届かない手
珍しい物を見た、と紅千は目の前に立った男に目をぱちくりと瞬かせた。
空は快晴。空気も良い。朝の天気予報では今夜あたりから冷え込むのだと言っていたが、今の所寒がりである紅千が外套や、マフラーを着用していないところからも日中の日の暖かさが伺える。
そんな昼下がり。
目の前に立つ男は殺気立つでもなく、しかしながら、紅千にいつも見せるような飄々としたあしらいを見せるでもなく、ただ紅千の前に立ちはだかった。――背を向けて。
「悪いねェ、旦那たち。この子はやめてもらえるかい?」
物言いは非常に静かだった。だが、確かに明確な拒絶とこれ以上何か言おうものなら容赦しないというピリピリとした空気を感じ取った。夜兎が言うには殺気とは言い難く、しかし、地球人からすれば十分な威圧であっただろう。
もちろん、こうなったことには順序がある。
今日は冷えると知っていて、紅千は外へ出てきた。紅千が所属する第七師団が地球に寄港することになったのは、偶然だ。神威は今回は大事を起こせないと知るや否やあっという間に地球に興味を失って補給後さっさと出て行くと言うことを決めた。今は大きく事を起こす時期ではないことくらいはさすがの神威も理解しているのか、今日ばかりはおとなしかった。
「紅千、外にでも行って来れば?」
――俺は行かないけど。
ただ、行き交う人を見ていても何も楽しくないもんね、などとのたまう第七師団長殿はプラプラと師団長用の椅子に腰かけながら紅千へあっさりと言い捨てた。一応、紅千は監視対象だというのをこの男は忘れてないだろうか、と一緒に聞いていた阿伏兎と顔を見合わせてしまったのは言うまでもない。
「あのなァ団長。いくら紅千自身にその意思があったわけじゃないとはいえ、一応は紅千は一度離反した経緯がある観察対象者だぜ?」
「え、紅千いなくなるの?」
――いや、そうじゃねえよ。
まったく人の話を聞く気がない団長に頭を痛くしたのは阿伏兎だった。さすがの紅千も阿伏兎に同情したくなる心地であったが、外に出られるのは嬉しかった。神威の申し出を断る理由はない。――試されているのかもしれないが。
「紅千はもう、大丈夫でしょ。記憶は戻ってるし、お医者さんも大丈夫だっていうんだし。――ね?」
ちろり、と神威の青い瞳が紅千をとらえた。ぞくり、と背中に寒気が走るのは、その瞳に爛々と輝く殺気を見つけたからだろう。これを敵に回すのは良くない、と本能が告げている。――紅千は震えそうになる身体を必死で押さえつけるように、頷いた。神威と一対一でやりあえば、無事では済まない――いや、殺されるだろう。
「紅千だってさ、こんな陰険な場所じゃ気が滅入っちゃうよ。女の子なのに」
――女の子だという概念はあったのだな、と正直感心してしまった。強いか弱いか、その概念でしか生きていない神威から飛び出した女の子なのに、という言葉と気遣いの意思に驚いていたのはそれを向けられた本人ではなく阿伏兎の方だ。
しかし、と驚いておきながら、確かにそうだな、とちらりと紅千の方を見やった。
先日、記憶が戻り春雨へと帰還した紅千であったが、数日の荒れようと言ったら……夜兎が五人がかりでも止まらず、最終的には部屋を破壊し、十何名の部下たちに深手を負わせ――危うく神威が面白がって乱入してきそうになる寸前で、何とか紅千を取り押さえて鎮静剤を打ち込むくらいには、精神的にも肉体的にもやばい所まで来ていた。
それもそうだ。記憶喪失中に世話になっていたところの温かみに、紅千の感覚はひどく一般的に移り変わり、記憶を取り戻し、自らが行っていたことがわかり、そして、実の父親を殺したのが――まるで本当の家族のように接してくれていた地球人であるという事実が重く紅千にのしかかっていた。いや、愛着も愛情もない父親だっただろう。ただ、遺伝子上そうであると言うだけであった父親――夜王鳳仙。それでも、彼女なりに尊敬も、よく理解していなかっただろうが、親子の情もあった。地球人からすればその闘争はありが象に挑むような物であったが、彼らは勝利した。彼らは日の力を借りて、日の力で鳳仙は干からびた。
