愛されることは罪ではない
彼女の名前は福沢アスナという。血のように赤い髪、星のような黄金の瞳、白い肌、日本人と言うにはスラリと伸びた細身の肢体――――アスナは凡そ、日本人から離れた外見をしているが、一応、国籍は日本に置かれている日本人である。まあ、詳細は省く。アスナはこの福沢家の養い子であり、養親は福沢諭吉という男で十五歳で女であるアスナに慎みを持ちなさいとか、勉学に励みなさいと常々口うるさく、然し温かみのある言葉で接してくれるので、血がつながっておらずとも、アスナにとって彼は父親で相違ない。血は確かに家族の定義の一つではあるが、一つでしか無い。血がつながっておらずとも良い家族になれるということを知っているアスナは、福沢を心から慕っていた。
深い、深い眠りから覚めると、見慣れた和室と布団。自分はいつもどおりの和服の寝間着をまとっており、重たいまぶたをこすりながら、布団から這いずりでた。アスナは今日から学校が長期休暇に入る。学校が休みになるからと言って、怠惰な生活は送るな、と父が厳しく言いつけていたせいでアスナはいつもどおり目が開いてしまった。もう、今すぐにでも布団に戻りたい衝動に駆られるが、戻ってしまったらきっと父がすごい剣幕で布団を引き剥がし、アスナを庭先に放り出すだろう。読める、その展開が明確に見えるのでアスナは諦めて冷たい水で顔を洗って目を覚まそうと洗面台へ向かった。
「お早う、良し、起きたな。上々だ」
洗面台では丁度、身支度を整え終わったばかりらしい父――福沢諭吉が満足気に数度頷いていた。ふわあ、と大きな欠伸をしながらも、何とかお早うと答え、洗面台を譲ってもらう。髪に寝癖がついているぞ、と教えられたので愛用の電気髪鏝をコンセントに刺して、温めておく。お湯ではなく、水をひねった娘を見て、福沢がふと笑った。
「冷えるぞ。お湯にしたらどうだ」
「……え、寝直していいの?」
「庭先の冷たい土で寝たいのならば、そうすれば善い」
先程のお湯を使えという優しさと、今の冷たい土で寝ろという厳しさの共存は流石に風邪を引いてしまそうだ、などと思いながらアスナは冷たい水で顔を数度撫でた後、それを捨てて本格的に顔を洗うためにお湯をひねった。それを見守った後、福沢は「私は朝食の支度をしてくる」と言って、洗面所から消えていった。ばちゃばちゃと顔を洗いながら、んー、とだけ返事をする。学校が休みだから、探偵社の手伝いができそうだ、とか。一日だけお休みもらって、クレープを食べに行こうかな、とか。いろいろ考えながら、休み中の計画をたてることにした。せっかくだから、少し遠出してみるのもありだろうか、とか思っていると電気髪鏝が温まったことを教えるので、アスナはそれを髪に当てていつもどおりのボブヘアーになおしていく。すると、暫くしてアスナが起きた直後と同じような大きな欠伸を上げて、乱歩が起きてきたので顔を洗う彼のために洗面台をはんぶんこした。
「ちょっと、狭いんだけど」
「私だって終わってないもん」
「いいから、お前たち言い争いは後にして、さっさと支度を済ませて朝食を食べろ」
乱歩と言い争いをしながら支度をしていたせいで時間がかかってしまうと、福沢から怒りの声が上がる。うわ、と二人で揃って慌てて支度を整えると、福沢が猫をなでながら待っていた食卓へ駆け込んだ。いつもどおりの純和食。アスナは箸に手を伸ばして、頂きますという号令の後に、福沢たちに倣って食事を口にした。
「アスナ、乱歩、私は数日出かけるが、家のことは任せてもいいか」
朝食の折、二人を呼び止めた福沢の言葉に二人が目を見開いた。何時も、口争いをしているが二人は仲良しで、実の兄妹のように過ごしているのを福沢は解っているので、二人きりでも大丈夫だろうと思う。乱歩はこう見えても善い兄であるし、アスナは普段ぐうたらしているように見えるがやろうと思えば何でも出来ることを知っている。
