プレリュード・アンサー
生まれた時、俺達は神託を受けたらしい。
一人は未来を。
一人は現在を。
一人は過去を。
それらを持って全てを見据えるとなる。
俺達は神子であり――巫女となった。
「クラウ様、クラウ様はどちらにおられますか!」
神殿があるのは生まれた土地から遠く離れた雪深い土地だった。――十歳になる頃には三つ子の一番上の姉、最も力を引き継いだ神子は既にミタマ地方を巣立っていた。大いなる神と呼ばれるその存在の神託によって導かれて、彼女はこの鎖だらけの土地から飛び出していった。その反響は反対の土地にいるクラウにもあっという間に伝わってきた。妹のアリスは泣いた。それは役割を投げ出した姉への叱責の涙だったのか、それとも姉が心を押し潰して神子の役割に徹しようとしていたことへの涙だったのか、クラウは敢えて考えないことにした。どの道、姉がいなくなったという事実だけがそこに取り残されるからだ。
「クラウ様!!」
何も考えなければいい。
自分はこの地方にとって必要な駒だ。――神子、巫女という体のいいシステムの一つだ。信仰といえば、聞こえはいいが単なる狂信だ。信奉されるべき神子は普通の人間にとっては化物も同然だ。俺達は、神と一体になったもの。神の血を引き継ぐものたちなのだから。
(それならいっそ排斥してくれたほうがいい)
恐怖による信仰は排斥よりもずっと質が悪い。影で化物と罵り忌み嫌いながら、表では神子様と崇め立てる。人の心を視ることができる姉は何を思ったのだろう。自分たちがこちらに来る時、姉は既に心は疲れ切っていた。言葉と心のギャップに何を思い、何を考え、そして――心を潰す決断をしたのだろう。
「ああ、クラウ様、見つけましたよ」
クラウは顔を上げた。
十九歳の春がやってくる。その男は神官の服をしていて、クラウもよく見知った顔である。春とはいっても、この地域はまだまだ冬が続き、雪も春とは思えないほどに深い。一面が銀景色の世界に黒い自分がいるとよく目立つことは知っているがクラウは雪の上に寝そべったまま男へ視線のみ向けた。
「だめではありませんか、儀式のお時間ですよ」
「……おー」
気のない返事しか出てこない。今日はすこぶるやる気のない朝だった。何を思ったのか、いや、この力が何かを予見したのか朝から姉の夢を見てなんとなく寂しくなった。双子の妹はしばらく騎士役のトルクと呼ばれる青年とともに地方巡礼に向かっていて帰ってこないから、巫女の務めはクラウ一人で行わなければならない。男――セキレイは少し困ったように笑い、そしてクラウへ手を差し伸べた。さあ、起きましょう、と物静かにそう語るそのセキレイの瞳を見つめてクラウはしょうがない、と手を取って重い腰をあげた。しばらく雪の上に寝そべっていたせいで体がひどく冷えている。それを自覚すると急に寒くなってきた気がした。くしゅん、と一つくしゃみをすれば、セキレイが驚いた顔をした。
「まったくもう……暖かいお茶でもご用意いたしますよ」
「おう、頼むわ」
早く溶けないかな、とクラウは一面の銀景色を見て思う。光を浴びて輝く雪はひどく綺麗だと思うけれど、ここは寒い。アリスがいれば寒さも感じることはないが、たった一人、ここにぽつりと残されたような気がしてクラウは身震いした。
(お前は――こんな気分だったのか、アスナ)
あの静かな泉でぽつりと座り込んで泣いていた姉を思い出した。ああ、今日はよく思い出す日だな、と青と碧の瞳をそっと閉じた。春が来て、少しだけ暖かくなったら溶けかけの雪の中に咲く花でも見に出かけようか。早く、早く暖かくなればいい。
――こんな、寒い思いはもうたくさんだった。
