしても一瞬は鏡が前にあったかな、と考えさせられてしまう。まあ、髪の毛の色が若干、赤月のほうが薄い色味をしているし、自分に比べれば柔和な柔らかな笑みを浮かべていることの多い双子の弟だ、右京家のみならず、双子でありながらボンゴレ本部でも見間違えるものはいないくらいだ。顔立ちはまったく一緒だが、ここまで表情が違うんだな、というのは少し年上の門外顧問――沢田家光の言だ。
「紅茶か……」
「緑茶にしようかとおもったんだけど、お菓子が洋菓子だったからね」
 少し休憩でもどうだい?
 赤月は白衣を丁寧に脱ぐと応接用にと置かれているソファに背もたれにかけた。そして、紅茶を丁寧にカップに注いで紅星の前に差し出した。今日のお菓子はブリオッシュのようだ、焼き立てなのかまだ湯気が出ている。なれない――好きではないパソコンからようやく視線を反らせることに感謝しつつ机に散らばっていた書類をまとめて端に寄せれば、赤月から絶妙なタイミングで紅茶が差し出された。それを受け取って一息ついて、背もたれにぐ、と体を沈めた。少し古い椅子は紅星の体重移動にぎし、と僅かに軋んだ音を出したが、しかししっかりと紅星を受け止めた。この椅子は紅星の仕事の相棒で、昔に気に入って買ってからはずっと愛用していた。どうぞ、と差し出されたのは焼き立てブリオッシュ。よい香りがして少し空腹が刺激された気分になって手を伸ばす。――いつもは間食はめったにしないのだ。
 とはいっても、甘いものが好きな厳格な双子の兄がいつもよりも表情を幾分か緩めてブリオッシュにかぶりつく姿を見て赤月はくす、と笑いながら自分も紅茶とブリオッシュを食べようと白衣をかけたソファに腰掛けた。
「さっき、本部で紅葉ちゃんに会ったよ」
 何気ない雑談としてその名前を出すと紅星は顔を上げた。口の端にブリオッシュに入っていたクリームがついていることを指で示すと、しまったという顔をして慌てて拭っている兄はやっぱり少しだけ柔らかくなったな、と赤月は目を細めて眺めた。以前であれば彼女の名前は禁句に近かった。名前を出すことすらこの家ではできなかった。彼女は裏切り者、ボンゴレに仇をなしすべてを失ったものだった。紅星と赤月の父、紅花は厳格にも紅葉を殺すことに最後まで意欲的であったが、ボンゴレ九代目の温情が紅葉を助けた。最終的には紅葉は自らの手で実力を周りに示し、ボンゴレ十代目にとって必要な存在であることを示した。今や、ボンゴレ内部では無くてはならない存在とされている一方、十代目の地位こそ危ういと一人で奔走しているのだ。――まだボスになるには年若く、世界の闇を知るにはいささか純情すぎる彼に変わって、マフィアの闇の中を走り回っている。
「連日の仕事に疲れてるみたいだったよ。なんでも、今本部ではパーティーが計画されてるとか」
「……こんな時期にか? ハロウィーンには早いだろう」
 紅星はデスクに肘をついて訝しげに赤月を眺めた。十月の中旬。ハロウィーン・パーティーというには少しばかり早くはないだろうか、と紅星は卓上においているカレンダーを見た。確かに秋も深まっているが何か特別なことがあったかと言われると――
「思いつかんな」
「こらこら、XANXUSの誕生日も十代目の誕生日も近いし、リボーンだって誕生日だろう?」
「ああ……」
「それに兄さんと俺の誕生日も、紅葉ちゃんの誕生日も来るからね」
「…………そうだったか」
 本気で忘れていた、という声だった。――こういう人だったなぁ、と思いながら赤月はため息を付いた。まあ、ここ数年はそういうことも気にしている余裕なんてなかっただろうし、というか、こんなに誕生日が集中しているのがわかったのは今年になってからだ。誕生日を祝われるべき紅葉が果てしなく動いているのは十代目のスケジュール調整と、XANXUSがそれ以外の繋ぎの人間を拒否したからだろう。
「パーティーか。――スーツ仕立てにでも行くか」
「ああ、いいね。久しぶりにおそろいにする?」
「もう、そんな年でもないだろう」