「いいけど、福沢さんは?」
「私は親戚から声がかかってな……しばらくそちらへ言ってくる。社の方には伝えてあるので、気にするな」
それ以上詮索しない乱歩は恐らく、福沢が何をしに行くのかわかったのだろう。乱歩が詮索しない以上、アスナもそれ以上聞くつもりはなかった。福沢がいないなら、朝食当番とお弁当係と、夕食係を乱歩と分担してとか、互いに目を合わせて相談しようとしたところで、福沢がはたと気付いたようにアスナを見た。
「……否、矢張り、アスナ。お前も来てくれないか」
「え、いいけど」
「いいのか? 学友たちと約束はないか?」
「ないよ。私、家業の手伝いがあるから、忙しいって言ってあったから」
福沢がアスナをわずかばかり睨みつける。学友を優先しろと言っただろう、と言わんばかりの目だが取り合わない。絶対に目を合わせてなるものか。乱歩が少し不満そうな顔をしていたが、しかし、まあ、しょうがないねと言わんばかりだ。
「乱歩はいいの?」
「だって、僕が行っても仕方ないしね。アスナのほうがいいよ」
「ふぅん」
アスナはそれ以上聞かない。乱歩もそれ以上云わない。この二人はこういう二人なので、福沢もそれ以上は云わなかった。日帰りで帰る予定ではあるというので、アスナは出かけるためにどれを着ようかと洋服箪笥を開けるためにいそいそと朝食を食べ終わったら、片付けを乱歩に任せて自室に戻った。
白い綾織のワンピースに乱歩が誕生日プレンゼントに買ってくれた帽子をかぶって、手には一応荷物を入れるためのトランクを一つ。見た目だけならば、どこぞのお嬢様で行けそうだよ、という乱歩に褒め言葉有難うと返して、いつもどおりの和装の福沢の隣に立つ。
「では、乱歩。家のことも、社のことも頼むぞ」
「勿論、任せておいてよ。アスナ、福沢さんに我儘言うなよ」
「はぁい」
アスナは乱歩に返事をして先に歩き出した父の背を追うようにして歩き出した。ブーツがよい音を立てているのを聞きながら、乱歩は玄関の柱に身を預けて、それを眺める。
「多分さ、君は愛してる、っていうんだろうねぇ」
そこは遠方の地であるようで、アスナは初めて新幹線に乗ることとなった。父と二人、似ていないものの一緒に歩いていると親子に見られる年齢差である。アスナは新幹線の中で、お弁当を購って福沢と食べる。食べ慣れないが、とても美味しかったので味を確りと覚えて、乱歩にも作ってあげよう、と心に決めた。
「んで、誰を迎えに行くの?」
お弁当を食べて、お茶で一服といった時分。アスナは漸く福沢へ問いを投げかけた。福沢はしばし瞠目した後に、話すつもりになったのだろう佇まいを直す。
「私の親戚には孫娘がいてな。――どうやら、異能力者らしい」
「嗚呼、成程。もういいよ、察しがついた。まあ、異能力者はその能力に寄っては相当嫌われるからねぇ」
アスナはアスナらしからぬ黄金の瞳を瞬かせて早口で言い切った。何とも気分の悪い話であるが、異能力者というのは気味悪がられることがほとんどだ。社会に対して有用な、と判断されれば重宝されることもあるし、能力によっては利用されることもある。先の大戦で異能力者たちが活躍した、ということもあってか、異能力者に対して偏見的な見方もあるご時世だ。話を深めていけば、その子は今、蔵の中で隔離されているらしい。まあ、自分だって福沢の養子にならなければそういう蔵、とは云わずとも研究施設で一生を過ごしていたかもしれないし。
(まあ、"私"達は世界に不干渉が基本なのだけれど)
アスナは、此れまでの私とは明確に違う存在だ。何故、そんな風に設定されたのかアスナにはわからない。全てを司っているのは塔の住人たる彼女だけだ。アスナは異能力を与えられ、人として生きて、成長するようにプログラムを組まれ、そして、ぽつんと、世界に投げ出されただけ。恐らく、福沢と乱歩が見つけて面倒を見てくれるようになるところまで彼女からすれば予測済みなのかもしれないが――――そこまで考えたところで、福沢がお茶の缶を窓枠に少しだけ設けられているスペースに置いた。