神託を聞き終えて、クラウは神殿から下ってくる。石階段をかつん、かつんと靴で音を鳴らしながら降りてくればセキレイが待っている。それに声をかけるわけでもなく通りすがり、そして彼が勝手についてきていることに見向きもせずに歩き続けた。
「クラウ様、あの」
セキレイが何か言いづらそうな声を上げた。視線を向けることもなく、足を止めることもなく歩きつづけるクラウにセキレイは話を続けようとして、クラウの足が突如止まった。驚いた顔を続ける巫女の姿にセキレイが疑問を感じて顔を上げてみれば、セキレイも時間が止まったかのような錯覚を感じた。
「お勤め、ご苦労」
燃えるような赤い髪だった。――炎のような髪が銀景色の中で鮮烈に印象づける。クラウと同じ顔立ち、同じ瞳、しかしその強い印象は彼女のほうがより鮮烈だろうか、とセキレイはクラウと目の前の女性を見比べて思った。ミタマ地方の人間ならば一度は話を聞いたことがあるだろう――逃げ出した神子だ。
「アスナ……」
そして、目の前で呆然と佇んでしまっている巫女クラウの姉。
「どうして、ここに」
どうして、の中には「何で」という否定的な意味合いが篭っている気がした。アスナ、と呼ばれた女性はふと笑って雪を踏みしめて歩いてくると、クラウを抱きしめた。そっと頭を引き寄せて体を密着させる。もう十年近く会っていなかった三等分の一は互いに大きく成長しているはずなのに寸分の狂いもなく一緒であるような気がした。
「ただいま」
静かにそう告げた。クラウはアスナに触れて、ふと気づいた。ああ、彼女は、ここで生きる決意を固めて戻ってきたのだ。旅をして、外をしり、恋を知り、愛を知って――それら全てを捨てて、アスナはここへ帰ってきた。神子である自分を選んだ。いや、神子としてやるべきことをやりに来たのだ。これまでの伝統を、ただ、迫害されるだけの日々に終止符を打ちにやってきたのだ。それがどれだけ困難な道であったとしても彼女はやり遂げるつもりでここに、戻ってきた。
「馬鹿野郎……そのまま、見てみぬふり、してりゃよかったのに……っ」
お前は外で自由を手に入れたんだ。
自分を心から大切にしてくれる人に出会えたのに。
「何で、何で、全部捨ててきた……!?」
抱きしめた体から伝わってくる心にまるきり後悔など感じられない。ひどく、ひどく暖かい心だけがクラウに伝わってくる。まるでひだまりのような、澄んだ水のような心。アスナは柔らかく笑ってクラウを抱きしめ返す。もう何年も何年も会っていなかったはずなのにやっぱり自分たちは一部なのだ。そう思ったのは、ざくり、と雪を踏みしめながら走ってくる足音と声が聞こえたから。
「アスナ……っ!!」
アリスの声だった。泣きそうな、いや既に泣いている声でアスナを呼び、そして、飛び込んできた。クラウと一緒に腕を広げて受け入れると強く抱きしめた。クラウは姉と妹を抱きしめて、ふと思った。――ああ、ようやく、一つに戻った気がする。何か、いつも、欠けている気がして、足りない気がしてならなかった。そうか、ずっと、ずっとアスナがいなかったからだ。
アリスは何も言わずに泣いてアスナに縋っていた。アスナはそれを宥めながら、笑ってクラウも抱きしめた。
「俺はね、俺達も一人の人間なんだよって、知ってほしいんだ」
それは神子制度の廃止。
長年続いてきた神託信仰への裏切りだった。
アスナは一人の人間として旅をしてきた。だからこそ、ここに生きるすべての人達に知ってほしかったのかもしれない。「神託はあくまでも助言であって、それが全てではない」ということを。神話を信じ続けてきたミタマ地方でそれが受け入れてもらえるかわからないのに、アスナは笑ってそういった。
「お前たちはどうしたい?」
