いつもと変わらない日々だから
朝、いつも通り家の外に出るとそこにはすでに紅い髪の幼馴染がいつもよりも早くから待っていたのか、いつも通りの重箱弁当を持って立っていた。巽ちゃん、と東雲の姿を見つけて明るく笑う姿もいつも通りで、東雲はいつも通り重箱弁当を受け取った。
なんだか、いつもよりもずっしりしているように見えるその弁当に首傾げると、お昼の楽しみだよ!と笑う幼馴染のアスナの姿に、少しだけ昼への期待感が高まった。そのまま他愛のない話をしながら登校するのはいつものことだ。家でのことには相変わらず触れない、アスナの手荷物はいつもよりも多いように見えた。そのことを聞いてみると、忘れたの?と首を傾げられる。
「今日、巽ちゃんの家に泊まるって、約束したでしょ?」
そういえば、そうだった。ここ連日、泊まらずに素直に家に帰っていたから、約束していたのを忘れてしまっていた。普段は約束なんてしなくても泊まっていくのに、今回はわざわざ約束を取り付けてきた珍しいパターンだったというのに。そのままいつも通りの込み具合に電車に乗り込むと、アスナをドア側へ追いやって、人から守るようにアスナと向き合った。押しつぶしていないか心配になるが、アスナはあまり気にしていないようで、わー、今日もすごいねぇ、と笑っている。
アスナはこの目立つ容姿からなのか、以前電車で痴漢にあったことがある。といっても、それを東雲が解決したのかといわれると、微妙なところであり、東雲と同じように空手を習っているアスナが思いっきり手を握って捻ったのだから、東雲は犯人に少しばかり同情した記憶があった。あれは、痛いなんてものじゃなかったはずだ。まあ、相手が悪かったんだ。とその時、犯人の手をひねって、同じことを繰り返すようなら、と相手を蔑んだ眼で見下ろしていたアスナに完全に戦いてしまっていた犯人の姿は実に哀れで、可哀想だな、と思わされるほどだったが、アスナは犯人を警察に突き出すマネはしなかった。
どうせ、魔がさしただけだよ。と先ほどの顔と打って変わって、人当たりの良い、いつもの笑みを浮かべたアスナに相変わらずだな、と思ったのももう1年近く前の話なのか。それからは、東雲はアスナを守るようにこうやって体を張るようになっていた。別段、アスナは弱くないし、守ってあげる必要性を感じないのだが……時折、一人で張りつめて無理をしてしまうような、そんな奴なのだ。
学園最寄りの駅に到着する、というアナウンスが電車内に響いて、この苦しい満員電車からようやく解放されるのかと思うと、少しばかり寂しいような気がした。ガタン、と電車が大きく揺れて、アスナの体がつんのめるのを、抱き留める。
「大丈夫か?」
「あ、うん。ヒールはやっぱりだめだねぇ」
十分に背が高い癖に、ヒールを履くアスナの気持ちは東雲にはよくわからなかったがこれを履いているアスナとは身長がぐっと近づく。つんのめったせいで互いの距離が近づいて、一歩間違うと唇が重なりそうな距離になっていて、不意に二人とも顔を逸らした。
幼馴染として、ずっとそばにいたし、小学校も中学校も、高校も、同じ進路を取ったからずっと見てきたはずなのに、時折、アスナがぐっと、女らしく見えるときがある。真っ白な肌を彩る、薄ピンク色の唇にふいに視線が釘付けになって、何を考えてるんだ、と再び顔を逸らす。後、もう少しだから、とアスナが言っているのが聞こえる。また揺れたら困るし、捕まってていいよね、という意味だろう。ああ、と手短に答えて、残り数分の電車が、異様なほどに長く感じていたのは、きっと東雲だけではなかったはずだ。
電車から降りて、駅へたどり着くのもこの時間はある意味で一苦労だった。人波に流されないようにアスナが東雲の制服の裾を掴むのもいつものことだし、アスナの後ろから瀬名が「ののー!あっちゃーん!」と飛びついてくるのもいつものことだった。それによろめいてしまったアスナを東雲が受け止めながら危ないぞ、竜之介と声を掛けるのも、これまたいつものことだった。ただ、今日は瀬名がのの!と大きな声で名前を呼んだ次の瞬間に、アスナが瀬名の口をふさいだ。
「しーっ!」
「え、あっちゃん、まだ言ってなかったの?」
何をだ?と聞きたくなったが、アスナが必死でこくこくと頷くものだから東雲は口を挟むのを忘れてしまった。もー、仕方ないなーと瀬名がアスナの隣に立ちながら呆れたように言った。この二人が妙に仲がいいのが、少しばかり寂しいと感じるのは、幼馴染を取られたような感覚なのか、それとも親友が取られたような感覚なのか、東雲には少しばかり判別がつかなかったが、どうやら今回は二人に共通の秘密があるらしい。いや、それが別段珍しいことではないのだが、どことなく寂しく感じる。あ!そういえば、のの!と瀬名が宿題を見せてくれ、と泣きついてくるのはすぐのことだ。
