中秋名月


「月が綺麗だな」


 今日は月が綺麗だから、と窓を開け放っているシグレがぽつりとつぶやいた。その手には杯が持たれており、透明な米でできた心水にはぽっかりと月が浮かんでいる。ぐい、とそれを飲み干すと、隣に座っていた机を挟んで向こう側に座っていたクレハが静かに空になった杯に音を立てぬ様静かに心水を注いだ。
「で?」
「え?」
 クレハはとっさにシグレの言葉が理解できず、目を丸くした。
 シグレの言い方を考えると、何かクレハに返答を求めているようだが、あいにくクレハは返答を求められるような言葉を投げかけられた記憶が無かった。困惑しながら、シグレの機嫌を損ねぬようにと必死で言葉を探しているクレハが可愛らしくて、シグレはついつい笑い出してしまった。
「し、シグレ様!」
「くっ、あははっ!悪ぃ、悪ぃ。クレハがあまりに可愛いから、ついな」
 杯を置いて、シグレはクレハのオレンジ色の髪をなでる。柔らかなその髪を撫でられてクレハは頬を染めてうつむきがちになってしまう。クレハの髪を撫で、耳を撫で、ゆっくりと頬に手を下すと、クレハの顔が上がるように上向きにさせる。しばし、見つめ合っていると、クレハの小さな手が、シグレの頬に触れた。
「ん?」
「あ、えっと……シグレ様の目、お月様みたいで、綺麗だなぁ……って」
 柔らかな琥珀色の瞳。優しくクレハを見つめてくれるその眼だけは、いつでもクレハの味方だった。あの暗い場所から、引き出してくれたこの人は、太陽であり、暗闇を照らす月の様である。愛おしくてたまらないその眼に見つめられるのがクレハは好きだった。
「俺はクレハの目の方が好きだけどな。優しい緑色をしてる」
「そ、そんなこと!」
「クレハ〜」
「……あ、えっと」
 シグレとの約束だった。決して、自分を卑下する言い方はしない、と。クレハの頬を撫でていたシグレの手がむに、とクレハの頬をつまんだ。大した力は入っていないが、クレハはごめんなさい、という言葉がうまく発せず、舌足らずになってしまう。クレハが謝ったことで満足したのか、シグレは手を放す。
「それで?返事は?」
 今度は具体的に返事を求められてしまった。上手くはぐらかせたわけではなく、クレハはシグレから手を放して、う、とうつむいてしまう。

「月が綺麗だな」

 視線はじっと、クレハを見つめていた。柔らかな琥珀色の瞳が、愛おしげにクレハを見つめている。そこで、クレハは思い出した。昔に読んだ、ランゲツ家・ウキョウ家の先祖の国の書物の一節だ。
「……シグレ様」
 恥ずかしそうに頬を染めて、居佇まいを小さくしたクレハに意味は分かったようだ、と伝わったシグレは膝の上で固く握られたクレハの手を自分の手で包み込んだ。返事をしなければならないようだ、とクレハは意を決して、顔を上げた。

「シグレ様となら、死んでも構いません」

 クレハがそういうと、たまらなく嬉しそうな顔をしたシグレがクレハの腕を引っ張って、そのまま腕の中へ閉じ込めた。
「し、シグレ様っ」
「んー?」
「……もうっ」
 もぞもぞと、シグレの腕の中で動いて何とか治まりのいい場所に収まるとシグレの腕の力が少しだけ強まった。離すまい、とするシグレの体にそっと寄りかかって、クレハは目を閉じる。

「……本当に、貴方が死ぬ時も、その先も、お供させて下さいね」

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