まだ、それから数日も経っていないが……気晴らしにはいいだろう。女って言うのは良くも悪くも感情がたまりやすい生き物だし、それを放っておくのは良くない。紅千にとっては慣れ親しんだ地球で息抜きを、というのは計算してないにしろいい案だ。
「どの道紅千は遠くへはいけないんだし」
神威の手が自身の何もついていない首を指さして、紅千を見た。代わりに阿伏兎が紅千の首元へ視線を向ければ黒い――チョーカーが首に巻いている。春雨から支給されている探知機だ。惑星間でもちゃんと探知できると言う売込みらしいが実際にそこまで離れて使用した例はないので、とりあえず地球内であれば探知できるだろう。それ以前に離れすぎればアラーム警報がなるのだ、これは。
「脱走さえしなければ何をしてもいいよ」
「……ゆるくない?」
ようやく紅千が声を発した。賢い女だ、自分の置かれている状況はよくよく理解していて、ここ数日は春雨の中でもひどくおとなしくしていた。阿伏兎が覚えている限りでは下手に男に触れられれば腕の一つ縊り落していただろうに、自分の立場をとくとく理解してか、おしとやかにひねり上げる程度で済んでいるのだから誉めてあげたいものだ。まあ、もっとも、鳳仙が死に、後ろ盾がない紅千では以前ほど大きな顔もできないのが現状だ。とは言っても、以前に比べればずっとおしとやかになったように阿伏兎には見える。
「だって、お前、逃げないでしょ? 昔の仲間に会って、仲間たちが助けてくれる〜って言っても……春雨を敵に回させるなんてこと、お前にできるの?」
「……あの人と同じこと言うのね、神威も」
紅千は正直どうでもよさそうだった。あの人――おそらくは鳳仙の事だろう。昔からそうやって育てられてきたのだろうか。
「俺は止めないよ、別に」
「……外出はするけど、監視役も連れて行く。んで、脱走もしない、知り合いにも――会わない」
「そう? 買い物だけでいいの?」
「うん」
紅千はそういうと、阿伏兎の手を取った。
「え?」
「監視役――阿伏兎でいいでしょ?」
「んー、阿伏兎がいなくなると退屈だけど、まあ、いいよ」
阿伏兎の意思は完全に無視だ。どっちに付き合うのも嫌だけど、女の買い物に付き合う方が今の場合は嫌だ。団長は今日はおとなしくしていてくれるって言うし、団長側に付きたいと思ったが、紅千は阿伏兎を引きずって行く。
「いってきまーす」
「いってらっしゃーい」
* * *
「はぁ、あのお姫さんどこに消えたかね」
阿伏兎は日差しに辟易としながら、ため息とともに隣から消えた紅千の姿を探して呟いた。地球の繁華街は宇宙からの観光客やら、地球人やら、多くの生物がはびこって賑やかといえば聞こえがいいのだろうが、阿伏兎からすればひどく煩わしく感じた。
本船に連絡を取れば紅千の居場所はすぐに割れるだろう。逃げた、と言うよりは単なる迷子だ。凄まじい方向音痴なのは阿伏兎もよくわかっている。
(ま……逃げられるわけもねぇんだよな、あのお姫さんが)
傘をさして、人混みをかき分けるようにして歩く。ああ、本当に地球は人が居すぎてイライラする、と阿伏兎は顔をしかめた。その手には先程まで紅千が買っていた買い物の袋。これだけ預けてどこに行ったんだか……とため息を付きながら、阿伏兎はキョロキョロと周囲を探す。アレだけ目立つ容姿をしているからすれ違えばすぐに分かる。
――見失うはずがない。
「……あれ、阿伏兎?」
紅千は振り返って、阿伏兎が居ないことに気付いた。今日は人が凄かったから、いつの間にかはぐれてしまったのだろう。気づかなかった、と思って、同時にしまった、とも思ってしまった。とりあえず、阿伏兎とはぐれてしまったせいで、脱走したとか思われてないだろうか。もし、再度脱走したと思われたら、今度は自分も無事ではすまないだろう。
