願い


 それは願いだ。
 ただ、彼に幸福であってほしいと願う気持ちだ。夜を超え、朝が来て、そんな当たり前の毎日を過ごしてほしいという小さな我儘だ。きっと、貴方はそれをいつものように笑って受け入れてくれるのでしょう。それが、どれほど幸福なのか、貴方にはわからないのだろうけど。

 ザビーダの手がアスナの手をそっとつかむとゆっくりと持ち上げた。長らく旅をしている彼の手はきれいな白指をしているアスナとは違ってあちこちに傷や節榑ができている。アスナは目を細めた。いつの間にか大きくなっていたあの日の幼い天族に。ゆっくりとその手が持ち上げられて指先にザビーダの唇が触れた。
 ちゅ、とゆっくりと音を立てて指先が吸われる。びく、とアスナの肩が動く。
「……アスナ」
 ――ひどく愛おしげに、切なく呼ばれる。日頃は母、と呼ばれ、アスナもザビーダを育ての親として母らしく振る舞ってきたが、彼は今日、今、その関係を捨てようとしているのだ。それがわからないほど、アスナは無知ではないつもりだが、天族と人間ではその営みは異なる。考え事をしているアスナのじっとザビーダがその朱色の瞳で見つめてくる。
「……っ」
 ひどく居心地が悪いというよりは心がそわそわしてしまって落ち着かない。親子である、という意識がまだアスナの中で強いからなのか、それとも恋愛面でザビーダを意識するようになっているから落ち着かないのか、アスナには判別がつきそうになかった。ザビーダの手が、そっとアスナの頬に触れた。
「本当にいいのか?」
「……今更聞くと、私の気分は変わるぞ」

ALICE+