白鳥沢マネージャー事変
白鳥沢学園バレーボール部マネージャー火炎陣アスナは悩んでいた。
彼女は幼馴染の牛島若利の為にバレー部のマネージャーになったわけだが、今となってはチームにも愛着がある。可愛げのない2年生や、1年生たちにもそれなりに愛着があり、次の事を考えてあげたいと思うほどには、彼らへの期待もある。
今、バレーボール部のマネージャーはアスナ1人だった。去年も、今年の春も新しいマネージャーの入部希望はなく、一人でも仕事が出来てしまっていたし、部員たちも協力してくれるから、と気にせずに夏休み直前まで来てしまったが、それではだめだと、気付いたのが今日の数Vの授業の時だったのだ。
品行方正で知られるアスナが授業中にがたん、と立ち上がった時、クラス中の視線が刺さるようにアスナに向けられて、さすがに居心地が悪かった。。かろうじて声をこらえられたのが良かっただろう。先生はアスナが数式を解くのだと勘違いして「わかりましたか?火炎陣さん」と声を掛けてくれたのが幸いだ。
授業は二割も耳に入っていなかったが、アスナは、は、はい、と作り笑いして、黒板まで歩くと通りがけに、天童が肩を震わせて笑っているのが分かった。――後で覚えてろよ、という意味合いを込めてばれないように足蹴にして、書かれている数式にチョークを走らせた。
* * *
小学校から中学、高校2年生に至るまでクラスを共にしてきた幼馴染の牛島とクラスが分かれた今年の春からは昼食は学食で摂るようになった。どちらかのクラスで食べても良かったのだが、自然と学食で、という風になり、学食に顔を出せば、誰かかれかやってきているバレー部の部員たちが二人の傍で他愛のない話をしながら昼食を食べるという形式が2か月もしないうちに出来上がっていた。
アスナは毎日のように手製の弁当を牛島の為に用意する。どうしても忙しいとか、朝が早くて作れなかった、ということが無い限りは毎日作っている。ちなみに今日のお弁当は夏に向けてのスタミナ弁当らしく、一段と華やかであった。
「と、言うことに気付いちゃったの、若ちゃん」
「そう言うことはお前に一任する。好きにすると良い」
放任主義なのか、はたまた興味がないのか。――興味がないに3年の全票が集まったのは言うまでもない――部長兼幼馴染の牛島は卵焼きを箸でつまみながら、アスナにそういった。牛島とて、次の部員たちに残さなければならないものを考えなくてはならない頃だが、まあ、彼らしい言葉とも言えて、アスナはいささか肩を落とした。
目の前にいた天童がおいしそうだね、あーちゃんと、弁当を見ながら言ってくるのでアスナはポテトサラダを掬って、天童に口に入れた。んー、と目を細めた天童に向かって、アスナは牛島に言ったことを天童にも口にした。
「無理無理。あーちゃんの次にマネージャーやりたい子なんていないよ」
天童は真っ先にアスナの言葉を否定した。何で、とアスナが少しばかりむくれて質問すると、天童はいつものように表情の読めない笑みを浮かべて
「品行方正、成績優秀、スポーツ万能――生徒会長を務めて、この学園の英雄ともいえる若利君の幼馴染」
ご飯を口に放り込んだ天童は指折り数えていく。それがなんだというのだろうか、とアスナは眉を顰めたが、天童は肩をすくめる。
「他の人からしたら、たまったもんじゃないよ。あーちゃんの仕事量をまんま引き継がれたら、その子、潰れちゃうよ」
天童はそういうと、それからはこの質問に関しては何も答えてくれなくなって、ご飯を食べながら、牛島に、「そういえば、若利君、昨日のさー」と成り立ちもしない会話を始めるのをアスナは眺めた。それも一理あるか、とアスナは参考までにメモを取ることにした。
* * *
「アスナ先輩の代わりのマネージャーですか」
「いい子いる?」
昼食が終わって2年の教室に部活のプリントを配りに行くがてら、白布を尋ねた。彼は口元に手を当てながら考える素振りをしながら、は、と気づいたように顔を上げた。
「もしかして、マネージャーの仕事、きついですか?」
「え?」
きょとん、とアスナは目を瞬かせた。
「いや、最近夏になってきて、日差しも強いから先輩も辛いんじゃないかって話をしてて……新しいマネージャーを考えるくらいに辛かったんなら、言って下されば俺たちだって協力したのに」
「あの、賢二郎?聞いて?違うの、そうじゃなくて――」
白布はまるで自分の世界にでも入ってしまったかのようにアスナがマネージャーとしての仕事がつらくて、マネージャーを止めてしまうのでは、まで話が進んでいる。これはまずいのではないか、と思って止めようと試みるが、白布はどうにも話を聞く気はないらしく、自己完結で話を進めている。
