燃える火に全てを奪われた
「それでは、若くして家を継ぐことになったときとても大変だったのでは?」
「ええ。まだまだ未熟で、父はおろか兄たちにも及ばない私には何もありませんでした。そんな私でも家の者たちは信じてついてきてくれました。おかげで私は……」
日売テレビのスタジオで椅子に座って取材を受けているのは火炎陣アスナ――アスナ・アルシア・K・クラウンである。世をときめく女子高校生社長として物珍しいのだろう、日本に来てからこういった取材は決して少ないことではなく、学業・仕事に影響が出ない程度ではあるがマスコミに対してアスナは寛容である。
取材の様子を眺めているのは、暗いネイビーのイタリアンクラシコのスーツに身を包んでいる執事――サヴニエールであった。その隣に立っているのはシャツに黒いベストを着ている執事見習いであるガリオンである。二人は笑顔でアナウンサーの質問に答えている主人をみやりながら、サヴニエールはふうとため息を付いた。
「さすが、猫の被り方はよく知っていらっしゃる」
嫌味ではなく、純粋な賛辞であったが隣に立っていたガリオンには嫌味のように聞こえたのだろう彼は困ったように笑いながら、
「苦労の多い方ですから」
「確かに。……そろそろ終了予定だな」
サヴニエールは時計を確認する。基本的にはアスナは予定時間以上の行動はしない。テレビに関しても同様で、予定時刻を過ぎる質問は受け付けない。スタジオにいるアスナがちらりと時計を確認するようにサヴニエールをみやった。サヴニエールは指で残りの時間を示すと、アスナはニコリと笑ってみせる。残り時間を超えることは絶対にしないつもりだとサヴニエールは理解すると、隣りにいたガリオンの肩を叩く。
「この後は予定がない。観光でもなさるだろうから、車の手配だけしてくれ」
「はい」
ガリオンがスタジオの外に出ていくのを見ながら、サヴニエールは再びスタジオへ視線を戻す。――苦労、と一言で片付けてくれるな、とは思う。アスナという人間がどれほど過酷な道を選んだかなど誰も想像がつかないだろう。両親、兄二人の急死によってアスナは当主の座についた。そのことを揶揄するものもいる――当主につきたいがために家族を殺したのではないか、などと。仕方のないこととはいえ、と思ったところでアスナが椅子から立ち上がり、アナウンサーと朗らかに握手を交わす。その後、すぐに踵を返して戻ってくる。
アスナから預かっていたジャケットをその肩にかける。
「……思ったより長いな、何分だった」
「30分の予定でした。お疲れ様です」
周りの人間からお疲れ様でした、と声かけられながらアスナはスタジオの外に足早に出ていく。サヴニエールはありがとうございました、と頭を下げてアスナの後ろへついていくために歩き出す。イタリアンクラシコのスーツを翻してスタジオの外に出るとアスナが体を伸ばすように高く手を上げていた。はぁ、とため息を付いてアスナは肩を回すと笑う。
「この後、大阪観光でもするか。粉物が美味しいって翠と紫が言ってたんだよな」
「たまにはよろしいのではないでしょうか。幸いに今日から連休ですし、久しぶりに羽根を伸ばされるのがよいかと」
サヴニエールに言われアスナは楽しそうに笑った。日本に来てから仕事で各地に出向くことはあっても観光らしい観光もなかったなと思い起こして、たまにはいいものだ、と思う。観光するならどこがいいかな、とサヴニエールに聞けばこちらなどいかがですか、とスマートフォンの画面を出して大阪の観光名所を見せてくれる。それを眺めながら歩いていると角を走ってくる少年の影に気付かず、そのまま衝突しそうになりサヴニエールに腕を引かれ、その腕に止められた。
「わっ」
「……っと」
「失礼いたしました。……おや、江戸川様」
サヴニエールは足元を見て声を上げた。そこにいたのは江戸川コナンである。そして、彼だと気づくとアスナはニンマリと笑顔を作る。ああ、これはまずい、とサヴニエールはアスナの笑顔を見ながら数歩下がる。そういえば、アスナの父――サヴニエールが仕えていた主人は面白いことを見つけるとこんな風に笑う方だった。親子なのだなぁ、と微笑ましげに眺める。
「お前がここにいるってことは面白いことが起きそうだな」
「おい、どういう意味だよ、それ」
「そのままの意味さ。――生粋のトラブルメーカーだからな。ああ、違うな、お前はトラブルを作るのではなく、トラブルに愛されてるんだもんな」
アスナは楽しそうに笑いながらコナンに目線を合わせるようにしゃがむ。サヴニエールとしてはコナンが哀れに思えるがこうなった若い主人を止められないことをよく理解している。さ、行くぞ、とコナンの言葉を無視して突き進んでいくアスナを見ながら苦笑する他なかった。
「あれ、アスナちゃん?」
「やぁ」
スタジオに入るとアスナには聞き慣れない音が耳をついた。どうやら、CDの音源のようだが日本語であってもいまいちよく理解できない言葉である。目の前にいる蘭にスタジオで何が行われているのかと小声で問えば、百人一首だよと言われた。