学校につけば、クラスが違うから靴箱の位置が違う。アスナは文系選択のB組、東雲と瀬名は体育進学のD組だ。上靴を揃えて履いて、ヒールと感触が違うと違和感の残る表情をするアスナにだからヒールはやめろと、あれほどと苦言を呈する。校内でヒールじゃなくなると、急にアスナが小さくなったように感じるから少し不思議な感覚がする。3年の教室に向かうまでにアスナは色々な生徒から話しかけられる。風紀委員長の腕章を付けているからなのか、必ず挨拶されているし、色々な部活に顔を出しているせいで後輩たちにも顔が広い奴だった。クラスが別れると、それから昼休みまでしばしの別れだった。
今日の昼食、広げられたお弁当は全て東雲の大好物や、箸の進みがよかったおかずばかりで東雲は目を見開いた。いつも以上に手の込んだ、お弁当に呆然としているといつも通りおしぼりと暖かいお茶が差し出される。
「……これ」
「ん?え、嫌だった?」
「いや、そうじゃなくて。……今日、何かあったか?」
大会前に、こういったお弁当になることもある。ゲン担ぎだ、といってカツだったこともある。でも、今日は何かあっただろうか、と記憶を思い返してみるが、思い出せない。そういえば、去年もこのくらいの時期に、大会があったりするわけでもないのに、妙にお弁当が豪華だったことがあったな……と思いだす。
まったくもう、と去年と同じように呆れたようにしながら、アスナはなーんにもないよと笑った。何もないのに、と首を傾げるが、やはり大好物が出てくると自然と箸が出てしまうもので東雲はいつもと同じように大量に作られているお弁当をぱくぱくと食べ進める。そこにうまい、やおいしいといった会話がないのは、アスナが作る弁当がいつも同じようにおいしくて、改めて感想を言うことを憚れるから、だ。アスナもアスナでそれがよくわかっているから、無言でパクパクとまるで吸い込まれる様になくなっていくおにぎりや、おかずたちを見て嬉しそうに笑った。
「あ、ほら、巽ちゃん、米粒ついてる」
「? どこだ?」
「ここ」
指で米粒を取ると、ぱく、とアスナはそれを食べた。悪いな、と困ったように笑う東雲にアスナはどういたしまして、と笑った。おにぎりも、ただの白米にのりというおにぎりではなくて、わかめ、鮭、たらこに五目御飯、どれだけ時間を掛けたことやら。何時に起きたのだろうか、とちらりとアスナを窺ってみるが、元々アスナは早起きの習慣がついているからあまり気にしないだろうが、どことなく申し訳なくなってくる。
ちらり、とアスナを窺うと、にこにこと笑って楽しそうだ。食べ終わり、おにぎりを持っていた手をおしぼりでぬぐって、ご馳走様でした、というとお粗末様でした、と空になった弁当箱を見て満足げに笑うアスナの姿があった。きっと、明日もおいしい弁当を作ってきてくれるのだろう。これを食べると、午後も頑張ろうという気になるから、アスナの弁当はすごいと思う。そのあとは昼休みが終わるまでお茶を飲んで他愛のない話をする。たまに瀬名がお弁当を食べに来たり、不破がアスナに部活に出ろ、とお小言を言いに来たりとあるはずだが、今日は何事もなかった。というよりも、誰も来なかった。久しぶりに、アスナと学校でゆっくりと話したな、と思いながらアスナをB組まで送り届けて、自分も教室へ戻った。
部活では久しぶりにアスナと手合せをした。弓道部はどうした、と聞けばサボってきた!と道着を着たアスナが道場に立っていて、なぜ止めなかったと他の部員たちの目を向けるがすみませんでした、と1年生たちが謝ってきて、確かにあれを止めるのは不可能か、と帯を締め直してアスナと向かい合った。判定が下って、東雲の勝ちと宣言されるまで、本当に危ない、と肝を冷やしたことが何度あったことか。本当にアスナにはいつも驚かされて、互いに一礼して、あー、悔しいっ、と大声を上げるアスナもいつものことだった。
負けず嫌いだから、きっと次に戦うときは勝ってやる、とか思っているのだろうとぶすっ、と頬を膨らませて道場の隅で正座しているアスナを眺めた。どうやら、アスナの目的はこれだけだったみたいで、後は部活をじっと眺めていた。邪魔にならないように、大人しくしていたのは少しばかり意外だったが、部活が終わって後片付けをするまで、アスナはそこで大人しくしていた。
