初恋の人


 泥門は校風が自由だから好きだ。
 元々、受験勉強がめんどくさくて、大体ほとんどが入学できるっていう泥門を選んだ。中学の先生からは王城とか勧められたがめんどくさかった。双子の姉の葉夜も十分受かるレベルだったが、やはり勉強しないと不安になるレベルの試験だったので、じゃあ、勉強しなくていい泥門でいいよ、とそこを選んだ。
 何より、幼馴染と学校が離れるとわかった時点で、何処に行っても一緒だからだ。阿含と雲水は男子校である神龍寺学院へ進学することが決まっていた。阿含は推薦で、雲水は受験で。今まで大体学校が4人一緒だったから、離れると少しさみしい物がある。と言っても中学に上がったころ、阿含と雲水は少し距離が開くようになっていたから、いつでも四人一緒だったというわけではないのだけれども。

 そんなことを考えながら、ぼんやりとテキストを捲っていると、ねえねえ!と頭上から声が降ってくる。クラスメイトの女子たちだ。
「右京さんって初恋いつだった?」
「え、そんな話題だったの」
 紅葉は困ったように眉を下げた。あまりこの手の話題は得意ではなくて、でも、彼女たちと仲が悪いわけでもなく、さてどう答えたものか、と逡巡する。どうやら、皆小学生くらいで初恋が来ているらしい。うん、それくらいが妥当ではないかな、とかそういえば、幼稚園くらいの時に好きな人っていたよね、とか、いろいろ盛り上がっている。ふむ、と紅葉も少しばかり過去を思い出してみる。
 幼稚園くらいの頃は、確か。まだ、金剛兄弟の事をあだ名で呼んでいた気がする。雲水の事を「うーちゃん」阿含の事を「あーちゃん」と呼んでいつもぐんぐん進んで行ってしまう阿含や、雲水、葉夜の事を追いかけていたような気がする。3人の速さについていけなくて、転んでしまった時、いつも真っ先に気付いてくれるのは雲水でも葉夜でもなくて、一番そっけなく扱う阿含だった。「鈍くさい奴」っていつも言われるのが嫌で、頑張ろうとすればするほどから回って、でも、いつでも自分がついて来てない事に一番に気付いてくれるのは阿含で、迎えに来てくれるのも阿含だった。
(……今のあいつからは、想像しがたいな)
 今は一緒に歩いててもよく置き去りにされるし、昔に比べて極悪面というか、嘲笑されるとすごくムカつくし、迎えに来るどころか、そのまま置いて行こうとするし……あ、思い出しただけですごく腹立たしい。
「右京さん、だんだん、顔怖くなってるよ」
「誰のこと思い出してたのー?」
 眉間のしわをぐっと伸ばすように突き出された指が動く。紅葉はそれに抵抗しないまま、えー、と視線を逸らした。
「幼馴染、だよ。……そういえば、よく遊んでたなぁって」
「その人が初恋の人!?」
 目を輝かせる一人のクラスメイト。そんなに俺の初恋聞きたいかね、と紅葉が顔をひきつらせたところで、ちょうど予鈴が鳴った。タイムオーバーだね、と紅葉が無表情に言うと、後で聞くからね!と宣言された。さっさと部活に逃げなきゃ、と思いながら本日最後の数学の授業を受ける。
 ――初恋の、人ねえ。
 紅葉はぼんやりとそんなことを考えながら、黒板に書かれる数式を目で追った。あまり興味はわかなかった。頭の中は、そんなただの数字の羅列よりも、美しいまでに暴虐な幼馴染の事でいっぱいだった。
(そういえば、誰か言ってたなぁ。その人のことしか考えられなくなった時、人は恋に気付くんだ、って)
 たぶん、恋してる。
 何時から?うーん、分からないなぁ。
 たぶん、これが初恋だ。


(でも、初恋って叶わないよなぁ……)