「……百人一首?」
「かるた、と言われる札とり遊びの一つですね、お嬢様。中でも百人一首は日本の伝統的な和歌を書いてあり、上の句を読み、下の句を取るのが一般的です。皐月会といえば、日本でも有数のかるた協会の一つで毎年大会が開かれております」
サヴニエールからの適切な助言にアスナはなるほど、と言ってスタジオへ視線を送る。札とりと言われればやっていることも少し理解できる。
「教科書にも百人一首って載ってるんだよ」
「へぇ……」
「何か意外やな、アスナちゃん物知りやから百人一首も知ってるかと思うてたわ」
「残念ながら、あまり。母は日本人だったけど、そういうのは妹ばっかりで……」
あまり母との接点はなかったな、とアスナは思い返した。母に嫌われていたわけではなかったが、父は兄たちではなく自分を後継者にしようと思っていたらしく幼い頃からあまり娯楽には触れさせてもらえなかった。娯楽といっても、チェスやウォーゲームなど戦略的思考を高められるゲームばかりだ。如何に人を動かすか学べ、と常に言われ続けていたような気がする。
「……エル」
「はい」
「俺って、子供らしくない幼少期だったんだな」
「……お嬢様はまだ子供ですよ。まだまだ――遊び盛りでいらっしゃる」
気にすることはございません、と優しく微笑まれればアスナも少しだけ表情を緩めた。そうか、まだ自分は子供か、と口にして繰り返す。子供でいられない子供を、子供のままでいさせることは難しい。周りはアスナに大人になることを求め続けてきた。だが、それでも都合が悪くなれば子供のくせにと罵る。なんと狡いことか。
かるた、後で教えて、と蘭に話しかけているのを見ながらサヴニエールはゆるく微笑んだ。
その後は毛利探偵の取材だというので、アスナは蘭たちと一緒に退出することにした。取材は懲り懲りだというので、それじゃあ一緒に観光でもしようよという話になったのだ。――が、突然館内放送が鳴り響く。
『避難訓練を――』
「……おい、サヴニエール」
「府警が動いているようですね。……どうなさいますか」
「こちらがあまり動くと日本の警察はいい顔をしないだろう。……だが、全くあの工藤新一という男はトラブルを呼び込むなぁ」
アスナは小声で話しながら楽しそうに笑う。爆発物が、という情報が入ってきたのはその後すぐだ。蘭たちと一緒に避難することとなり、とりあえずはビルの外へ急ごう、と少年探偵団のメンバーも一緒に誘導して外に出てくる。出入り口は人でごった返しており、ビル全体に避難指示が出たことは明確だった。外にはすでに警察や消防も待機しているようでこれが事実であることを明確にしていた。
「……爆弾ね」
「お嬢様、皆様の事はガリオンが見ておりますので、お嬢様はできるだけ遠くに――」
爆発音が高らかに響き渡り、ビルに背を向けていたアスナは慌てて振り返った。
轟音とともに高く上がったのは――紅色の焔だった。
「あ……――っ」
――燃えている。
高いビルをあっという間に包んでいく火に煽られ硝子が割れる音がする。人々の悲鳴が木霊し、周囲一体は騒然としている。救急車や消防車の音が聞こえ、指示を出すものの声が劈くようにアスナの耳についてくるがそれどころではなかった。
――燃えている。
ただ、その一点だけがアスナにとってとんでもないトラウマを引き出した。
燃えている、屋敷。倒れている人。鼻をつく火薬と焦げた木と――血の臭い。
かちかちと奥歯がなるほどの震えが体中を走る。ああ、燃えている。目の前で燃えている。火が怖いと思ったことは一度もない。だが――これは。
「あっ……ああっ」
「お嬢様!?」
膝がコンクリートの上に落ちるとひどく痛む。だが、その痛みも気にならない――気にしている余裕などなかった。
あの日、炎はすべてを奪っていた。
家族も、大切な屋敷も――自分ですら。
「お嬢様、しっかりしてください! お嬢様!!」
サヴニエールの声が遠くに聞こえる。きゅ、と唇を噛みしめる。そうだ、今はその時ではない。あの時とは違う。燃えているのはあの屋敷ではない。体が震える。足が立つことを拒否するがそんな事は言っていられない。なんとか息を整えて立ち上がる。誰かの手を借りてはならない。――自分の足で立たねばならない。
「――大丈夫だ」
済まなかった、と一言謝罪をいれる。
「コナンの奴が脱出のためにいろいろしているだろう。その手伝いをしてやってくれ。ガリオン、他に怪我人が居ないか確認してそちらの手伝いを。リリララ、お前たちも動いてくれ」
適切にそれぞれに指示をだす。
ガリオンとメイドたちが動くのを確認してからアスナは小さく微笑んだ。
「……もう、父さんも母さんもいない。あそこで燃えてるのは違うものだ」
サヴニエールはそう自己暗示をかけるように繰り返すまだ幼い主人をみて、小さく唇を噛み締めた。
――炎は嫌いだ。
全てをなくして、なかったことにしてしまうから。