その日は眠れそうになかった。アスナは早々に次のところへいかなくてはならないから、と旅立っていった。やることがある、と言っていた。アリスと二人でアスナを見送れば、アスナは笑顔で帰ってくるよ、と言っていった。雪の中晴れ晴れとした笑顔のアスナに何も言えず送り出し、いつの間にか夜になっていて、クラウは明日も早朝の儀式があるとベッドの中へ潜り込んだ。――こんこん、と聞こえてきたノックに返事はしなかった。だが、ドアはぎい、と古びた音を立てて開き、サンダルの足音が聞こえてきた。
「クラウ、起きてますか?」
アリスの声だった。おう、と短く返事を返せば、枕を持った寝間着姿のアリスがいる。何も言わずに布団をめくってアリスを招き入れた。
「狭いだろう」
「大丈夫ですよ」
アスナは三つ子の中でも特殊だ。単独で存在していられるが、決してアリスとクラウがいなくなってはならない。だが、アリスとクラウは互いがなくては存在が成り立たず、アスナがいなければその存在は薄れてしまう。差し出されたアリスの手をクラウの手がそっと握り込んだ。
「できると思うか?」
「……わかりません」
「ご自慢の予知は」
アリスが静かに首を横に振った。そうか、これは神の予言から逸脱する行為。だからアリスに視ることのできない未来。アスナはやり遂げようとしているのだ、たったひとりの力で。
「クラウは無理だと思いますか?」
アリスが不安げに覗き込んでくる。クラウはしばしその瞳を見つめ、そして、笑った。
「あいつ、旅をしてた。いろいろなものを見て、いろいろな人間やポケモンに出会って、――恋をしたんだ」
まるで人間のように。
俺達のように人間とポケモン、どっちの輪にも入ることのできない半端な存在ではなくて、アスナは人間と同じように恋をしたのだ。
「あいつはきっとやり遂げる」
そういう目をしていた。
そういう強い意思があった。
(俺は、どうしたいだろう)
クラウは目をつむったアリスを眺めて、同じようにゆっくりと目を閉じた。
* * *
「クラウ」
聞こえてきた声は聞き覚えのある声だが兄妹の誰とも違う声だった。しかし、愛おしい声だ。クラウはそっと目を開けると、ニナがこちらを覗き込んでいた。本を枕にして、本で顔を覆い隠して寝ていたのだろう、ニナの手には開きかけの本が持たれている。
「……寝てたのか」
「うん」
彼女は鷹揚の少ない声でそういうと、クラウの横にぺたりと座り込んだ。何の本、と聞かれたので歴史の本だよと答えておく。図書館の数万という蔵書を何年もかけて読みつくそうとしているがまだまだ読み尽くすには時間が足りない。アスナはこの本たちを数年で読み切ったというのだから、本当に化物のような姉だ。
「クラウ、」
「うん?」
「なんだか、とっても寝言言ってたけど、何の夢見てたの?」
「……ああ、懐かしい夢。まだ、俺がジムリーダーになる前の話だな」
積み上げられた無数の本を眺めて、指で数えながらクラウは答えた。
(俺もアスナのこと、言えないな)
彼女はミタマ地方の外からやってきた少女だ。自分よりも一回りぐらい年下なのだが――愛してしまった。そっとニナの手を掴んで引き寄せると抱きしめた。
「……クラウ?」
「なんでもない」
自分が今、このぬくもりを享受できるのはアスナのおかげだ。アスナがミタマ地方の伝統を変えたからだ。そして、それは十数年の月日を持ってようやくミタマ地方の流れの一つとして組み込まれつつある。過去が積み重なり、そして、新しい未来を作り出したのだ。
「ほんと、すげぇよなぁ」
「え?」
「んーん、なんでもない」
もしも、あの日、俺がアスナを認めなかったら、ニナを愛する未来はなかったのだろうか、と思ったら少しだけ寂しくなって、ニナを抱きしめた。