お姉ちゃん養日


「え?」

 いつものように夕食の後片付けをしていると後ろから抱き着いてきた妹と弟の言葉に、表情を緩めつつも、固まった。

「だーかーら!明日は家の事、ボク達がする」
「するー!」

 抱っこをせがむ様に腕を伸ばしてきた8歳の弟を少し重たくなったな、と感じつつも抱き上げてアスナは翠の言葉に首を傾げた。家の事を?この子たちが?する? たくさんの疑問符が頭に浮かんできて、助けを求めるようにソファのあたりで紅茶を飲んでいた牛島に視線を向けると、彼からも思いもよらぬ一言が飛んでくる。
「明日は俺と一日でかけよう。行きたいところがあるなら、先に言ってくれ」
「それは、えっと、あの、デート?」
「デート以外の何があるんだ?俺はそのつもりだったが」
 きっぱりと返されて、アスナは少し頬を染める。
「でも、晩御飯とか、どうするの?翠ちゃんのご飯は、ちょっと……独創的、というか、なんていうか」
 徐々に言葉に力を失くしていくアスナ。というよりも直接的に言うわけにはいかないため、言葉を選ばなくてはならず、その時間が足りないといった印象であった。翠もその自覚はあるのか、ごはんは風雅に作ってもらう。と堂々と言いきった。むしろ、それならば安心なのだが。
「でも、大丈夫?掃除とか、庭の手入れとか、買い出しとか、色々あるんだよ?」
「できるって!ねーねは僕らのこと子供だと思いすぎでしょ!!」
「……………」
「せめて、そこは子供じゃないね、って答えてねーね」
 ついぞ不安になってしまったが二人にそれだけ押し切られてしまってはアスナもうなづくしかなかった。もちろん、牛島とのデートが嫌な訳ではない。断じて。これはもう楽しみすぎて、眠れなくなりそうなほどの案件だが、それ以上に家の事をやりたい、と翠(と紫)が言いだすのはこっちに来てからは初めてではないだろうか、とアスナはお風呂を済ませて、部屋に上がりながら考えた。何かあっただろうか。
「知ってる?」
「知っていたとしても話すと思うか?」
 どう見ても、俺も共謀者だろう。と牛島とアスナはベッドに腰かけながら話した。アスナは髪を緩くまとめると、そっかぁ、といいながら横になる。何だろう、一人だけ除け者寂しいよ、とまだベッドに座ったままの牛島の手に自分の手を重ねて少し拗ねたように表情を作ってみると、牛島がアスナの額にキスをした。
「明日まで楽しみはとっておくといい。さて、寝るぞ」
「……はぁーい」



「それじゃあ、お姉ちゃんでかけてくるけど。本当に、本当に大丈夫?」
 心底心配そうに言ってくる姉を送り出すのに30分もかかってしまった、と翠はドアを閉めながらふぅとため息をついた。足元では紫が目をキラキラとさせている。まずは第一段階はクリアだ。あとは、若ちゃんがうまくやってくれるだけ、と翠は部屋に置いてあるものを取りに行こうと、紫と一緒に階段を駆け上がる。いつもだったら、静かに歩きなさい、と姉の厳しい言葉が飛んでくることだろうが今日はその姉の姿もなく、使用人たちも二人が急いでいる理由もわかっているので、何も言わずに見送った。




 牛島に連れられてきたのは美術館だ。以前から見たいといっていた個展の話をどうやら彼は覚えていたらしく(それか、翠に提案されたか)連れてきてくれた。といっても、少しばかり内容が頭に入ってこないのが寂しいところだ。
「……心、ここにあらずだな」
 牛島に指摘されて、アスナはぐっと言葉を飲んだ。反論する言葉が出かけたが、事実なのだ。集中していないし、牛島との楽しいデートであるはずなのに家の事が気になって気になって仕方ない。
「だって」
「翠はもう高校生だろう」
「そうだけど。あの子、家の事ほとんどやったことないし」
 自分が甘やかしてきた結果だとアスナは十分わかっているのだが、それでも心配せずにはいられない。多分、自分一人でいる分には何ともないかも知れないが8歳の紫がいるとなれば少し話が違うだろう。といっても、翠よりも紫の方がしっかりしてそうなもなのだが、それを言うと多分翠は不貞腐れてしまうだろうから、アスナは心に思うだけにとどまる。
「あいつらなりに考えがあるらしい。たまにはいいんじゃないのか」
「……若ちゃんまで。あの子たちの味方?」
「ああ、今日はな。それに俺としてもお前との時間が取れるのはうれしい」
 手を握られて、アスナはびくと肩を震わせ、頬を赤く染める。あー、うー、と言葉にならない声がしばらく続いたかと思えば、牛島の肩に頭を預けて、観念したかのように小さな声で、エスコートよろしくお願いします、と呟いた。任せておけ、と歩き出す。


