そのについていくと決めた


 カーテンの隙間から差し込む日差しを感じてシグレは意識が眠りから起きて来るのを感じた。――眩しい。最近は日が昇るのが少しばかり早くなり、夏が近づいているように感じる。ベッドの上で数秒思考を停止させたが、横で寝ていたはずの"妻"の姿がなく、きょろきょろと辺りを見回した。
「クレハ」
 その名を呼んでみても返事はない。
 ふと、気を研ぎ澄ませてみれば、部屋の外からいい匂いを感じる。――台所か、とシグレは枕元のテーブルに用意されていた自らの着替えに袖を通して、寝室から飛び出た。


 とんとん、と小気味の良い包丁の音が聞こえ、音の元へシグレは向かっていく。気配はもちろん消しているから、相手はすぐには気付かないだろう。台所に立っていたのは、小柄な、一見すると少女に見間違えそうな女だった。
 夕日のような橙色の髪は首の裏から長い三つ編みにまとめられている。包丁で切っている野菜を確認して、包丁を水場へ戻したところで、シグレは少女を抱きしめた。
「し、シグレ様っ!?」
 びくり、と肩を震わせた少女が慌てて振り返る。白い頬を薄紅色に染めて、こちらを見上げてきている。
「おはようございます……いつも言っているのですが、気配を消して近づくのは……」
「ん?いつもいい反応してくれるからな、クレハは」
 自分の腕の中にすっぽりと収まるクレハを強く抱きしめながらシグレは満面の笑みを浮かべて、体をかがめて頬を擦り合わせた。
「お腹すきましたか?もう少しで出来上がりますから」
「応!」
「ああ、御髪がそのままではないですか。今、整えますから、あちらに座ってお待ちください」
 クレハはシグレの腕の中で方向を変えながらシグレの髪をなでる。いつもは撫で上げられている前髪もまだ下りたままだし、後ろの髪もまとめられてはいない。シグレがクレハから離れると、その足元を真っ白な猫――聖隷のムルジムが現れた。
「おはようございます、ムルジム様」
「おはよう、クレハ」
 小さな力を持った聖隷に敬意を込めて、クレハはかがんで挨拶をすると先に歩いて行ったシグレの後をついて行く。
 櫛を手に取って、シグレの髪に通す。この時間がクレハは大好きだった。丁寧にシグレの黒い髪に櫛を通し終えると、髪を逆立て、撫で上げる。両脇の髪は後ろに持って来て三つ編みにしてまとめると、いつものシグレの姿になった。
「おっし。完璧だな」
「はい。それでは只今、朝食をお持ちしますね。お飲み物はお茶でよろしいですか?」
「おう、まかせるぜ」
 かしこまりました、とクレハは台所の方へ下がって行った。かちゃかちゃと食器をいじる音がしばらく聞こえてくる。盛り付けをしている姿をじっと眺めてみると、シグレの膝の上にムルジムが飛び乗ってきた。
「ん?どうした?」
「いーえ。あなたも大概にあの子が好きね」
「まあな」
 ムルジムの頭をなでると、クレハがお盆一杯に乗った料理を持って来る。シグレ様、どうぞ、と笑顔で差し出されてシグレはスプーンを手に取った。



