に染まる徒花


 偶然にも高校時代の同級生を見かけたときにはどきりとした。黒いくせ毛。高校のときは、眼鏡を使っていた記憶があったが太い縁の眼鏡は彼女の顔にはなかった。一瞬、違う人かとも思ったのに、それが間違いなく高校時代の同級生だと確信したのは、どことなく人とは一線違う何かを見つめているその青い瞳だった。自分と同じ背広を着ていた。高校当時ならば想像もつかないくらい膨らみのある膝丈の|洋袴《スカート》を履いており、控えめながらも整えられた化粧が、自分とは何かが違うと思わせた。七年会わなかったが、どことも変わっていないと言えるのに、こんなにも人が違うと思わせる同級生は初めてだった。
「よぅ、佐登」
 声をかけてみた。彼女はわずかに目を見開いて、こちらを見た。青い瞳は眼鏡を掛けていた頃には想像もつかないほど大きく、かつては鋭さすら感じていたのにちょっと違う印象を感じた。一瞬、考え込む素振りを見せて、当たり障りなく――久しぶり、と彼女は応えてみせた。
「高校以来だな。今、何してるんだ?」
「と或る会社で社長秘書を」
 社長秘書、と言われ彼女の背広ながらもどこか着崩された、というよりも洒落気のある赤い飾り襯衣や黒いスカーフを見てどことなく納得がいった。佐登、と呼んだ同級生はあまり記憶に残っているわけではないが――学級の中では、非常に消極的で、誰かの輪に積極的に入っていく性格でもなく、特定の仲の良い人物と話すだけのそういう人物だった記憶。成績はそこそこ良かったが、どうにも他者と深く付き合おうとはせず、どことなく暗い印象。何人かは面白がって声をかけていたようだが、それすらも煩わしそうに――教室の端で、本を読んでいるようなそんな感じ。少なからず、自分は高校時代に彼女と話したのは班分けが一緒になった時に少しだけ。
 だから、こう。何が違うと言われたら、判断に困る。だが、明確に、確実な違和感を感じる。佐登、という人物は裸眼でいることに強い抵抗感を感じていて、眼鏡を外すなんて滅多になかったし、こちらから話しかけて一度も動揺することもなかった。いつも、誰かと視線を合わせることを嫌っていたのに。
「……何か、変わった?」
 つい、口についた。佐登はどうだろう、と小首をかしげた。
「別に何かが変わったつもりはないよ」
 どこか毅然としていて、どこか堂々としていて、彼はどうしようもなく心臓がうるさい。佐登は静かに背広の内から金色のねじ巻き式の時計を取り出して時間を確認した。どう見ても、アンティークの特別なものだ。
「ご免なさい。そろそろ、社長が戻られるから」
「お、おおう。済まなかった」
 佐登はゆっくりと丁寧なお辞儀をすると、大きなビルの方へ向かっていく。しかし、足を止めて、ゆっくりと彼に振り返ってみせた。
「今日の夜道は気をつけて。――特に、月が隠れた時は外に出ないほうがいい」
 たった、それだけ。何だ、その不穏な言葉はと、首を傾げると、そう言えば、昔から佐登はこんなことを口にすることがあった。それを口にされた人は、後すぐに事故が起こったりするから、と彼女を気味悪がっていた。
 再び、佐登がビルの方へ向かって歩き出す。すると、黒い外套に赤いストールをかけた男が出てくる。数人の護衛と思わしき黒い背広の男たちに囲まれたその人物は佐登を見つけると、穏やかに微笑んでみせた。何を話しているのか、彼には聞こえなかったが、ついつい、彼は佐登と、その男の様子を眺めやってしまった。
 ――目があった。
 男の赤紫色の瞳が、彼の瞳を射抜いた。ぞわり、と背中になにか、嫌な気配が通りすがって足が止まる。逃げなくては、などとわけのわからない警鐘が頭の中で鳴り響くのに、それすら、いや、呼吸すらままならない気分だった。
 佐登は数度、言葉を交わすと、黒塗りの車に男を促した。視線から、逃れて漸く呼吸が戻ってきた。心臓に血が通っているということを理解できた。慌てて彼はその車から離れるようにしてもと来た道を戻り、自分の会社へ戻ろうと決意した。何の用事があったか、なんてすっかり頭から抜け落ちていたのだ。


「首領、彼は高校の同級生です」
 佐登は物静かに手帳を開きながら目の前に座っている男――森鴎外へ話しかけた。鴎外はへっ、と少し間の抜けた声を出してみせたが、その目は笑っていない。赤紫色の瞳が妙に爛々としているように見えて、佐登は少しだけ顔をひきつらせた。
「でも、仲良さそうだったじゃない」
「あれが仲良さげに見えるのでしたら、首領は私は随分と社交性が有るように見えておられるようで」
 ――言葉の端に、節穴ですか、と込めているのを確りと読み取った鴎外は愉快げに目を細めた。
「何が視えたのかな?」
「……彼が、銃弾で撃たれるところを」
 佐登はわずかに表情を暗めた。いつまで経っても慣れることのない、人が死ぬ光景の予測。況してそれが、関わりが薄かったとは言え級友であった男ならば、なおのこと思うところがあるのだろう。――だとしても、彼の傍で仕事をすると決めた自分は乗り越えなければならないことなのだろう。
「私がするとは限らないよ?」
「……そういうことにして、おきましょう」
 佐登は表情を一変させた。鴎外はその表情を明るめた。満悦気味に頷いて、深く革張りの座席へ腰掛けた。
「矢張り、君が秘書で良かったよ」
「……っ、あ、有難う、御座います」
 どういう形であれ、鴎外に認められることは心臓が高鳴る。矢張り、厄介な気持ちなのだ。此れで、おそらく級友であった彼は闇夜に消える可能性があるというのに、抵抗感が少しずつ、少しずつ薄れていく。
 ――毒だ。
 ――彼の声は、毒だ。
 じわじわと自分の中を侵していくその毒の感触を嫌ではないと思ってしまう。侵されていくことを悪いこととは思えなくなってきている。
(闇の花は、闇にしか憩えない)
 新しい友となった、五大幹部の一人の言葉を思い出した。光で育てられた花が、光から闇の中に放り込まれれば、あっという間に闇の中に適応しようとしている。闇の毒を生きる糧として、毒々しく咲こうとしていた。
(……なんて、人間だ)
 自分は、普通の人間じゃなかったのだろう。あの世界へのとんでもない違和感はこれが正体だったからではないだろうか。佐登の手を、鴎外の手が這うように撫でてくる。甘い、熱を持った感触に、頬が熱くなって目をそらしてしまった。
「駄目だよ、暮」
 ――名を呼ばれるのは、心臓が高鳴る。耳から通る声が背中を掛けると、震えた。「こっちを見て、」とたった一言言われるだけで、ゆるゆると視線が上がる。赤紫色の瞳と目がかち合うと、佐登は静かに目を閉じた。

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