「とりあえず、2年と1年で先輩の仕事の手伝いをもっとするんで」
「だから、聞いてって言ってるのに!」
相談する相手を間違えたかな、とアスナは意外と思い込みの激しいことをする白布を見ながら嘆息した。すると、後ろから、「アスナ先輩」と自分を呼ぶ声が聞こえて振り返った。――川西だ。
「どうしたんスか、2年の階まで」
「うん、プリントを届けに来たついでに、ね。ああ、そうだ、川西、新しいマネージャーになれそうな子、いないかな。2年か1年で部活やって無い子」
「え、先輩部活やめるんですか」
「君たちはどうしてそうなのかなぁ!」
止めそうな雰囲気でも醸し出していたのだろうか、とアスナは自身の言動や態度を振り返ってみるが何一つそんなことをなかったはずだと、何とか二人を説得して、事情を説明すると、二人も分かってくれたようだった。
「難しいと思いますよ」
白布が落ち着いてそういった。
「アスナ先輩の後継者とか、正直言ってなりたくないですし」
「え、何その言い方、さすがの俺も傷つくんだけど」
あ、すみません、と白布は棒読みかつ、無表情で謝罪を入れる。
「というよりも、それ、天童にも言われた。……私、嫌われてるのかなぁ」
「あー、嫌われてるというよりか、崇拝してる人も多いですよね先輩のこと」
川西がパックジュースにストローを差し込みながら言った。
(そういえば、アスナ先輩はこれの飲み方も知らなかったんだよ、って天童先輩が言ってたな)
同じミドルブロッカーの先輩で、何かと一緒になることも多いからそういう他愛のない話もたくさんしてきたが、多かったのはいかにアスナが人間らしいか、という話であった。一番最初であった頃は何考えているのかわからない人だったが、嫌われていることにとくとくと悩んでみたり、後継者探しに奔走したりと、まあ、確かに火炎陣アスナは人間なのだ、と川西は2年生になって気付いた。
「とりあえず、2年で部活やって無い奴はもう部活とか厳しいと思うんで、1年生あたって見たらどうですか」
白布はもっともらしい解決策をアスナに提示した。まだ学校が始まって3か月。白鳥沢は部活のスポーツ推薦なんかも取り入れているため、大体のメンツは部活がすでに決まっていたりするが、まだ流動的に何をするかも決めてない1年生は少なからずいるんじゃないですか、という白布の提案が今、最もましなものだったろう。
「そうだね。そうしてくるよ」
「くれぐれも五色を頼らない方がいいですよ」
少し言葉にとげの含んだ、白布の言葉だった。
「どうして?」
「……俺たちが勘違いしたことを大事にしかねないからですよ」
* * *
白布の忠告を真面目に聞いておくんだった、と思ったのは5限目の終わりに、突然職員室から呼び出しがかかったからだった。
たまたま席の近くに来ようとしていた天童が目をぱちくりとさせて、なにしたのさ、と言わんばかりの表情をしているのに居たたまれなくなり、アスナはがたり、と席から立ち上がった。すると、一人の女子生徒がおずおずとアスナに話しかけてきた。
「か、火炎陣さん、バレー部やめてしまわれるという話、本当ですか?」
ああ、勘弁してくれ、とアスナは大きくかぶりを振ってしまいたい気分になった。
「違いますよ、やめませんよ」
何とかいつもの笑顔を取り繕って、アスナは内心で大きくため息をついた。周囲がざわついていて、何とも言い難いが、アスナはとりあえず、弁明しなければならない人物はここにはいない、とわかっているため、急いで職員室に向かった。
「失礼します」
アスナが職員室の戸を開けて静かに入ると、一瞬にして空気が静まり返った。失礼いたしますと、再度アスナは職員室の入り口の所で深々と礼をすると自分を呼び出した張本人――バレー部監督鷲匠の元まで歩み寄った。
「何かありましたか」
表向きは何も知らない、という体を装った方がいいだろう、とアスナは鷲匠に話しかけた。よほど怒っているのか、鷲匠からしばらくは返答が無かったが、ぎ、と古めかしい職員室の椅子がきしみを立ててアスナの方へ回ってくると、ぎろり、と鋭く睨まれた。
「バレー部をやめる、なんていう噂が立ってるみたいだが」
「鷲匠監督、まさか、噂を鵜呑みにされるんですか?」
にこり、と笑ってアスナは舌戦に応える。
「五色が騒いでおったみたいだが」
