緋色の誓い


 リーヴィはくあ、と大きく欠伸をした。
 夜はしっかりと眠ったが、昼間に眠くなるのは完全に自分の体質だろう、と適当に見当をつけて、いつも昼寝の定位置と決めているととある男を探して今厄介になっているグランサイファー内を歩き回った。しかし、その男は部屋にはおらず、いたのは普段から自分のそばにいる小さな星晶獣であるシーファだけだ。リーヴィは視線でラインハルザは、と訴えかければシーファは首を傾げ、リーヴィの頭の上に乗った。
「彼なら、朝早く団長さんに呼ばれていったけどー。それから見てないわね、何か頼まれたんじゃないかしら」
 貴女、寝てたもの。
 なんだ、出かけていったのかとリーヴィは納得すると置いて行かれたことはさして気にせず、彼の使っているブランケットをベッドから引き剥がすとそれを手に持って部屋から出ていく。あら、寝ないの? とシーファに聞かれ、リーヴィは首を横に振る。それを見たシーファがああ、と納得した。
「ラインハルザがいないと冷たいものね。暖かい場所、探すのね」
 シーファが少し微笑ましく言う。リーヴィは無表情に頷くとその小さな体でてくてくと歩き始めた。


* * *



 メリアグランスは趣味の読書の最中にふと、集中が切れた気がした。どうやら長い時間読みふけっていたらしい、手元に置かれていた時計がそろそろおやつの時間を指し示そうとしている。時間の経過に気付くとなんだか体が急にギシギシというような感覚がして手を上に上げて、体を伸ばす。ん、と短く声を上げてうんと伸びるとゆっくりと手を下ろす。
「……少し、散歩してこようかしら」
 思い至ったように椅子から立ち上がる。今は天気もいいようだし、きっと良い心地になれるだろう。
 やはり、いい風が吹くのは甲板だ。ドアを開けると良い風がメリアグランスの肌をなでて、それを堪能するように目を閉じて一歩踏み出したところでぎゅむ、と何かを踏みつけたような感覚にメリアグランスは慌てて飛び退いた。
「え、ええ!?」
 薄茶のブランケットのようなものに包まれた子供くらいの大きさのそれにメリアグランスは目を見開いた。しかし、それは踏みつけられた割にはまったく反応はなくもしかするとブランケットが丸まっているだけなのか、と考えた。
(……それにしては、随分と厚みがあった気がしたんだけど)
 屈んでブランケットをそっと開いてみると、人だった。額辺りからは特徴的な角とヒューマンとは違う尖った耳――ドラフだ。小さな体つきの割には体の一部が突出して大きいということは子供ではなくれっきとした成人女性なのだろうとメリアグランスは理解した。(ドラフは男性こそ二メートルを超える大柄で筋肉質な者が多いが、女性は成人しても百三十センチ程度の者が多いと聞く。目の前の人はそれよりも更に小さいが)
「ど、どうしましょう……」
 踏んでしまったことを謝罪したいがオレンジ色の髪の彼女はすやすやと眠り続けている。――が、ブランケットを開かれて風が入り込んできて寒かったのだろう、顔をしかめて身じろぎをすると、ゆっくりと目を開けた。そして、メリアグランスとばっちりと目があった。
「あの……」
 あどけない子供のような表情をしていた彼女はしばし目を瞬かせていた。そして、ゆっくりと口を開く。
 ――が、声は聞こえない。
「えっと、ごめんなさい、声が……」
 聞こえないの、と言う前に小さな羽の付いた生き物がメリアグランスの前に現れる。
「リーヴィは寒いって言ってるわ」
「え!? きゃっ!」
 突然のことに驚いて後ろに倒れ掛かったところをリーヴィと呼ばれたドラフの女性がとっさに手を掴んで引っ張り込んでくれたお陰で転ばずにすんだ。
「まあ、リーヴィ、貴女優しいのね」
「……………」
 やはり、リーヴィという人の表情は変わらない。それに口を開いてはいるのだが、メリアグランスには聞こえない。
「私はリーヴィって言ってるわよ、貴女の名前、教えてちょうだい」