 お疲れ様でーす。と後ろから後輩たちの声がする。女子のゾーンに入ると、他校生だけど、もはやデビルバッツの一員である鈴音と、双子の姉の葉夜、もう一人のマネージャーのまもりが着替えていた。早いね、皆、と言いながら紅葉は自分のロッカーに手を伸ばす。
「くれー、今日、俺家に帰らないからー」
「はいはい。んじゃ、一人で帰るわ」
「気を付けてね。この時期、変態も出るからさ」
「……それ、時期的な問題じゃねえだろ」
 背中合わせに着替えをしながら葉夜を言葉を交わす。うん、たぶん、恋人の所に行くんだろうな、などとどうでもいいことを考えながら、なら今日のご飯少なく作って良いんだ、と思い至った。高校に通う時に、実家のままでも別によかったのだけれど少し自立して生活したい、と両親に言い募って二人暮らしを始めた。ルームシェア的な感じだ。食事は分担して作ることになっていて、今日は紅葉の日。出かけるなら好都合。ご飯は炊いてあったから、適当に食べよう、と心に決めて、紅葉はシャツにそでを通す。もうそろそろ、夏制服も終わりかな、と呟くまもりの声。その声に少しばかり思うところもある。夏制服が終わる頃には、始まるのだ。秋大会が。クリスマスボウルへの切符をかけた大会が。
 一瞬空気が重くなったのを感じ取ったのか、葉夜がさってとお!と明るく声を出して、「おっさきー!」と笑顔で出て行った。その声に引き摺られるようにまもりも鈴音もじゃあ、お先にと言って笑顔で出て行った。紅葉は着替えを終えると、携帯をチェックする。とりあえず連絡は入ってなかった。
「……俺も帰るか」
 鍵番は紅葉だ。他に誰も残ってないか確認する。男子のロッカーゾーンも電気が消えている。部室も電気は点いてなかった。誰もいないロッカーロームは少し広く、寂しく感じた。
(いつも、にぎやかだもんな)
 部室から外へ出ると、星が見えるくらい真っ暗だった。時計を確認すると、すでに8時を回っている。早く帰ってご飯食べて、風呂に入って……と考えながら誰もいない静かな校舎の脇を抜けていく。校門から外へ抜けて、最初の交差点で、それを見つけた。
「よぉ」
 声は車の音で聞こえなかったけど、口がそう動いたのが見えた。見間違える事無く、阿含だった。信号が赤で、立ち止まる。横断歩道の向こう側にいる阿含は神龍寺の制服は着ておらず、きっとまたさぼったんだろうとわかった。少しばかり、蒼になるのが待ち遠しくて、そわそわしてしまった。髪の毛は、変じゃないかな。ロッカーで確認してくれば良かった。信号が青になって、小鳥のような音が響いて、紅葉は直に駆け出した。きっとあまり待たせるとあいつは怒るから。
「遅ぇよ」
「走ってきただろ」
 隣りに立つと、阿含は頭を乱雑に撫でまわして直に手を放して背中を向けて歩き出す。こちらの都合などお構いなしなのはいつものことだが、連絡せずに会いに来るのは少しばかり珍しかった。
「ご飯は?」
「あ゛?食べてねえよ」
「何食べたい?」
 この時間に会いに来たってことは、たぶん泊まって行くんだろう。少し小走りになりながら、既に二人きりの通学路を歩く。電車に乗って2駅。ちょっと実家から離れた葉夜とのアパート。確か冷蔵庫には野菜も残ったし、肉もあっただろうか。卵が結構残ってたからオムライスもいいかもしれない。どうせ、阿含は何でもいいっていうんだ。
「オムライス」
「え?」
「ちゃんと綺麗に包めよ。後、にんじん入れたらぶっ殺すからな」
 思考、読まれたかな、と思った。それにしても、この強面で意外とかわいいこと言い出すものだな、とくっと笑いをこらえて、紅葉は足を止めた。こらえきれない笑いは、肩の震えになって飛び出してくる。
「悪いかよ。どうせ、また卵残ってるとか言いだすんだろうが、お前」
「いや、うん、そうなんだけどさ…っ、うん。阿含、偶にかわいい事言いだすなぁって」
「殺すぞ」
 阿含は振り返らない。これもいつものことだ。このまま立ち止まってたら置いて行かれるな、と紅葉は再び小走りを始める。人参はみじん切りにして分からなくしたらいいかな、と思いながら隣についた。
 ああ、そういえば、今日の昼間、初恋の人について話していたなぁと、顔を見上げながら思い出した。サングラスをかけて目は良く見えない。昔から女にもてる我が幼馴染は気まぐれで、何でもできて……いつから好きだったかなんて、もう忘れてしまったな。阿含とは一応付き合っていることにはなっているから、きっと俺の初恋は叶ってるのかもしれないけれど、明確に彼に、自分以外の女が複数いて、自分の所に来るのがたまにしかない場合、それは叶っていると言えるのだろうか。
「あ?」
「何でもないって。帰ったら、俺、晩御飯作るから、阿含お風呂にお湯入れてね」
「飯の後すぐ入るのかよ。やった後でいいだろうが」
「今日はしません。明日、早いんだって、俺」
 定期の俺と、切符を買う阿含。帰る学生や、会社員などでにぎわう駅。目当ての電車の時間が近くて助かった。あまり待たずに済みそうだと思っていると、何人かうちの学生を見かけた。声を掛けられて返事を返そうとすると阿含が「置いてくぞ」というから、紅葉はごめんね、と謝って阿含の背中を追った。

「ねえ、阿含」
「何だよ」

 阿含の視線は携帯に落ちている。たぶん、次遊ぶ女だ。
「阿含の初恋っていつだった?」
 紅葉がそう聞くと、携帯をいじる手が止まった。少し混んでる電車の中で二人にしか聞こえないというわけではないけれど、少し小声で聞いた紅葉は電車の窓から見える景色ばかり見ていた。
「覚えてねえよ、バァカ」
「そっか」
 その後は、特段話すことなく、家へ帰る。これもまた、いつものことだった。
 叶ってるか、叶ってないかは別として、初恋の人の隣に、今もなおいられているのなら、これはこれで幸せなのかな、と紅葉はオムライスを作りながら思う。

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