夢見草


 ――私達の人生は世界に消費されるために存在している。
 顔も知らぬ隣人を愛することが私たちの使命であり、存在意義だ。
 私は世界のために炎を燃やそう。
 命を尽くして、見知らぬ世界の人々を愛して、世界を愛している。
 しかし、私の人生は蝋燭の炎のようにあっという間だ。
 百二十五回人生を繰り返しても、私が人間で言うところの成人になったのは極僅か。二十年生きたか、生きないか。あっという間に燃やしてしまう命だった。

 そんな私には見知った愛する隣人がふたり。



 うららかな温室にはあらゆる草花が植えられており、空気には淀みはなく人が過ごしても心地よく調節されている。一般的なガーデニング用の温室ではあるが、人が寝泊まりすることを視野に入れてオートマチック化されておりいつでも完璧な室温と湿度が保たれている。アスナの世界はたったこれだけ。高さ最大十m、広さは直径三十m程度の広さがアスナの世界であった。
 幼い頃、まだ彼女がアスナになる前はこの部屋の外に出たことも度々あったが、今となっては其れすらない。生活の殆どをここで過ごしており、ベッドも、ソファもここにある。電話はなく、テレビもない。アスナは世界の情報を知ることもなく、世界を愛する。ソファに腰掛けて、アスナはページを捲っていた。アスナにとっては唯一世界を知る方法であり、知識を得るものだった。

 かちゃり、と黒い燕尾服の男がアスナの座るソファ近くのテーブルにティーセットを置くと、音もなく退室した。それを視線でのみ見送ると再び本の世界に没頭しようとして――ぱたぱた、と遠くから聞こえてくる足音にふと顔を緩めた。
「今日はいつもより遅いかしらね」
 テーブルに置いている懐中時計を開いて微笑んで、すでに二人分並べられているティーカップに紅茶を注ぐためにポッドを持ち上げた。すると温室のドアが大きな音が開かれ、大股で靴の音を鳴らす一人の少女が一人。美しい銀の髪をなびかせた彼女はアスナを見つけると大粒の涙を浮かべて飛びつくようにソファへやってきた。
「きいて、おねえちゃんっ!」
 あらあら、とアスナは困ったように笑うとサラサラとした銀髪を撫でる。彼女こそ見知った隣人の一人である。メランコリー・スクアーロ。百二十五番目のアスナの幼馴染である。姉、と呼び慕ってくれる彼女は本当に妹のようで、アスナは彼女を愛している。アスナは髪をなでながら、あら、とメランコリーの頭にたんこぶができているのを見つける。
「まあ、これは?」
「おにいちゃんが……」
「また殴ったのね?」
 こまった人、とアスナはため息を付きながら近くのベルを手にとって鳴らす。すると静かに黒服の男が現れ氷を置いてまたいなくなる。その氷をタオルで包んでメランコリーの頭にそっと押し当てる。
 メランコリーには兄がいる。
 百二十五番目のアスナと同い年の兄が。それがアスナのもう一人の見知った隣人であり、アスナに自由の概念を教えた男だった。今は大ファミリーボンゴレの独立暗殺部隊ヴァリアーに所属しているのだ。剣帝とも呼ばれたヴァリアーのボステュールを倒したその剣の実力は十四歳とまだ幼いながらも際立ったものを見せている。
「また喧嘩をしたのね?」
「う〜……だって、おにいちゃんったらね」
 ソファに腰掛けるアスナの膝の上でメランコリーが必死に説明をする。そんな彼女の言葉に耳を傾けながら砂糖を二つ入れてミルクを入れた紅茶をメランコリーに差し出す。少し甘い紅茶を飲んだらきっとこの不機嫌な気分も些か和らぐに違いないとアスナは優しく微笑んでメランコリーの話に耳を傾け続けた。
 アスナには家族はない。
 生まれた時すでにアスナは一人だった。親も兄も姉も妹も弟もない。ただ、アスナはアスナとして一人の存在だったのだ。そこに家族の概念は存在しないのが通例だった。もう慣れていた。いつの時代もあっという間に入れ替わってしまう自分にはそんなものは存在しないと――
 だから、羨ましいのだ。たとえ、どれだけくだらないことだとしても、兄がいて、妹がいて喧嘩をしたり、一緒に行動したり、そんなことができる血の繋がった人間がいるというその事実がアスナには羨ましくてたまらなかった。しかし、彼女たちは、スクアーロ兄妹はいつでもアスナという存在を家族であるかのように勘定してくれた。メランコリーは幼い頃からアスナを姉と呼び、スクアーロは友人であり、血を分けた家族よりも濃い繋がりだとアスナは今でも信じている。
(まあ、スペルビは今でも私のことが嫌いみたいだけど)
 如何に兄が理不尽であるか、と語るメランコリーにああ兄妹は似るのね、と思いながらスクアーロを思い出す。そう、彼はアスナが嫌いだ。世界で一番おそらく、相容れない人間なのだ。