「えっ、あ、えっと、私はメリアグランスです」
「そ、いい名前ね。私はシーファよ、この子の通訳みたいなことしてるの」
「……通訳?」
 シーファと名乗った妖精のような生き物はふわとメリアグランスの前からリーヴィの角の上に腰掛けた。リーヴィはそれを気にする様子もなく言ったとおりに寒かったのだろうブランケットをはおり直して少しだけドアの前から移動するとじと、メリアグランスを見上げて座らないのかと視線で訴えかける。シーファがほら、座ったら? と促すのでメリアグランスもリーヴィの隣に腰掛けた。
「この子喉が潰れて話せないの。ほら、そこからならちょっとだけ傷見えるでしょ?」
 シーファが角からリーヴィの喉付近に移動すると、その首飾りを僅かにずらした。深い皮膚がえぐれたような傷がメリアグランスに入って思わず口を塞いでしまった。戦いに出ているので傷はそれなりに見たことがあったが、それでも衝撃的なものだった。ご、ごめんなさい、と謝るとリーヴィがゆっくりと目を閉じて首を振った。
「リーヴィがね、貴方はこの艇の人? って」
「あ、はい!」
「私達、最近入ったばっかりでまだ他の人のこと全然知らないのよね。さっきは歩くのを邪魔してごめんなさいって」
「私こそ! 間違って踏んじゃって!」
「大丈夫よ、貴方くらいなら。ラインハルザなんて、リーヴィのこと間違えて蹴り飛ばしちゃったこともあるんだから」
 ラインハルザ――おそらくは彼女たちの仲間だった人物の名前なのだろう。おそらくはドラフだろうから、容易に大柄で筋肉質なのだろうと想像がつく。この艇にいるドラフの男たちは揃いも揃って大柄で筋肉質な人たちばかりだ。
「……」
「……あら、リーヴィ。何か気になるの?」
 すん、とリーヴィがメリアグランスに擦り寄ってくる。きゃ、と驚いたようにメリアグランスが声を上げるとリーヴィはあまり気にしない。
「貴方から紙の匂いがするって」
「え……あ、さっきまで本を読んでたから」
 リーヴィの目が僅かに輝く。
「……本、好きなんですか?」
「…………う」
 僅かに、本当にわずかだがリーヴィの喉から震える音が聞こえた。
「あのね、この子、本とか知識が得られそうなもの好きなんだけど……教養がないから、読めないし書けないのよ」
「え、」
「あー、厳密には簡単な単語なら知ってるの。でも、文章は無理なのよ」
 シーファがちょっとだけ落ち込むリーヴィの角の上から頭を撫でる。昔から剣ばっかりだったんですって、とシーファが続けた。
「だから貴方が通訳を?」
 話せないなら筆談もあると思っていたがどうやらそれができないのもわかった。単語だけでは伝わらないこともあるだろう。それで、このシーファという子が彼女の声を代弁しているわけだ。
「まあ、どうしても大事なことは自分で単語ばっかりの筆談だったり、口パクなりで伝えてるけどね」
 リーヴィが小さく頷く。
 口を動かしているのは彼女なりに伝えようとした合図だったようだ。声が出ていないと何を言っているか途端に理解できなくなることをメリアグランスは先程のリーヴィとのやりとりを思い返して納得した。
「その、ラインハルザ、さん? とはいつもどうしてるんですか?」
「彼はなんとなくわかってるみたい」
 リーヴィも頷く。先程よりも大きな頷きだ。
「あの、私でよければ……少しだけ、読み書き教えましょうか?」
 今まであまり表情が動かなかったリーヴィが目を輝かせて、メリアグランスを見つめた。なんとなくだが、その表情からは「いいの?」と聞いているように見えて、メリアグランスは頷いて、はい、と答えた。きっと子どもたちに教えるのと似たようなものだ。あ、と思い立ってちょっとだけ待っていてくださいね、と言ってメリアグランスは一度部屋に戻ると、使っていない白紙がまとまっているノートを持って戻ってきた。
「文字を覚えて、伝えたいことができたらこれで筆談するといいですよ!」
「…………あ、」
「ありがとう、って」