「シグレ様、本日はアルトリウス様の護衛ではなかったのですか!?」
 草原へと繰り出して行ったシグレの後を追いかけるようにクレハは声を上げながら走った。元々体格差があるせいか、シグレが歩いているだけでもすぐに置いていかれてしまうのだ。
 しかしながら、シグレは自由だ。聖寮は規則を敷いて、それを守るようにときつく言いつけてあるのにもかかわらず、シグレがそれを守ったことは少ない。
「アルトリウスに護衛が必要かよ。それよりも、聞いたか、ここら辺で甲種が出たらしいぞ!」
 子供のように目を輝かせて、シグレはずんずんと進んで行ってしまう。
 はぁ、と深くため息をついて、クレハは困ったように微笑むと、シグレの後をついて行くために走り出した。
「突然抜けてはメルキオル様に怒られませんか?」
「いいんだよ、どうせ、俺がいないのなんて織り込み済みだよ、あいつらは」
 そう言いながら周囲を見回すシグレの目は戦う剣士の目をしていた。こうなっては止められないこともクレハは良く知っている。今日は好きにさせてあげよう、と思うとシグレから荷物を受け取って、黙って見ていることにした。
 甲種はしばらくして現れた。獲物をみつけた時のシグレの楽しそうな顔と言ったら、他にあの表情をするのは自分と同格、それ以上の相手を見つけた時くらいなものだが、どうやら彼の中では楽しめた部類だったようだ。
「お怪我はございませんか?」
「ねぇよ。あの程度で怪我するかよ」
 シグレはクレハの手からバスケットを取り上げると、中に入っていたおにぎりを手に取った。
「お行儀悪いですよ、シグレ様」
「ん?腹減ったんだよ」
「今支度いたしますね」
 草の上に座り、手拭きをシグレに手渡して、クレハはバスケットの中からおにぎりとおかずを取り出した。
 ぱくぱくとシグレの胃の中へ消えていくおにぎりたちを眺めながら、クレハは嬉しそうに笑った。
「あら、嬉しそうね」
 ムルジムはクレハの膝の上で毛繕いを受けていたが、クレハの手が止まっていたことに気付いて見上げていた。
「あ、ムルジム様、申し訳ありません」
「いいのよ」
「……シグレ様が俺の作ったものを召し上がってくださるので」
「それだけ?」
「それだけですよ」
 クレハは心底幸せな様子でムルジムに笑いかけて毛繕いをする手を動かし始めた。すると、シグレの大きな手がムルジムを持ち上げて、クレハの膝から下してしまった。
「シグレ様?」
 ――まだ終わってませんよ、と視線で訴えかけるが、シグレはムルジムを自分の腹の上に上げて、そのままクレハの膝を枕にして草原に横になった。
「……もう、式典サボってるのに」
「いいだろう、これくらいは」
「よくありません。後でメルキオル様にお小言を言われるのは俺なんですから……」
 そう言いながらもクレハは膝にいるシグレを動かすことなく、その髪を優しく梳いた。小さな手だが、ところどころに豆が出来ていて、手は少し固い。シグレはその手に自分の手を重ねると、優しく包み込むように握りこんだ。
「……シグレ様?」
「いや、なんでもない。しばらくしたら移動するか。ああ、そういえば、遠方の坑道で征嵐を使う刀斬りが現れたらしいな」
「業魔ですか?」
「らしいなぁ。クレハも行くぞ」
 来るか、ではなくいくぞ、なのがとてもシグレらしい。確か、聖寮に行く時もそうだった。ついて来い、でもついてくるか、でもない。行くぞ、と来ることが大前提にある人だった。
 もちろん、言われなくてもクレハは一緒に行くつもりだったからいいのだが。
 シグレはクレハの膝から体を起こして、少し伸ばした。ムルジムもシグレが起きたことで腹から降りて、シグレを見上げている。さっさと立ち上がると、シグレはクレハに手を差し出してきた。
「行くぞ、クレハ」
「はい、シグレ様」
 手を掴むと、引っ張られて、半ば無理やりに立たされる。そのまま勢い余ってシグレに衝突してしまうと、シグレはクレハを抱き上げた。
「シグレ様っ、下してください!!」
「ダメだな。俺が歩いたほうが早い」
「それはそうでしょうね!!足の長さがそもそも違いますもの!!」
 落されないようにと、クレハはシグレの首に腕を回して抱き着いた。――ああ、恥ずかしい、と思いながらも人が通らないことを切に願うしかない。
「シグレ様」
「ん、どうした?」
「……抱き上げなくても、置いていかれても、俺はちゃんとあなたを追いかけていきますよ」
 ぎゅ、と抱きしめながら言うと、シグレは一瞬目を見開いて、立ち止まった。
 そして、両腕でぎゅうとクレハを抱きしめる。

「ああ、わかってるよ」

 時が二人を分かつ、その日まで。
 貴方の背を信じて歩くと決めたのだから。

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