* * *



「なんで、俺がイタリアに行かなくちゃならないんだよ**」
「うるせぇ、いいからついてこい」
 日本で最大の空港に無理やり沢田綱吉を引っ張り込んで、ヴァリアーの専用機に十代目ファミリーを全員乗り込んだのを確認してから出発するようにパイロットに指示を出した。そこでようやく一息つけるかと思いたかったが、群れるのは嫌いだという雲雀が離陸を前にして暴れだしそうだったのをなんとか、なんとか鎮めて、席についたのは離陸してから二時間後、飛行機も完全に空の上になってからだった。
「お疲れ様」
 隣に座ってる葉夜の声は完全に同情も入っていただろう、哀愁を感じた。紅葉ははぁ、と溜息をつくと、ヴァリアー専用機に連れてきたキャビンアテンダントが紅葉のもとへやってきた。コーヒーと紅茶、どちらにしますか、と教育されている彼女たちの話し方は中学生だからと言って紅葉を侮ることはせず非常に落ち着いた話し方だった。紅葉はコーヒーを頼む、と言って、そして、はたと気づいたように「ブランケットも」といえば、彼女はSiと静かに答えて奥へと消えていった。
 ヴァリアーの専用機――しかも幹部級が使うものとなると通常の飛行機のファーストクラスよりも環境が良い。一人ひとりに完全に足が伸ばせる席が用意され、半個室になれるようにドアのようなものがついていてそれを閉めれば隔離できるというものだ。通路を挟んで隣側に座っている葉夜には申し訳ないが正直誰かと会話をする気分にはなれなかった紅葉は早くドアを閉めて隔離された空間でひっそりと眠りにつきたい気分だった。
(……そもそも、なんで、俺が)
 恨み言のようにつぶやくのはパーティーを考えた九代目に、だ。そもそも、紅葉も祝われる側だったはずだし、準備には加わらなくて大丈夫だよと笑っていたのに、最終的にはヴァリアーのボスであるXANXUSがボンゴレ側の仲介者を完全に拒否したことがきっかけで紅葉が準備に加わることになったのだ。わがままだと咎める気にもなれず、XANXUSの機嫌を損ねないように、丁寧に丁寧に仕事を進めていくしかなかった。それにこれはいい機会だった。十代目――沢田綱吉が日本に閉じこもってばかりでは幹部たちの不安や不満が募っていくばかり。どうにかして気をそらしたいという戦略的なものもあったし、九代目がどういう考えにしろ、紅葉としてはこれを利用しない手はなかった。――利用したいものなのか。味方なのか。敵なのか――はっきりさせるなら、このタイミングだろう。それに、綱吉にはそれ相応の自覚を促すことにもつながるだろう。
(帰ったら、ヴァリアーに俺は直行して、XANXUS様の当日の服と、ヴァリアーの全体の動きと――ああ、後、本部との連携も、ツナたちの服装に関しては、椿たちに任せても、いや、やっぱりテーラーに行かないと……)
 もう休めるのは飛行機の中だけだ。
 キャビンアテンダントが持ってきたコーヒーはカフェオレだった。ブラックでなかったのは紅葉としてはありがたい限りで、砂糖はという彼女に少し控えめに照れながら指を二本立てて、数を訴える。紅葉の憧れの人XANXUSはブラックでコーヒーを嗜むが、紅葉にはまだそれはできず、少し甘いほうが好みだったのだ。彼いわく、少しどころでもなく甘いとの話だが、紅葉にはこれでなければ飲めないのだ。まだまだ子供だな、と笑われたのが少し照れくさかったが――まだ、お前はそれでいい、と頭を撫でられたのは記憶に新しい。紅葉は静かに暖かなカフェオレを飲みながら毛布を受け取って、仕事のチェックを始めた。
「紅葉、それ、仕事?」
 話しかけてきたのは綱吉だった。少し控えめに話しかけてきたのは久しぶりに帰ってきてすぐに寝込んでしまったからだろう。疲れているのではないか、と心配されたことが癪にさわるが、仕方ない。嘘をついても意味は無いので、そうだ、と淡白に答えながら書類を眺めていく。もう、頭に入っていかない感じがしてきた。
「イタリアについたら、九代目に挨拶しないとな、ツナ」
「リボーン!」
「紅葉は仕事でてんてこ舞いなんだ、お前がしっかりとファミリーまとめろよ」
 ぜひそうしてくれ。
 紅葉は未だに情けない雰囲気を色濃く残す綱吉を眺めながらため息を付いた。継承式のときはなかなかいい感じだったのになぁ、と思いつついざボンゴレの城に行ったら緊張して転んだりしないだろうかと思ったら胃が痛くなりそうだった。そういえば、イタリアの空港では家光が待っているという話だったが大丈夫だろうか。いや、家光がいるということはバジルやラル・ミルチなどが待機しているということだろうし、まあ、慣れない環境に置かれるよりはある程度顔見知りの人間がいることで綱吉も落ち着くだろう、と紅葉は今後の見通しに少しだけ光が見えた気がした。
(テーラーに行くのはいっそ、跳ね馬に任せてもいいかもな)
 あの男のセンスなら、いいものを選んでくれるだろう。仕立て屋はどこがいいだろうか、本部にも波風立てずに使えるところとなると限られてくるが――
(費用はボンゴレ本部持ちって言ってたし、まあ、どこでもいいんだが)
 そこまで気を使ってたら、本当に胃薬常備になりそうだ、と紅葉はすでに骸と雲雀の間で勃発しそうになっている乱闘を嗅ぎつけた葉夜のハイテンションにきりきりとしだして来た胃を押さえて
「死にたいなら、そのまま乱闘していいぞ」
 と冷たく切り捨てて、眠りにつくと決めた。



* * *




「やぁ、よく来たね。綱吉くん、みんな」
 沢田綱吉を迎え入れた柔和な老年の男は到底マフィアのボスには見えない男だった。ボンゴレ本邸の九代目の部屋に招かれた十代目ファミリーは何時になく緊張した雰囲気が漂っていたのだが、彼を見た瞬間に綱吉の緊張が僅かに解けたのを見てなのか、皆九代目の柔和な笑顔のおかげだろう、と紅葉は一人入り口側に立ちながら思った。
 綱吉が九代目と話をしているのは見ていて微笑ましい。まあ、骸や雲雀に関してはこの状況を面白くなさ気に見ているが、あえて突っ込まなければ彼らもここで暴れるようなことはしないだろう。楽観的に聞こえるかもしれないが、いざとなれば右京家の精鋭部隊で時間稼ぎはさせてもらおう。紅葉はちらり、とドアの向こう側にいる無数の気配を探った。
「紅葉ちゃん、今後の綱吉くんたちの予定は」
「同行者は跳ね馬に。テーラーでスーツとドレスを仕立てたり、イタリアの観光もしてもらおうかと」
「ああ、いいね。家光、君も行くかい?」
「行きたいですがね、九代目。俺も仕事が山積みなんですよ……パーティーまでには終わらせねぇと」
 

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