いつまでも色褪せぬ
天族と言う生き物は、人間とは違って至極長命な種族である。特に、力の強い者であればあるほど、その寿命は永遠に等しく、この世界の神にも等しい存在に当たる。世界の理を回す存在として、人間と共存し、悠久の時を生きる天族とて決して珍しくはない。ザビーダは長らく人と交流することを避け、一人の旅を続けてきたが、まだまだ彼にも天族として幼い頃があり、その頃はとある天族と共に暮らしていた。女の天族で、人間にすると20代前半くらいの美しい容姿をした女であったが、ザビーダが天族として意識を持ったころには既に数百年近く生きた高齢の天族であった。とある神殿で、護法天族たちに囲まれて生活していた彼女の元で、ザビーダは育った。
すくすくと成長し、彼女よりも背丈が高くなり、天族の中でも随分と長生きな方になったはずなのに今もなお、彼女の前に立てば一人の子供のような扱いを受けることにザビーダはとても不服だった。
「坊や、大丈夫か」
――ほら、またその呼び方だ。仰向けになって倒れていると、差し出された手。大丈夫だよ、と返して、その手を掴んで立ち上がると昔はあれだけ大きく見えていた体が自分の視線よりも下にある事に少しばかり驚いた。もっと、大きかった気がしていたはずなのに。治療をしようか、と詠唱を唱え始める彼女の唇に人差し指を当てた。大した怪我じゃない、と言えばそうか?と首をかしげる。あまり無理はするなよ、と微笑みかけられて悪い気分ではないが、明確な子ども扱いに少しばかりむっとしてしまう男心にもそろそろ気付いてほしいものだ。まあ、比較的鈍感な方だとは知っていた。彼女の中で自分があの日のザビーダ坊やであることが揺らがないのは良く分かっていた事だ。どれだけ大きくなっても、どれだけ年を重ねても、彼女に追いつくことはない。美しい白銀の髪があの頃と同じように、陽光を受けてキラキラと光の粒が瞬くように輝いた。――その背はやはり、今も遠い。
夜の月が、闇の中を照らし出す時分。屋根の上に上がってぼんやりと空を眺めていれば、坊や、と柔らかな声が聴こえてきた。振り返らなくても分かる。
「どうしたんだ?」
「少し、寝付けなくてな。月でも見ようかと思ったら…――先客がいた」
隣良いか?と聞いてくる彼女にどうぞ、と答えれば、彼女は膝を抱えて座り込んだ。そこから、何か会話がある訳ではなく、ただ月夜の静寂が流れる。時折、風が吹けば、互いの長い髪が揺れたり、木々の葉の音が零れて来るばかり。ザビーダは自分の背よりも、後ろの位置で、手を地面につけると、月から顔をそらすように、大きく喉をそらして、上を見上げた。その様子を見て、だったのか、隣で彼女がくす、と笑ったのが聞こえた。
「……笑ったか?」
「いや、すまないな。あまりにも坊やが落ち着かなさそうだから……」
「笑うなよ」
「いやいや、かわいらしいよ。坊や」
笑いがこらえきれていないのか、肩が震えている。じと、と恨めしく睨みつけると彼女は月明かりに照らされた綺麗な微笑を見せた。頭を抱き寄せられ、そっと胸元に寄せられる。よしよし、と頭を撫でられた。力を入れて抵抗することは容易くなったが、しかし、どうにも逆らえないのは、なぜか。こうされる事への心地よさと言うものがある。天族に家族はない。父も、母もない。しかし、ザビーダにとって彼女は母のような存在だった。彼女は元は人間だったという。導師だったという。人間だったころの記憶はないはずだが、それでも人を愛する心を何よりも知っている。慈しむ優しさゆえに、彼女は多くの天族から慕われていたし、あのマオテラスも信頼を寄せていた。
「坊やは、強くなったな。あの頃の約束を思い出すよ。強くなるといって、飛び出して行ったあの日の事も」
「……そんな事、あったか?」
「あったさ」
何でも覚えてる。ずっと長く生きていれば、そんな事すら忘れるかとも思ったが、ずっと覚えていたらしい。そうか、あの日以来、彼女は一人だったのだ。ザビーダもいなくなり、あの神殿には、憑魔と化したかつての恋人しかいなかった。その中で何を思い、どうやって生きて来たかは、あの神殿を飛び出して行ったザビーダには分からない事だ。紆余曲折有り、イズチの杜へ行ったことは後々聞いたが。憑魔になった恋人を前にして、彼女が何を思っていたか、どんな思いで、毎日、彼の憑魔化を止めるために祈りの歌を歌い続けていたのか。もう既に肉体の死を迎えている、怨念のような人間を前に、祈り続けているほどの一途な天族に、ザビーダは母を思う以上の愛情を抱いていた。だから、子ども扱いなど嫌だった。そのまま、押し倒すように力を込めた。押し倒され、きょとんとした様子で、ザビーダを見上げる彼女の赤と金の瞳には月とザビーダが映っていた。余裕のない、自分自身の姿に嘲笑が込み上げてくる。
「アスナ」
「坊や?」
「……――何でもない」
このままで、いさせてくれ。そう言って、覆いかぶさるように首筋に顔を埋め、抱きしめる。しばらく瞬きした後、柔らかく微笑み、ザビーダへその細い腕を回す。もう、大丈夫だよ、坊や。とまるで子供をあやすかのような声に、ザビーダは安堵するように眼を閉じた。