「従兄は私に保護を求めてきてな」
「……従兄さんはともかくとして、福沢さんは親権も何もない他人だよ。そんな事すれば、誘拐と云われても仕方ないんじゃない?」
アスナの発言は最ものことであった。まあ、福沢の次の言葉は予測できていたが。
「養子縁組の申し出をすでにしてある。後はあちらがどうするか、確認をするだけだ」
このお人好し、という言葉を口に出さなかっただけ褒めてほしいものだ。福沢は頑固なので、決めたらきっと揺るぎなくそれを実行するに違いない。アスナはその言葉を福沢の口から聞きたかっただけなので、反対するとも賛成するとも云わなかった。
「乱歩くんも何も云わなかったし、私は何も云わないけど。いや、抑、私、福沢さんの養子だし」
「……いや、お前に事前に確認しておくべきだったとは今思っている。お前は、私の娘なのだから」
福沢が表情を暗めたのを見て、アスナはきょとんとした後、ははと笑った。なんて、らしいことを言うのだろう。娘か、娘、と数度繰り返した後、アスナは嬉しそうに頬を染めた。アスナは大人びているし、そんな表情をすることが多いが、まだまだ十五歳の子供である。
「お父さんが決めたことに反対なんてないですよ」
アスナが緩やかにそういうのを聞いて、福沢は表情を緩めた。
よくある田舎の旧家なのだという。二人でその従兄の家を尋ねると、出迎えた年若い女性にジロジロとアスナも福沢も見られてしまった。――――物好きが訪れた、と言わんばかりの目である。アスナはふと、少女の気配を感じて家の庭にある蔵へ視線を向けた。ふぅん、と呟いた後、福沢が家の中に案内されていくのを追いかけた。お茶を出され、対面には初老の男性。いかにも福沢の従兄、という毅然とした男であるが、何処か憔悴しているようにアスナには見えた。
「諭吉、この子は?」
「私の養い子だ。事情があって、私の娘として育てている。……アスナ、挨拶なさい」
「福沢アスナといいます。どうぞ、宜しくお願いします」
最大限いい子ぶって爽やかな笑顔をしつつも内心はどうでもいいと思っていた。
「外国の私の友人の子でな……友人が早くに亡くなり、引き取ることになった。親類もないのだ」
「そうだったのか……大変だったね」
「いえ。父はとても私に優しくしてくださいますし、周りの方も気を使ってくれるので」
どれほど大きな猫をかぶっているのだ、お前は、と言わんばかりの目を福沢にされてしまったが、アスナは気にせずいい笑顔を続けた。そして、ふと今気づいたかのように視線を蔵に向ける。
「うわぁ、大きな蔵ですね」
アスナが子供らしくそういう声に、その場にいた大人全員の肩がビクリと震えた。ああ、そういう事、と思ったが表情には出さない。子供を閉じ込める相場は蔵とよく言うが。
「……アスナ、少し込み入った話をするからお前は庭を散策させてもらいなさい。――――善いだろうか」
「勿論。アスナさん、気をつけてください」
「はい、有難うございます」
――――何に、とは云わなかったな。
アスナは許可をもらって庭先に出ると、蔵のところへやってきた。込み入った話というのは要するに養子縁組のことで、まああの祖父殿や、両親の様子を見ればあっさりとまとまりそうだな、というのがアスナの感想であった。問題は、この蔵の中である。どうせ誰もいないし、使ってもいいだろう。
「異能力――――『最果てへと至る門』」
アスナの中に、何か大きな門が現れるようなそんな感覚がして。しかし、実際にアスナの足元に円が現れるとアスナはそれに吸い込まれるようにして消えていった。とぷん、と小さな音を立てて、そこから消えたアスナのことには誰も気づかないままである。そして、アスナは蔵の中に出口を設定するようにして、――――落ちた。
