兎の子守唄
それは別段急激な痛みというわけではなかったが、寝ているにはあまりにも不快な感覚がして阿伏兎は目を開けた。真夜中の第七師団所有の船は静まり返っており――さすがの神威も飯をたらふく食ったら眠ってしまったらしい――阿伏兎は異様なほど汗が伝う体に持ち上げながら、ち、と舌打ちした。
左腕があった場所からじわじわと侵食してくるような痛み。幻肢痛だ。普段起きている時は感じないし、戦っているときなどまるで意識しない左腕のあった部分は夜、眠っているときに――恐らくは精神が緩んでいるからだろうが――痛みを発する。痛みに慣れているせいなのか、それは急激なものではなくじわじわと、己の体を蝕むような、そんな違和感に近い痛みだ。
汗が阿伏兎の額を伝い、頬を伝い、ぽたり、と落ちた。
「――は、ぁ……」
左肩に手を添えて、深く息をついた。
すると、小さく動くものを見つけた。
「……姫さん」
いつもは二つに縛られている銀の髪は布団の上に投げ出されて、散らばっている。服は彼女の好みな豪奢なそれではなくシンプルな寝間着用にしているチャイナドレスだった。紅い瞳は閉じられ、静かな寝息を立てて眠っているではないか。――確認するが、ここは阿伏兎の部屋だ。紅千には部屋がちゃんと割り振られているのだが、やはりここで寝ているようだ。
阿伏兎はしばしその顔を見つめて、頭をなでた。
「のんきな寝顔だなぁ……姫さん」
彼女が幼い頃から知っている。いつの間にか女と呼んで差し支えない成長をしている紅千が今もなお自分を慕っていることは単なる家族ごっこだと知っている。指に通る銀の髪はつやつやとしていて、一房持ち上げると、唇で触れた。――甘い、香りがした。
「――……ん、阿伏兎……?」
一瞬で指から髪を離した。バレたら絶対にまずいと思ったが、紅千は気づかなかったらしい眠た眼で阿伏兎を見上げていた。ゆっくりと体を起こすと、ぼんやりとした表情で阿伏兎を見て、ゆっくりとその腕を阿伏兎の体へ回した。背中をゆっくりと叩く紅千は阿伏兎の肩に額を預けて抱きすくめた。
「……姫さん、何してんの」
「んー……」
「寝ぼけてんのかぁ?」
「……そう、今日の、私は寝ぼけてるの」
ゆっくりと紅千に引き寄せられて阿伏兎は再び布団の上に横になった。ぼすん、と僅かに二人分の体重で沈み込み、跳ね返るように戻った。それでも、紅千は阿伏兎を離さず、そっと足をかけて、阿伏兎の足に絡めた。熱を感じる。
「寝ぼけてねえだろ、アンタ」
「寝ぼけてる」
「……そうかい」
背を撫でる指が通る度、じわりと通っていた痛みが解消されていくような気がした。気のせいだろうが。
「おやすみ、阿伏兎」
「……はいはい、おやすみなさい」
ふと、目をつむった。
痛みは――いつの間にか感じなくなっていった。