着替えを済ませて待っているとアスナが小走りでやってきた。ごめんっ、と謝っているが女の方が着替えに時間のかかるのは仕方のないことだ、と首を横に振ると、安心したようにアスナは笑った。寄り道していこうよ、というアスナはどうやら買いたいものがあるらしく駅前にあるケーキ屋に行きたいと言い出した。
帰宅ラッシュで、駅前という立地も相まってか女性客でごった返すケーキ屋には何となく東雲は入りづらい空気だったのだが、アスナは東雲の腕を引いて財布の中から予約票を取り出した。店員と一言二言交わして、どうやら予約していたらしいケーキを受け取った。何か甘いもの食べる?と聞いてくるが今はいい、と答えるとじゃあ、帰ろうかとアスナが東雲の腕に腕を絡ませてきた。
必要以上に密着する形になって、一瞬、目を見開いたがたまにはこういうのも悪くないか、と思いそのまま駅へ向かう。帰りは一つ椅子が空いていて、そこにアスナを座らせると東雲は吊革につかまった。俺が立ってようか?とアスナは東雲を見上げながら言うが、ケーキもあるんだから、座ってろというとごめんね、とアスナが笑った。次第に人がまばらになってくるとアスナの隣も席が空いて、東雲がそこへ座った。そのまま、家の最寄り駅までいつの間にか寝てしまっていて、もう少しで駅だよ!というアスナの必死に起こそうとする声でようやく東雲は覚醒した。危なかったな、と二人で寝てしまったことを反省しつつ、駅に降りて、改札をくぐる。疲れてたのかな、と互いに笑い合いながら、夕焼けも深まってきた外を歩く。9月の序盤、まだまだ残暑の残るこの時期。オレンジ色の夕焼けが真っ赤に燃えているように見えて、目を細めた。
「巽ちゃんは向こう行ってて!」
家に帰るなり、部屋に押し込まれてしまった東雲は少し手持無沙汰に宿題を先にこなすことにした。アスナはといえば、妹と母に連れられて台所にいるし、泊まりに来るといつもそうだ、といえばそうなのだが、今日1日あまりにも一緒にいすぎたからか、少し寂しく感じた。
そういえば、あいつ、今日はどこの部屋で寝るんだ、と思いついて、考えた。妹の部屋か、それとも自分の部屋か。高校生の男女が、一緒の部屋で寝るなんて、と冷静な頭で考えればわかるくせに、東雲はアスナが隣で寝てることには何の抵抗もなかった。幼馴染だから、なのか。でも、少し違うような気がして、なぜだろう、と考えながら当たり前のように布団を取り出していた。
どうして、アスナと一緒にいて嫌じゃないのか、と考えてみると、モヤモヤとした何かが心にかかったような気がした。うまく言い表せない。アスナへの気持ちを、的確に、言い表せずにいて少し気持ち悪い。すると、バタバタと廊下を走ってくる二つの足音が聞こえてきて、部屋が開けられた。
「たっつみちゃーん!」
「お兄ちゃん、早く早く!」
「何なんだ、お前ら…っ」
両腕をアスナと妹に引かれて、たどり着いたのは居間で。テーブルにはたくさんの料理と、先ほどアスナが買っていたケーキ。きょとん、としている東雲に向けられたのはアスナと、家族全員からのクラッカーだった。誕生日おめでとう!という声で、漸く今までのアスナの行動が合点がいった気がした。
お弁当が豪華だったのは、一種のプレゼントだったのだろう。照れくさくなって、東雲はありがとう、と笑った。ほらほら、とアスナと妹に背中を押されて、席につかされて、皆に祝ってもらった。やっぱり料理はおいしかったし、アスナのお勧め、というケーキは甘さ控えめでとてもおいしかった。
「今日は、ありがとう。アスナ」
布団を並べて、寝るのももう何度目か。電気を消して、もうすぐ寝るか、という頃合いに今日の礼を述べる。隣のアスナと視線が合うと、とてもうれしそうに笑っていた。
「俺の誕生日の時、盛大にやってもらったからね」
「なぁ、今日のお弁当はプレゼント、って事だったのか?」
「ん?えっと、そういうことかな?おいしかった?」
「ああ、おいしかった」
正直に感想を伝えると、アスナがとてもうれしそうに笑う。ね、巽ちゃん、と呼ぶ声が聞こえる。多分、同じことを考えてる。東雲は布団の端を少し持ち上げると、アスナが布団の中に体を滑りこませてきた。東雲の腕枕で、互いの吐息が近くに感じられて。柔らかな紅い髪が腕に当たってくすぐったいがそれもまた心地よくて。
ああ、そうか。
こつ、と額を合わせて、目を瞑る。
――これを愛おしいというのか。
「巽ちゃん、誕生日おめでとう」
「ああ、ありがとう」