ホイップ


 ジェレミア・ゴッドバルトはエリア11の軍部において管理官の役割を与えられている生粋の軍人である。が、管理官である彼にも当然休暇が存在し、急な呼び出しがない限り休暇は家で過ごすと決めている。エリア11ではテロが多く、休暇と言っても軍務で呼び出されて休暇らしい休暇を過ごすのは本当に久しぶりだった。少し遅い朝食――ブランチを婚約者のイブニングと共にした後は、家を管理してくれている執事にお茶を頼み、自室にこもって本を読んでいた。昼食後、イブニングはやりたいことがあるから、とジェレミアとは行動を別れて、メイドたちと共にそそくさといなくなってしまった。
 ――時間も忘れるほど、読書に熱中するとはまさしくこのことで、ふと気付いた時には三時間ほど経過していた。すっかりと紅茶が冷めてしまっており、口に含むと特有のえぐみが喉をついてジェレミアは顔をしかめた。集中していて飲み忘れていた自分も十分に悪いが、淹れ直してもらうべきだな、と本にしおりを挿して、立ち上がろうとして部屋がノックされた。
「――イブニングです。よろしければ、三時のお茶でもいかがですか?」
「いいタイミングだ。丁度、お茶を頼もうと思っていた所だ」
 ドアを開けて、ジェレミアはイブニングを迎え入れた。先程と変わらぬふわりとしたワンピースだが、その上にはたっぷりとフリルのついた白いエプロンをつけており、ワゴンの上には紅茶のセットとたっぷりとホイップクリームの絞られたシフォンケーキの乗ったお皿が二組ずつある。
「あの、ご迷惑かと思ったのですが……お姉さまからレシピを習ったので、シフォンケーキを焼いてみて……その」
「ああ、いただこう」
 良い香りだ、と目を細める。イブニングは照れたようにそらしていた視線を上げて、嬉しそうにジェレミアを見上げると微笑んだ。そして、ふむ、と気付いてジェレミアは部屋を見渡した。ジェレミアの行動にイブニングは少し首を傾げてみせる。
「うむ……ここでは些か殺風景だ。丁度、庭でラナンキュラスの花が咲いている。サロンまで行こう」
 イブニングの手からワゴンを取り上げてジェレミアは笑いかけた。ほら、行くぞと振り返って笑うジェレミアにイブニングははっと気付いて、それを追いかけるようにして走り出した。ジェレミアは歩幅を控えて、イブニングに歩く速度を合わせる。通りすがったメイドたちが、私達が支度しますがと声をかけられるがジェレミアはそれを断り、自分たちで構わないと告げてサロンまでイブニングをエスコートした。
 庭には満開のラナンキュラスが色とりどりに咲いており、イブニングはその良い香りに目を細める。
 紅茶をポットからカップへと移して、イブニングは二人分をテーブルに置くと、シフォンケーキもジェレミアの前へ置いた。柔らかそうなシフォンケーキの隣にはたっぷりとクリームが添えてあり、ジェレミアはイブニングが見つめてきているの気付いていたがあえて何も言わずに、ぱくりとシフォンケーキを口に放り込んだ。
「うん、うまい」
 その言葉を聞いて、イブニングはよかった、と安堵した表情を見せて、漸く紅茶に口をつける。
「自分で一から?」
「はい。シェフの皆さんには止められたのですが……その……シュナイゼル殿下はお姉様の作ったものを喜んで召し上がると聞いたもので…………私も、ジェレミア卿に作って差し上げたくて」
 良かったです、と笑って自分の分のシフォンケーキにフォークを入れて一口に切り分けると、それをフォークで刺してたっぷりと生クリームをのせると口へ運んだ。サロンには風が柔らかく吹き込んできて心地よく、暖かな日差しは午睡をするにはちょうどいい気温になるだろうと思う。
「なんだか、すごく嬉しいです」
 イブニングが紅茶のカップを支えながら、優しく微笑んでいた。
「軍属である以上仕方ないのですが……こうやって穏やかな休日を過ごせてよかったです」
 面を食らったようにジェレミアはイブニングを見る。イブニングはKMFの開発をしている以上、軍部との関わりも深く、突然のKMFの出撃に合わせて調整させられることも多いからか、ジェレミアがこうやって休暇を過ごせるのはとても特別なことだと知っているのだろう。いや、そもそもイブニングは最も過酷な日々を過ごしていたであろうシュヘンベルグ大公爵の元で過ごしていたのだから、休暇が突然消えるということもたくさん経験してきたのだろう。
「……そうだな。イブ、この後少し外出するか」
「え? でも、呼び出しがあったら」
「多少ならどうでもなるだろう。ああ、自然区域で馬の遠駆けにでも行くか」
「わ、私、乗れませんが……」
「私の前に乗れば問題ないだろう? 私がしっかりと手綱をとるさ」
 穏やかにそう告げて、ジェレミアはイブニングの手を掴むとその手の甲にキスを落とす。眼の前で、みるみる白い肌を、赤くして口をパクパクと開いたり閉じたりを繰り返すイブニングを見て、ジェレミアは楽しげに笑った。

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