がしゃんと大きな音を立て、そして沢山の本が崩れる感触を感じながらもアスナは何とか起き上がると、そこには少女が一人。淡い金色の髪に、躑躅色の瞳。目がバッチリと合う。
「え、えええええ!?」
「お、君か〜はじめましてこんにちは!」
とりあえず、元気よく挨拶。此れ、友達作る時すごく大事だもんね。驚いた顔をしていた彼女はアスナを見て動揺している。上から降ってきたが上には何もない。ない、筈だ。少なからず、人が降ってこれるような穴は天井にはなくて、彼女はどうやって入ってきたのだろう、と不審者を視るような目で見てきた。
「まあ、不審者だけど」
アスナはポケットから棒付きの飴を取り出して、ぱくりと食べた。
「君が里ちゃん?」
「……え、あ、…………はい」
そっか。はい。
その後、沈黙。アスナは本の上に腰掛けて、じいと里という少女を観察していたし、里もまたアスナを観察していた。本当にこの人どこから入ってきたんだろう、という疑問がありありと浮かんだ顔をする里にアスナはくす、と笑った後に、一言。
「入ってきてないよ」
「え?」
「現実の君の前に私は現れていない」
わけが分からない、と言わんばかりの顔をする里に大してアスナは飴を一つ差し出して、口の中へと入れた。
「私の異能力はあくまでも、自分と他者の夢をつなぐだけ。――――夢を介して現実へ行き来出来るけどね。でも、君の扉を開けるべきは私じゃない」
アスナは黄金の瞳を瞬かせながら、少しだけ先にキミを見に来ただけだ、と言って立ち上がる。
「ここは君の夢。うん、なかなか良く出来てる。此れが――――君の世界なんだね」
ぐるりと見回して、アスナは本を一つ取ると、上へと投げた。ばさり、と落ちた本が連鎖的に崩れていくのを眺めながら、退屈だね、という。里にとってはこの狭い世界が全てである。友達からは逃げられ、家族からは疎まれ。誰も傷つけなくていい空間は此処にしか無い。
「――――何も知らないのに、」
「そう、何も知らない。君も、私もね。世界なんて、もともと、広いようで狭いから」
どうせ、一人の人間が人生で体験できる出来事なんて限られてるんだから。諦めたように言うその瞳は何処か、侮蔑が混じっているように見えて、里は慄いた。殺気、とも違う。目の前にいるのは自分よりも少し歳上なだけのお姉さんだ。人生経験が豊富そうかというとそうでもなさそうなのに、今、あの人からにじみ出ているのは里の世界を明確に揺らがせた。
「君は人間だから、こんなところに閉じこもってたら永遠に狭いままだよ」
里が恐れる扉の方へ、アスナはためらわずに進んでいく。
「――――どれだけ、他者を気にしたところでね」
アスナは扉の鍵をあっさりと開けてしまうと、扉からこぼれ出てきたのは光だ。
「結局自分の人生の決定者は自分だよ、"福沢"里ちゃん?」
その人は、光の中へ消えていってしまった。行かないで、と手を伸ばしてみたところで、里ははっ、と意識を取り戻した。蔵の中はいつもどおり、少し薄暗い侭で、誰もいない。自分ひとりだけの、本が積み上がった空間。彼女は一体何者だったのか、里にはわからないままだが、口からはじんわりと、甘い林檎の味がしていた。なんだろう、と思ってみれば、がた、と外から音がする。
「アスナ、何をしていた?」
「ただ、散歩してただけだって」
外から二人、人の声がした。片方は壮年の男の人の声で、もうひとりは――――先程の夢で聞いた声。ぱちぱちと、目を瞬かせていると、扉がゆっくりと開かれて、光が差す。その光は眩しくて、里はしばし、目を開けていられなくなったが、伸ばされた手に気付いた。
「私と一緒に来ないか、里」
自分に伸ばされている手の元は壮年の男性。そして、その後ろに見えるのは赤い髪。
「ほらね、言っただろう」と言わんばかりに、口元を釣り上げる彼女は、今日から里の姉になるらしい。