 スクアーロは誰よりも自由を重んじる。自らの剣を極めること以外に強い関心は抱かず、世界など知ったことではない。最も己の欲求に素直に生きる人間だ。
 アスナは世界のために奉仕する生き物だ。己の意志は全て世界のために存在していて、そのために炎を燃やし続けるためその寿命はあっという間に終わり、温室という狭い世界でしか生きていけない。

 アスナはスクアーロが大好きだ。
 あの自由に生きる精神は尊重したいと思うし、尊いものだと思う。それは自分にできない最も美しい生き方。
 そして、おそらくスクアーロはアスナが大嫌いだ。
 アスナの世界のために己の主張がない生き方はスクアーロの理解が及ぶところではないから。
「困ったお兄ちゃんねぇ」
「ほんとうに!」
 くすくすとアスナは笑った。
 メランコリーはしばらくするとアスナの膝の上で寝息を立て始める。甘い紅茶を飲み、お菓子を食べ、話すだけ話したら気分が落ち着いたのだろうあっさりと眠りについた。いつも近くにおいているブランケットをメランコリーの体にかけてあげるとふと温室のドアの向こう側へ視線を送って笑った。
 白いシャツ、黒いスラックス――美しい銀髪。
「スペルビ」
 愛おしさを込めてその名前を呼べば、外の気配がびくりと揺れたのがわかった。なるほど、妹を殴ったはいいがあまりにも戻ってこないのでいたたまれなくなったというところだろうか。わかりやすい彼についつい笑いがこらえきれずに溢れだす。するとからかわれているのがわかったのか、スクアーロが乱雑にドアを開けた。
「あら、メランコリーが起きてしまうわ」
「う゛お゛ぉい……ちっ!」
 舌打ちをしたスクアーロはふいと顔をそらす。耳が紅くて、素直になれない年頃なのだと分かる。
「どうしようもない人。すぐに手が出る癖を直しなさいな」
「うるせぇ」
「女の子なのよ? もう少し大切にしてあげなくては」
「……お゛う」
 あら、やけに素直な返事、とアスナは目を見開いてスクアーロをみやって、そしてたっぷりと時間を開けてから笑った。あはは、とこぼれ落ちた笑いにスクアーロは顔を赤くして今にも食って掛かりそうな表情をしていたが、何も言えなかったのかその口からはいつものけたたましいくらいの声は飛び出てこなかった。愉快だ、と言わんばかりにひとしきり笑ってアスナはメランコリーの明るい銀髪を撫でた。
「ちゃぁんと、謝るのよ?」
「…………」
「そこは返事しなさいな。一番簡単なことでしょう?」

 平和だった。
 間違いなく、この世界の中は平和で世界中の何処かで誰かが死んでいる事実とは無縁だった。

 とあるときからメランコリーは姿を見せなくなった。
 スクアーロもぱたりと姿を見せない期間が長くなり、アスナは温室の世界の中でたったひとりで過ごしていた。時折誰かの夢に入り込んでは暇つぶしをしてみたり、起きたまま世界の向こう側を覗いてみたり。
 いつものようにそうしていると、温室のドアが開いた気配がした。
 目をゆっくりと開いてみればそこには少しだけ髪が伸びたスクアーロが立っていた。
「珍しいこともあるのね。――ゆりかごの後から、軟禁生活だと

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