 リーヴィは飲み込みは良い方だった。元々単語はわかっていたこともあって、すぐに文法もかけるようになっていくし、読めるようになった。まだまだ難しいものは無理だろうが、基本的なことは理解しただろう。その頃にはグランサイファーの甲板にはリーヴィのオレンジ色の髪と同じようなオレンジ色の夕日が差し込むようになっていた。
「すごい!リーヴィは覚えがいいのね!」
 メリアグランスが手を叩いて褒めると、リーヴィはえへんと胸を張った。シーファがリーヴィの角で寝そべりながらやるじゃないと褒める。
 ノートにはまだまだ綺麗とは言い難い字がいっぱい並べられている。リーヴィがペンを手にとって、ノートに書き出していく。
「(メリアグランスはどうして、艇に乗ったの?)」
 それを見た、メリアグランスがえっと、と少し言いよどんだようなしつつ、リーヴィを見た。
「ある人を追いかけて……かな。大切な人」
 炎帝と呼ばれるパーシヴァルのことを思い浮かべた。自分の婚約者であるその男を追いかけて、このグランサイファーに乗ったが、彼から言われるのは下がっていろ、その一言だ。自分だって彼の役に立ちたいという思いはあるのだが――
「(私も、大切な人を追いかけてここにきたの)」
 時折スペルが間違うこともあるがおおよそ言いたいことは理解した。
「(離しちゃだめ)」
「……え?」
「(何があっても、手は、離しちゃ、だめ)」
 リーヴィの目は真剣だ。
「えっと」
「(私は、彼を守るために彼の手を離したけど)」
 必死で文字を追うリーヴィの目は少しだけ泣きそうな顔をしていた。
「(あの日、彼の言うことを聞いて)」
 ぽたり、と涙が紙の上に堕ちた。
「(彼と一緒に逃げてればよかった、と思わない日はないわ)」
 そして、顔を上げて、首飾りをずらした。そうか、そういうことか、とメリアグランスが気づいたときに、自分を呼ぶ声が聞こえた。
「パーシヴァル!」
「今、戻った。行くぞ」
「え、あ、はい! ごめんなさい、リーヴィ」
 謝るメリアグランスにリーヴィはゆっくりと首を横に振った。その顔は少しばかり穏やかな笑顔を浮かべていて、シーファにもぺこりと頭を下げると戻ってきたパーシヴァルの側に駆け寄っていく。その背中を眺めて、リーヴィは穏やかな表情だった。シーファがゆっくりと肩まで降りてきて、腰掛けた。
「懐かしい?」
(もう、戻れないもの)
 そっと潰れた喉に触れる。
 声が出たら。
 歌をうたうことができたら。

(メリアグランスと彼に後悔がないといいね)
「……そうね」



* * *



「……こいつは」
 ラインハルザは自分のブランケットに丸まってベッドを占領しているリーヴィに嘆息してそれを起こさぬように抱き上げた。そして、自分の膝の上に上げてまるまるリーヴィの頭を撫でる。
「…………これは?」
 リーヴィが手に握っているのは紙だ。すると、リーヴィの髪の中からシーファが顔を出す。
「今日ね、優しい女の子がリーヴィに文字を教えてくれたのよ」
「ほう?」
「貴方に伝えたかったんですって」
 リーヴィの手から紙を抜き取る。

(貴方が幸福でありますように)

 ラインハルザは困ったように、どうしていいのかわからないといった表情をしてしばし頭をかいた後、リーヴィの頭をなでた。

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