その小さな手で掴まれたいと思った
――小さな子供の話をしよう。
その子供はとある夫婦に望まれてその命を母の胎に宿した。とても愛されていた。母にも父にも。父も母も戦乱を駆け抜けてきた。攘夷という信念を貫き、愛するものを守り抜かんと戦い抜き、傷つき、一度は離れ、そして再び巡り合った。二人は深く深く愛し合っていた。子供が母の胎に宿ったことを、夫婦は何よりも喜んでいた。
だが
子供は日の目を見ることはなく、母の胎からその生を終えたのだ。
子供が悪かった訳でも、母が悪かった訳でも、父が悪かった訳でもない。ただ、母は命をかけて産んであげたかった。でも、母にはその体がなかった。すべてを戦いで喪った父は妻を失うことをよしとできなかった。子供と母の命、両方手に入れることができないとわかった父は苦渋の決断をした。母の命のために、父は母の涙を、怒りを、悲しみを慟哭を受け入れた。
――子供は、確かに望まれて、愛されていたのだ。
――父は非常にずぼらな男だった。適当で、いつでもふわふわと生きている。子供は母の胎の中でいつも父の声を聴いていた。元気に出て来い。待ってるぞ。その声は暖かくて、優しくて、大好きだった。
――母は強かで優しく女だった。適当な父を言葉で叱咤していた。母の胎は母の優しさに包まれていて、子供はいつも安心していた。二人が望んでくれていると思うだけで、子供はすやすやと休むことができたのだ。
紅葉は不意に料理を作る手を止めた。
「おー、今日カレー?」
だらけて眠っていた銀時が台所へやってきて、自分の手が止まっていたことに気づいた。紅葉は銀時を見上げて、切っていた肉を鍋に放り込んだ。
「だって、今日、子供の日だから」
「子供の日だからってなんでカレー?普通寿司とかじゃねえの?」
「神楽ちゃんが魚より、肉がたっぷり入った手作りカレー食べたいアルって」
「……やっぱり神楽かよ」
銀時は頭を抱えながら、なんか必要なもんは?と聞いてきた。じゃあ、チョコレート出して、戸棚の上の奴。と紅葉が返せば、銀時の顔が引きつった。
「な、何言ってんの!?紅葉ちゃん!!?」
「隠し持ってるでしょ。知ってるから、早く出しなさい。カレーの隠し味にするんだから」
「コーヒーでいいだろ!!それと牛乳!」
「うちにある牛乳はイチゴ牛乳だから、却下。早くチョコレート渡して、林檎をすり下ろしなさい」
紅葉が冷たい視線を向けながら、銀時に告げた。銀時はさすがに勝てないと見込んだのか、渋々と戸棚の上からチョコレートを取り出して、紅葉に渡して、冷蔵庫の中から紅葉が買ってきたのであろう林檎を取り出して、皮を向いた。しゃりしゃり、と林檎のいい音がする。紅葉はそれを見ながら、チョコレートを少し砕いた。
「お、今日、肉ゴロゴロ入ってんな」
「ちょっと奮発しちゃった。お給料入ってたし」
「楽しみだな」
「ご飯もいっぱい炊いてあるし。神楽ちゃんと新八君とお妙ちゃんにいっぱい食べてもらわなきゃ」
張り切ってる紅葉は鍋の中でじゅうじゅうと音を立てている肉とじゃがいもと人参と玉ねぎを炒めている。その3人はといえば、紅葉に頼まれて飲み物の買い物に出かけ、途中で妙と合流してこの万事屋へ戻ってくる予定だ。
「なんか、この万事屋で皆でご飯食べるって幸せだね」
紅葉が笑う。
銀時はそれを見て、笑った。
「ま、そうだな」
「ね。もうちょっと煮込むね」
紅葉は笑いながら鍋に水を入れると、鼻歌を歌い始めた。銀時は林檎を擦り終えると、手を洗って紅葉を後ろから抱きしめた。
――子供は日の目を見ることはなかった。
きっと父も母もその子を忘れることはできないだろう。忘れず今を生きていくのだ。