「誤解です、監督。私がバレー部をやめるはずがないじゃないですか。私はまだ、バレー部のみんなが"全国大会"で優勝するところを見ていません」
アスナが強調した言葉に、鷲匠はピクリ、と片眉を吊り上げた。
「私が捜していたのは、私の次のマネージャーです。もちろん、春高まで、私はバレー部に残るつもりでいますし、その後も時間が許せば愛する白鳥沢学園バレーボール部への協力は惜しみませんが……私は今年の3月に卒業してしまうのです」
ああ、とまるで悲劇のヒロインであるかのような口回しで、大仰にアスナは言った。
「言い方が悪かったのかもしれませんが、私は時間の許す限り最後まで、白鳥沢に貢献したいと思っています」
「……わかった。もういい」
鷲匠は半ばあきらめたように嘆息する。人を食って掛かるような化かし合いには付き合いきれないという表情だった。
「さもあれ、お前は学園中から視線にさらされてる。わきまえた行動を心がけろ」
「はい。このたびは監督にも、諸先生方にもお騒がせしてしまい、誠に申し訳ありませんでした」
深々と礼をしてアスナは鷲匠に背を向けて職員室の入口へ向かっていった。
本当に真意の読めない生徒だ。天童も中々わからない生徒だが、それ以上に自分自身を偽ることにたけている。はぁ、と深くため息をついて、確かに彼女が自分の他にもマネージャーをと言いだしたことは、鷲匠もまさか、とは思った。だが、それと同時に、今の彼女の環境を考えるとそれも仕方のないことのように思えてきたのだ。相談にでも乗ろうか、と思ったが、どうやらそれすら不要だと、言われている目に、鷲匠は椅子で腕を組み直して深く腰掛けた。
職員室から出てきて振り返ると、とびかかって来るようにダイブしてくる天童が見て、アスナはさっと躱して、近くに見えた大平の後ろに隠れた。派手に職員室の壁にあたった天童が鼻を押さえながら、ひどい、と叫んでくるがアスナは気にもせず、ため息をついた。
「工は?」
元凶を探している旨を伝えれば、白布があそこです、と廊下の影からこちらの様子を大きな体を縮こまらせて見守っているではないか。怯える小動物のごとき行動だが、180pを超えた大柄な男子高校生の行動にしてはいささか情けなく見えた。
「怒ってないよ、工。出ていらっしゃいな」
出来るだけ、優しく声を掛けたつもりだったが、五色は肩を震わして、びくびくとしながらアスナの方へ歩いてくる。
「あ、あの、せ、先輩……」
「まあ、弁明は授業が終わってからでもいいか、と思った俺が馬鹿だったんだよ。うん、俺は、思ったよりも衆目を集めていたらしいから」
「無自覚なんだ、あーちゃんってば」
嘆息したアスナは五色の頭をなでる。
「とりあえず、部活をやめない旨は伝えてきたから大丈夫。工、わかった?」
「は、はい」
「新しいマネージャー探すの手伝って頂戴ね」
「はい!!」
元気よく返事をした五色に、にこりと笑いかけて、アスナはよろしい、という。すると、きんこーん、と授業の始まりの予鈴が鳴り響いて、しまった、という顔を天童がした。
「やばい!あーちゃんに宿題写させてもらう予定だったのに」
「またやってなかったの、覚」
まだまだ、問題は山積みだなぁ、とアスナは思いながらメンバーと少し離れたところに立っていた牛島の元へ近づいた。彼は何も言わなかったが、校舎内だというのに珍しくアスナの手を握ってきた。
「不安だったの?やめないよ」
「……わかってはいたが、騒ぎになれば、耳にも入る」
アスナの手を引いてつかつかと歩き出した牛島の顔は少しばかりむくれているように見えて、アスナはくすり、と笑った。笑った声が聞こえたのか、牛島は足を止めて、アスナを振り返ると、これまた機嫌の悪そうな顔でアスナを見下ろした。
「ごめん、ごめんって……何かある時は、若ちゃんにちゃんと一番先に相談するよ」
多分、今、牛島が起こっている理由はこうだろう、とアスナは予測を付けて言う。自分のあずかり知らぬところで、幼馴染が部活をやめるという話が出ていたのがどうやら彼の中でとてもとても面白くなかったらしい。一番先に、という言葉を聞いて、少し満足げにうなづくと、今度は少し歩調を緩めて教室に向けて歩き出した。
(まだ、しばらく、マネージャーは一人でもいいかなぁ)
手のかかる部員たちだが、だからこそかわいい、というか、余計に手を掛けたくなってしまうというか。まだ、余裕の許す限りは、夏休みに入る、ほんの直前までなら、一人でもいいかな、なんて部員たちを甘やかすことばかり考えてしまう。
だから、新しいマネージャーが来ないのかもね、と思いながら、牛島の背を眺めた。