(あれは……襲撃者にやられて記憶喪失になってたって認められたからだもんなぁ。阿伏兎が相当、上に掛け合ってくれたらしいけど)
神威から言われてだろうなぁ。
紅千はそう思いながらまだ晴れ晴れとしている空を見上げて、溜息を付いた。阿伏兎が積極的に自分を助けようとするはずがない。紅千は阿伏兎の事が好きだ、だが、阿伏兎は別段紅千が特別なわけではない。ただ、鳳仙の娘――春雨第七師団で管理している"兵器"の一つというだけのことだ。
(……考えると虚しくなってきちゃった)
下手に動かないほうがいいかもしれない。阿伏兎の方からは首についているチョーカーの発信機できっと見つけてくれる。なら、おとなしく座っていよう。ビルの日陰の方を目指して紅千はフラフラと進んでいった。あの夜王の娘だと自覚してから、それまである程度平気だったはずの日光がまったく駄目になった。
あの暖かな万事屋で暮らしてた頃は確かに浴びすぎると体調を崩すこともあったけど、それでも今に比べればずっと日光を浴びれていたはずだったのに。ビルの日陰の中、冬の少しだけ下がっている穏やかな太陽をぼんやりと見つめた。
(……殺されてた方が楽だったのかなぁ)
鳳仙の言ったとおりだった。
『ふん……おまえはどうせ、生きている方が地獄よ。――死んでいたほうが、幸せだっただろうに』
今まで寒くなかったのに。
急に寒気がした。足元から急激に冷えてくるような感覚。誰も目にくれない日陰の中、日向を歩く人達を見つめて――自分は二度とあそこを歩けないと。あの、ほんの一年ぽっちの日向の中の温もりを知ってしまった。いっそ、鳥かごの中の冷たさだけ知っていれば、暖かさを知らなければ、こんな寒いものだと知らないままでいられたのではないか。
「……阿伏兎」
――早く、迎えに来て。
「おう、悪かったなぁ」
通信を取って本船へ連絡を取ると紅千の居場所はやっぱりすぐにわかった。急いでいかなくては。また、フラフラとされても困る。団員からは、脱走ですか、と聞かれたが俺が見失っただけだ、と言っておいた。
おもったより近くてよかった。少し早歩きになりながら、人をかき分ける。そして、見えたビルの陰。目的の人物は日陰を選んで避難していたらしい。いい判断だな、と思いながら姫さんと声をかけようとして、動きを止めた。
「なあ、いいだろう」
「……離して」
ああ、厄介なもんに絡まれやがって。
阿伏兎は無言でそこへ近づくと男の手を捻り上げて、紅千を自分の後ろへ隠すように引っ張った。
「悪いねェ、旦那たち。この子はやめてもらえるかい?」
殺気をにじませながら、男の手を締め上げて、反転させると悲鳴と鈍い音が聞こえてきた。このまま折ってやってもいい。だが、後ろで自分の外套を掴んだ紅千の手が僅かに震えているように感じた。
「……行きな。今なら、見逃してやるから」
とりあえず、ヒビくらい入っただろうなというくらいで手を離してその男を転がした。下手に騒ぎにするよりはずっといい、と阿伏兎は転がった男を見下ろし、その仲間と思われる二人の男たちへ視線をくれてやった。いつもの笑みを浮かべる余裕がなかった、というよりも浮かべる気分になれず、男たちが情けない悲鳴を上げて立ち去っていくのを眺めて、はぁ、と溜息をつく。すると、後ろに軽い衝撃。
「姫さーん?」
「……阿伏兎、ありがとう」
前まで回ってきたその手は思った通り少し震えていた。あの程度の男たちなら捻るのなんて大したことじゃないでしょう、とか、迷子にならないようにしないと、とか。言いたいことは散々あったはずなのに。
「……あー、そろそろ帰るか」
「うん」
(存外、あっさりだったな)
もう少し帰りたくないと粘られるかと思ったが。
「……ねぇ、阿伏兎」
「何だ?」
「……なんでもない。――戻ろう」
手はあっさりとは離れて紅千は笑った。