「よし」
 我ながらいい出来ではないか、と翠は感激しつつも自分がしたのは飾りつけだけと思い返して、目の前のケーキを眺めた。そろそろ姉たちも帰ってくるし、準備は万端だ。
「翠ねぇ!こっちもできたー!」
「おつかれ、紫!よし、隠れるぞ!!」
 翠の合図で電気を消して、紫と翠は息を潜めて、隠れた。
 外から話し声が聞こえてきて、やっぱりだと思った。
「土産はいらないと、言ったんだが」
「だ、だってっ。今日は翠ちゃんにケーキ焼いてあげられなかったし、紫のピアノのお稽古にも付き合ってあげられなかったから……こ、これくらいは!」
 アスナの手には有名店のケーキの箱だ。翠のお気に入りで美術館の近くまで出かけた時はいつもお土産として買っているものだ。今日は牛島が断固していく必要はない、といったのだがどうしてもと押し切って買ってきたのだ。そのほかにも紫に、と色々な楽譜を買ってきているし、どうにもこの姉は妹と弟を甘やかすために生きているらしい、と牛島は深くため息をついた。
「あれ?電気ついてない。出かけたのかな?」
「……とりあえず、入ろう」
 牛島がドアを開けて、アスナを促す。レディーファーストとはまさにこのことかな、と思いながらアスナはドアの奥へ入る。やっぱり静かだ。でも、靴はあるからもしかしたら部屋の方にでもいるのかな、と思ったが上も静かだ。何より、外から見て明かりがついているようには見えなかった。
「あら?」
「アスナ、リビングだ、行くぞ」
「あ、若ちゃん、ちょ、待ってっ」
 牛島に腕を引かれてリビングまで行くと、一気に明かりがついて、一瞬アスナの目が眩む。

「「いつもありがとーー!!!」」

 かわいい妹と弟の声が聞こえて、ゆっくりと瞬きを繰り返しながら目を慣らしていくと、飾り付けられた部屋と豪華な食事が並べられたテーブル。きれいにデコレーションされたケーキがあった。
「……これ」
「今日はね、アスねぇの休養日!」
 紫が足元にやってきておかえり!と抱き着いてくる。困惑しながらもただいまと返して紫に促されるまま椅子についた。
「ほら、いっつもねーね、家の事全部やってるでしょ?……ほんとは母の日にやろうかと思ったんだけど、母の日もおかしいよなーって思って」
 翠もテーブルにつきながら、食事をとり分けてアスナの前に置いた。おいしそうなローストチキンだ。
「それで家の事を僕たちで全部やって夕食も準備……は風雅だけど、やっておけばちょっとはいいかなーって」
 照れながら、ケーキだけは僕がやったんだよ!と誇らしげに胸を張る翠。アスナは茫然としながら、なるほどこういうことだったのか、と隣の椅子についた牛島を見た。そういうことだ、と頷いた牛島はアスナの手に箱を置いた。
「髪留めだ。俺からの日頃の感謝だと思って使ってくれ」
「えっ!?いや、………うん、ありがとう」
 アスナが嬉しそうに笑う。とんだサプライズだな、と思いながら中身を開ける。綺麗な銀の髪飾りだ。ありがたく使わせてもらおう。
「いちゃつくのは後にしてよ!ご飯冷めちゃうから!」
「はいはい。んじゃ、いただきます!」
 嬉しくて、アスナはその日、紫も翠も自分の部屋に呼びこんで一緒に眠った。

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