真昼の月は人を狂わせる
真昼に見える月は、白く透き通っていて、ついつい見上げて立ち止まってしまう。
「亜簾那?」
「……なんでもない」
声が聞こえる。真昼の月の反対側、漆黒に染まるその場所から、俺を手招きする声が聞こえてくる。日に日に大きくなっていくこの声が、絡みついてくるこの手が、今になって怖くなりだしているのは、なんでだろうか。多分、それは五士がいるからだ。
――俺は、このままでいたい。
俺の手を握る、五士の大きな手が暖かくて、泣きたくなった。ジワリと滲む視界に、握られている手すら見えなくなって。俺の手の震えに気づいたのだろう、五士が足を止めて俺の顔を覗き込もうとしてくる。
「大丈夫か、お前」
「……うん、大丈夫」
もう少し。もう少しだけ。ぎゅ、と手を強く握りしめれば、五士が人目をはばからず、俺を抱きしめてきた。背中を撫でるその手が暖かくて、安心して、ぼろりと、涙がこぼれてきた。秋から冬に変わり、学生服は戦闘服へ変わり。毎日訓練に明け暮れる日々で、俺の胸元で、クリスマスパーティに五士からもらったペンダントが揺れた。
「典人、」
「ん?どうした?」
「……もう少しだけ、もう少しだけ……」
このままで、という言葉をつなぐ前に、五士が強く俺を抱きしめてくれた。多分、五士が初めてだったんだ。こんな思いを抱いたのも、こんな簡単に泣けたのも。五士がいたから、俺は初めて人間らしい感情を持った。
――それが間違いだっただなんて、俺は思ってないよ。
五士の胸の中から振り返った世界は、黒く染まっている。
紅い髪の子供が俺を手招きする。
(鎖を取って)
甘く微笑んで、俺に手を伸ばしてくる。怖いよ、怖いよ、五士。
五士に縋り付いて、泣いた。真昼も、ずっとこうしたかったはずだった。一人で、彼女は戦う決断をした。鬼に喰われてしまう前に、俺の全てが変わってしまう前に。かり、と五士がパイプを噛んだ音が聞こえた。
夢幻を誘う五士の鬼呪装備だ。煙を吸う度に、頭が重くなっていく。少し怖くなって、不安になって、五士の服を強くつかむと、五士の手が優しく俺の頭を撫でた。
「大丈夫だ」
起きるまでそばにいるから、と五士の声が耳に入ってきて、ああ、目が覚めたとき、俺は俺のままでいるのだろうか。
意識が落ちる寸前、五士の優しい顔と、鬼の邪悪な笑みが映った。