夏子と暮の事件簿 with広津親子
朝から鼻歌でも聞こえてきそうな佐登の様子に朝食の片付けをしていた鴎外は苦笑した。
今日は休日で、佐登はこれから出かける予定がある。少し年下の友人と遊びに行くのだそうだ。お洒落をして、化粧もいつもよりも少し華やかな印象だ。髪の毛のまとめ方もわずかに違いがある。それほど楽しみにしている友人は実は男なのではないか、と一瞬勘ぐってしまいそうになるが、佐登の不貞は疑わない。今回の相手は鴎外もよく知っている。武装探偵社の天宮夏子という事務員だ。れっきとした女性だし、何も心配はいらない。
「どうでしょう!」
くるり、と回った佐登に合わせて、先日購ってあげたばかりの柔らかなシフォンスカァトもふわりと舞う。春らしい装いで、今日でかけるのが自分ならば文句の付け所がなかったのだが、と鴎外はかわいいよ、と言いながら考えた。しかして、それを口に出せば、佐登からの顰蹙が向けられてしまう。善い大人の顔をして送り出してあげねばならない。
「ハンカチとポケットティッシュは?」
「持ちました!」
「携帯電話」
「念の為二つとも常備です!」
「非常用の通信機」
「えっと、イヤホン型のが鞄の中に!」
「GPS」
「ブローチとして、襟元に」
「今日の護衛は?」
「広津さんと桃子さんが見えないところからついてきてくれる予定です」
「うん。じゃあ、門限」
「子供じゃないです」
「門限」
「……………九時には家につくように帰ります」
「はい、よろしい」
鴎外がにこりと笑う。持ち物検査をされた挙句、門限までついているなんて自分は一体いくつの子供なのだろう。一寸、否、たしかに過分に頼りないところはあるかもしれないが、これでも成人済みなのだが。鴎外は満足したのか、時計を見て、ほら、と佐登を促す。今日は鴎外も休みで、いつもなら一緒に読書をしたり、一緒に映画を見たりするのだが。今日はエリスと留守番である。エリスと一緒に玄関まで見送りに来て、一度、ぎゅうと佐登を抱きしめる。
「大げさですよ、一寸街に出るだけじゃないですか」
「わかってるけど、寂しいのだよう……」
「クレ、お土産買ってきてね!」
「はい。美味しいケェキ購って来ますね」
鴎外の腕から抜け出して、佐登はエリスの視線に合わせてかがんだ。エリスも鴎外を真似てか、佐登に思い切り抱きついて、その頬に口づける。最近では出かける時も、寝る時もこんな感じだった。口づけを返さないと、エリスはむくれてしまうので、佐登は軽く触れさせる。口紅がついてしまわないか心配だったが、どうやら杞憂だった。エリスの薔薇色の頬は変わらずだ。
「ふふ、いってらっしゃい」
「いってきます……首領、どうして、泣いておられるのです?」
「いいや、なんでもないよ。私には、ないの?」
口元を抑えて泣いていた鴎外がけろり、と元の調子を取り戻して佐登に笑いかける。これも毎度のことで、エリスにすると鴎外も同じことをせがんでくるのでどうしたものかと思う。エリスにするならまだしも、鴎外にするのは恥ずかしいのだ。うっ、と困った顔をして、訴えかけてみるものの鴎外が両腕を広げて待機している。仕方なし、と佐登は少しだけ背伸びをして、鴎外の頬に軽く触れるだけの口づけをした。それに鴎外も返すように佐登の頬に口づける。
「いってらっしゃい」
「……これ、絶対しなくちゃ、だめなんですかね」
「だめかな」
とてもいい笑顔の鴎外に見送られて、佐登は漸く自宅の扉を開けて外へと出ることができた。まあ、外とは行ってもしばらくはマンションの廊下だ。玄関を開けてすぐに、広津と桃子が揃って待っていた。きっちりと両手を後ろで組んでおり、佐登が出てきたことを確認するとまずは桃子がニコリと笑って、おはようございます、と挨拶をくれた。
「朝から仲睦まじいですな」
広津は鷹揚にそういう。おそらくは玄関先すぐの会話だったので聞こえていたのかもしれない、と佐登は気づくと一気に顔を赤くした。違います、と弁明したかったが何が違うのか、という話になりかねないので口をつぐむ。こういうときは下手な返答はせず、さっさと進んでしまうのに限る。学んだのだ、この数年で。佐登は今日はよろしくおねがいします、とだけ二人に伝えてスタスタと歩いていく。そんな佐登の耳は赤く、広津は肩をすくめ、桃子は苦笑してみせた。
「伯父様、佐登秘書官は初なのですから、からかってはいけませんよ」
「わかっていてやっているのだがな」
「広津親子、うるさいですよ!」
――――揶揄われるのも、毎度のことである。
品のいい喫茶店が今回の待ち合わせ場所である。広津と桃子は佐登に比べ、少し遅れて入店する。他の黒服の護衛たちはたいてい見えないところ、もしくは遠距離で狙撃の範囲に待機している。佐登が紅茶を頼んでいるのを確認し――――席はいくらか離れていたが、物静かな店内ではそれなりに聞こえた――――桃子は広津の分も含めて、珈琲を注文した。
「……善いのでしょうか」
少し潜めた声で、新聞を開き始めた広津に対して桃子は声をかけた。何がだ、と広津は問うがまあ、たいてい聞きたいことの検討はつく。これでも彼女の父親代わりを十数年してきたのだから。
「いくら、停戦状態で、相手は事務員とはいえ探偵社の社員です。佐登秘書官に何かあれば……」
「その時が我々の仕事だ。……まあ、首領は佐登秘書官の手足をもぎたいわけじゃない」
「はい?」
桃子は首をかしげる。手足など、もぐ必要はない。というか、手足がなくなったら彼女は仕事ができないだろう、などという視線を受けて広津は苦笑した。頭が悪いわけではないが、物事を短絡的に捉えすぎだ。もう少し視野を広く持てないものか、と思ってしまう。育て方をどこかで間違えたか、という哀愁の念にも駆られるが、そういうことではない。
「自由をなくしたくはない、ということだ。愛しい人に、一定の執着はあるが、大人の対応を見せたいのだろう」
「……それで自分もついていく、とは騒がなかったのですね」
いつもの行動から予測するに、いつもよりも洒落た服装をしている佐登に対してそれは大層駄々をこねたのではないかと思っていたが、玄関先では随分とあっさりとしていたな、と桃子は思い返す。とは言えど、自分たちも本日の行動予定に合わせて落ち着いた私服である。伯父の広津もいつもの黒背広ではなく、ロマンスグレーよろしくとてもカジュアルな服装をしており、先程から別の意味で目立っている気がする。
「伯父上も相変わらず……」
「うん?」
「いいえ」優雅に珈琲を啜っている父代わりの伯父へ苦笑を向けて、桃子は肩を竦めてみせた。すると耳元の通信機が音を立てる。「――――対象、来ました」僅かに緊張の走る声だ。周囲を監視しているポートマフィアの構成員からのものであり、桃子は僅かに背筋を正そうとするが広津は変わらずだ。