――――ジリジリ、と日差しが照りつけたコンクリートの熱が不快指数をどんどんと高めていく。熱で立ち上る蜃気楼を、クーラーでしっかりと心地よい温度、いや、アスナからすれば幾ばくか寒く感じる校舎の窓から眺めていた。外に出たら暑いでしょうね、なんて当たり前のことを考えつつ、授業が右から左へと受け流していく。どうせ、このくらいの勉強は既に中学を卒業する前に終わっていた。改めて、復習するのも億劫に感じる。それよりも、次のドレスのデザインに没頭したい。新しい服のイメージがあるのだ。新しい化粧品のサンプルが届いているのだ。次のファッションショーや展示会の構想案が届いている、と紅葉からメールが来ていたのだ。

「おい」
 あら、不快な呼び止め方。アスナが振り返ると思ったとおりの人物がそこに立っている。竜ヶ崎仁。アスナの双子の弟だ。よく見れば、似ていないこともない。アスナは少し呆れたようにしながら、仁に近づくとネクタイへ手を伸ばした。
「千鶴ばかりにやらせてるから、こんなだらしがないのよ?」
「……うるさい」
 それ以上の反論をしてこないところを見ると、自覚はしているらしい。弟のわかりやすい表情にアスナはくすりと笑うと、呼び止められた理由もおおよそ予想がついているので、そのまま仁の少し後ろを歩き出そうとして、仁が思い切り不愉快そうに顔をしかめた。
「隣でいいだろう」
「あらあら、恐れ多いわ。仁様のお隣だなんて」
「白々しいぞ」
「本当よ」
 あなたが一番良く知っているでしょう。
 この二人の間に空いた距離こそが、明確な溝だった。対等な双子であるはずなのに、全く対等にはなれず。竜ヶ崎の次期総領である仁と、竜ヶ崎家の居なかった子供であるアスナとでは立場が違いすぎる。きっと、父親はアスナが仁と対等に物を発言しているなどと知ったら、どんな罰をアスナに与えるのだろうと思う。暑いはずなのに、寒気がする。
「……ごめんなさい、なんでもないわ。早く行きましょう」
 お昼ご飯、食べる時間なくなっちゃうわよ。
 アスナはそう言いながら、仁の隣をするりと抜け出して歩き出してしまう。

 ――――子供の頃から、私達は対等ではなかった。



「姉さん、姉さんっ」
 読んでいた本から、顔を上げる。ぱたぱたと廊下を走る音が聞こえ、漸く聞き慣れてきた弟の声に嬉しくなって笑ってしまい、アスナは椅子から飛び降りて、ドアを開けた。視えたのは両手いっぱいに花を抱えている仁だった。
「おにわで咲いたんだ」
「すごいね、だいじょうぶ、虫はついてなかった?」
「うん、千鶴が見てくれた」
 かざろう、と仁がいうので、傍にいたメイド服の女性が仁から花を受け取ってくれた。仁はアスナの手を引っ張ると、部屋のソファに二人で腰掛けて色々話をした。仁は今日やった勉強のことや、家のこと、千鶴と何をしたか、ここから出ることのない姉であるアスナに詳しく教えた。こんな本を読んだから、今度、ここに持ってくる、とか。美味しいお菓子があったから、今度は姉さんと一緒に食べたい、とか。そんな、子供らしい他愛のないことだ。
 この頃、仁は姉が病気だと聞かされていた。五歳になるまで、姉に会えなかったのも姉の体調が芳しくないからだと聞かされていた。使用人たちも、慎家の人たちも仁にはそう伝えていた。実際にはアスナは病気でもなんでもなく、ただ、竜ヶ崎家で、仁の双子として認められておらず、ただただ幽閉されていたに過ぎないのだが。アスナはそれをよく理解していて、その役割を演じた。偶然、竜ヶ崎の屋敷で迷子になっていた仁がいなければ、一生自分は弟と出会うことはなかっただろうとも思ってしまうくらいには。
「仁、楽しい?」
「うん、姉さんは?」
 アスナは、一瞬だけ、答えに窮した。外に出たい、と思う気持ちが少しだけある。でも、仁のためにも自分はここでおとなしくしているべきなのだ。だから、仁へ向ける答えは何時でも同じだ。
「もちろん、たのしい」
 楽しくなくても。
 仁が来てくれれば、楽しいことは事実なのだから。すると、メイドの一人が静かにやってくると仁にそろそろアスナ様はお休みにならないといけませんから、と伝える。そうだった、私は今病気という事になっているのだった。少し残念そうにするが、聞き分けの善い子供だった仁はあっさりとアスナの傍を離れていく。次に会えるのは、三日後か、一週間後か、それとも一月も間が空くかはわからない。全ては仁に対する教育がどれほどかだ。――――変わって、あげたいと思うことすらあるが、それすら叶わない願いだ。
「おやすみ、姉さん」
 ――――早く、元気になって一緒に勉強しよう。
 うん、と返事をしてあげられなかった。そうだねと、言ってあげられなかった。
 それから、数年も経たないうちに、仁は自力でアスナの状況を掴むと、周りの反対も押し切って、初めて父親にすら反抗して、アスナが自分の姉であることを認めさせた。だから、アスナは初めて、屋敷から外に出た。仁に連れられた一歩は、今でも覚えている。晴れていればよかったのに、と仁は口にしたけれど、夏の、少しだけ太陽が出ている雨はキラキラと光っていて、とてもきれいだった。アスナの中では一生忘れられない、世界で一番美しいと思った景色だ。


 あれから、一緒に勉強しようという願いはあっさり叶えられ。東雲学園で同じ学舎、机を並べて勉強できる日々にアスナはすごく感謝をしている。たとえ、後数ヶ月の出来事だったとしても、最後のわがままが通ったのだから満足すべきなのだろう。――――一生と、三年間一緒にいることができた。仁と一緒に学生をすることができた。満足だ。これ以上ない。
「アスナ」
 呼び止める、仁の声がする。なぁにと、振り返ると仁が笑っていた。
「楽しいだろう?」
 アスナは目を見開いて、そして、笑った。

「当たり前じゃない、楽しいわ」

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