海の底からでも太陽は見えるのです


 海の底から、見る太陽とは。
 暗い暗い、水面の底から見ると、どれだけ強い光でもとても柔らかく、暖かく見えるのだから不思議だな、と思った。

 それは多分、俺にとっての"火炎陣 アスナ"という存在だった。



「あれ、賢二郎一人?」
 部室にノックもなしに入ってくるマネージャーなんて、この人一人だけだから、俺は振り向きもしなかった。振り向いてそこにいるのは、眩いばかりの太陽だけだ。後ろを通りすがって、部品が並べられている一角にすたすたと、俺の後ろを通りすがっていくときに、ふわりと甘い香りがした。
「っていうか、一番乗りじゃない、賢二郎。まっじめー」
「……先輩の方が早かったじゃないですか。今日は生徒会はいいんですか?」
「んー。俺以外も優秀だから、問題ないよー。IH前はこっち優先していいっていわれてるし」
 そういいながら、部品の数を確認している。そんなの、他のマネージャーに任せておけばいいのに、貴方の専門はアナリストじゃないですか。と、言いかけて、まあ、きっとこの人の事だから、好きでやってるんだろうな、と思った。
 ――それも、牛島さんのためだから頑張れるんですよね、と卑屈なことを思って、少しだけ自分の事が嫌いになった。
「ね、賢二郎。暇?どうせ、練習相手いないから、暇でしょ?」
「サーブ練習ぐらいできます」
「手伝ってって〜」
「……仕方ないですね」
 甘やかしてしまったら、きっとつけあがるくせに、どうしても甘やかしてしまうのは、きっとその笑顔に目がくらんだから、それだけだ。うん。


 部品の管理、部員の体調管理、練習試合の調整に、練習のメニューの調整、監督との連絡係、他校の分析にレギュラー練習の付き合い、牛島さんの自主練習の付き合い、とこの人の仕事の内容を思い浮かべて、この人、マネージャーとアナリストを本気で両立してるけど、いつ休んでるんだろうなぁ、と思う。
 少なからず、部活中は一切休んでない。ノートを取ってるか、動いてるか、練習に混じってるか……倒れないのか、と見てみれば、俺よりも背の高い、適度に筋肉もついている背筋の綺麗な、この人。
「そっち、備品足りそう?足りない奴申請だすから、教えて」
「え、あ、はい。こっちは大丈夫そうです。それより、ドリンク、足りないかもですね」
「そっちは申請だすから大丈夫。皆、一杯飲むからね」
「先輩が少し練習控えてくれたら、飲む量減りますよ」
「あはは、無理〜」
「知ってました」
 賢二郎、冷たい。と少し落ち込んだように、笑うアスナは備品のチェック表を確認して、よし、と呟いた。

 もう少しだけ、背が大きかったら、なんて思った。
 同じ目線になれただろうか。
 見ているものを共有できただろうか。
 多分、この人は太陽だ。
 この人がいるだけで、部内の雰囲気が変わる。あの牛島さんですら、自分のペースに巻き込む嵐のような人なのに、でも、確実に、この人がいる部活は暖かくて、柔らかくて、厳しいのに、優しくて、何度も励まされて。

 ああ、皮肉だな。
 いつから、おれ、こんなにこの人の事、すきに、なってたんだろう。

「賢二郎」

 名前を呼ばれれば、嬉しくて。何ですか、なんて、心と裏腹にそっけなく返すのに、この人はいつでも柔らかく笑ってくれて。手を出して、なんていわれて手を出せば、ころん、と手の上に落ちる、小さなあめ。レモン、なんて甘酸っぱい味、やめてください。
「それ、俺のお勧め!」
「レモン好きでしたっけ?」
「んー、飴はすっきりしてる方が好きなんだよね。でも、一番は桃が好き」
 桃、というと、はにかむように笑って、少し照れているのがわかった。ギャップですね、っていうと、どういう意味だよ、それと顔を顰められた。違うんですよ、笑ってください、そっちの方が好きです。
「嫌いな味、俺に押し付けてきたんですね?」
「違うってば!どんだけ、卑屈なの、お前」
 本当に、それもおいしいから!と、俺の手から取り上げて、包装紙を開けると、無理やり押し込まれた飴。唇に触れる、その白くて細い指。ドキドキと、早鐘鳴らす心臓が、痛いくらいで。ああ、真正面で見ると、この人、本当に綺麗だな、なんて思ってしまった。
「おいしいでしょ?」
「…………はい」
 味なんて、わかりませんよ。

 すると、部室のドアが開いた。
「あっれー?あーちゃん早すぎじゃない?」
「今日は生徒会ないですもーん」
「おい、さっき、副会長の奴、アスナのこと泣きながら探してたぞ」
「え゛」
「あーちゃん……」
「いやいやいや、サボったわけじゃないし。あ、若ちゃん、ごめんなさい、今すぐ顔だけ出してくるから、無言の威圧しないで」
 あっという間に終わってしまった二人きりの時間。もっと、もっと、欲しかった。ゆっくり、話したい。――ねえ先輩、俺、先輩に読んでほしい本があるんです。気づいて、ください。

「あ、賢二郎、また図書室でね」

 また、手のひらに落ちた小さな飴玉。眩しい笑顔のその人は、足早に部室を出ていってしまう。


 水面の底から、見た太陽の明かりはあまり強くなくて好きだ。
 きっと、真正面から見たら、目が眩んでしまうから。
 ――届かなくても、いいんだ。
 なんて、心にもないこと、呟いて。


title by 傾いだ空

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