悪人ヒーローと弱虫剣士
泣き声が聞こえてきた。
あれ、聞いたことあるな、と紅葉はふわふわと浮かんでいるような奇妙な感覚を感じながら、ぼんやりと目を開けた。聞き覚えのある泣き声。目を開ければ、小学校の校舎裏。数人の男の子に囲まれて泣いている小さな女の子。
髪の毛や目の事でいじめられているらしいその子は、自分を守るために小さく蹲って泣きながら、ごめんなさい、と謝っていた。決して、あの子が悪いわけじゃないのに。生まれつきの、紅蓮の様なオレンジ色の髪に、緑色の瞳。大きな涙を浮かべている彼女はそう、いじめられていたのだ。
(ああ、俺じゃん)
小学生の頃、オレンジ色のこの髪と、緑色の瞳の事でよくいじめられた。いじめられていた。女の子からも、男の子からも。言葉ばかりの苛めだったのに、酷い子だったら殴ってきた子もいたな。いつも泣いてて、学校ではびくびくしてて。ああ、そうだ、表情を作らなくなったのもこのころだ。無表情に、何も感じないようにしようとしてて、でもやっぱり殴られたら痛くて、酷い言葉を浴びれば辛くて、いつも泣いてた。
「だっせぇ」
そう。いつも助けてくれるのは、この声。ランドセルを適当に背負ったその少年を見て、小さな女の子は目を見開いていた。小さく、あーちゃん、と呟いた。てくてく、といじめられている女の子の元まで行くと、あーちゃんと呼ばれた少年はムリヤリその手を掴んで、立ち上がらせた。
「ぶっさいくな顔してるよな、チビ」
たぶん、正直言って、殴られるよりも、酷い言葉を浴びせられるよりも彼の方がきっと自分をいじめているような気もしなくもなかったが、女の子は手を掴まれてそのまま逆らうことなく歩き出した。待てよ、阿含!といじめてた男の子たちの一人が彼を呼び止めたが、彼は少し立ち止まって振り返るだけだった。ぎっと、強い瞳で彼らをにらみつけるとまた歩き始めた。
「いつまでも泣いてんじゃねえよ」
「泣いて、ないもん」
「嘘ついてんじゃねえよ、めちゃくちゃ泣いてんじゃねえかよ。ほら、鼻水垂れてんぞ」
「…ぐすっ、」
学校から家までの帰り道。あーちゃんはいつも手をつないでくれた。半歩後ろを泣きながら歩く女の子に呆れながら、でも、それでも手を離さずに。ブサイク、とか、チビ、とか泣き虫とか弱虫とか、とてもいじられるけど、でも、彼が迎えに来てくれると女の子はとても安心した。
口は悪いし、態度も悪いし、すぐ暴力に訴えてくるけれど
(阿含は、俺のヒーローだったんだなぁ……)
ぼんやりと意識が現実へ戻ってくる。それと同時に硬いコンクリートの感触と、体に走った痛み。頭がずきずきと痛む。何かで殴られたんだ、ということだけ確かに思い出せる。目の前にいるのは、屈強な男たち。どうせ、阿含にケンカ売って負けて、憂さ晴らしに恋人って噂の立ってる俺を捕まえようとか思ったんだろうなぁ、とどこか冷静な頭で考える。うっすらと目を開けてみれば、携帯をいじっている。ああ、それ、俺の携帯だ、と紅葉は男たちが阿含を呼ぼうとしているのがわかった。頭痛くて、声も出ないや、とコンクリートに横たわりながら、男たちを眺めていた。でも、なんとなく、安心してる、というか、もうどうでもよくなってきている。
――多分。
「よぉ」
電話より先だった。小学生のころとは違う、ドレッドに屈強な体、サングラスをかけてあからさまにヤンキーですといわんばかりのファッションの男――阿含だ。サングラスで追いづらい視線の先に、今、自分がいることがわかった。多分、阿含が声をかけたのは不良たちじゃなくて、自分だ。
「なぁに、寝てんだよ、チビ」
「……お昼寝」
「はっ、寝心地いいか?そこ」
「……最悪」
痛いし、頭ずきずきするし、と付け加えると、阿含が近くにやってきた。強くはないものの、踏みつけられてぐぇ、と変な声が出た。
「ククッ、似合ってんじゃねえか」
「ホント性格最低だな……お前」
紅葉は無表情のまま、少しだけ体を持ち上げようとしたが、阿含に踏みつけられたままでは起き上がれそうにない。不良の男たちは阿含の突然の登場にざわついているようだ。阿含の視線が、紅葉から男たちへ向いた。愉快そうに笑っていた阿含の表情は無に近くなった。
「んで、こいつら、何だよ、チビ」
ひどく、酷く低く、鋭い声。紅葉は一瞬身を震わせた。怖い、怖いのだけれど、憧れる。ああ、やっぱり、彼は変わらないんだな、と思った。足が紅葉から離れていく。紅葉は事実を、当たり前のように、淡々と、静かに教えた。
「お前に、用事があるんだって」
それだけ言うと、阿含はわかったのか、首を数度鳴らした。そのあとは、もう、特筆するまでもない、いつもの光景だった。紅葉が体を起き上がらせた頃にはすでに10人以上いたはずの不良たちはすでに半分以下。片手で数えられる程度にしかいなかった。相変わらず早いな、と思いながらも阿含の背中を眺めて、紅葉はビルの壁に背中を預けて座った。阿含に踏まれたわき腹の方が痛いぞ、これ、と考えながら顛末を見届ける。
気づくと、もうすでに阿含しか立っていなかった。阿含はつかんでいた男を壁に向かって思いっきり投げつけて、そして、再び紅葉に視線を向けた。
「容赦ないね……」
「あ゛〜?喧嘩売ってきたこいつらが悪いだろ」
「……ま、ね」
紅葉は少しよろめきながらも立ち上がる。思ったよりもサンドバッグになったなぁと思いながら、紅葉は阿含の元へ歩み寄った。少しふらついて、足を躓かせると、そのまま阿含に衝突してしまった。正直言って、ぶつかった紅葉の方が痛い。阿含の筋肉にぶつけた鼻の頭が紅くなる。
「フラフラじゃねえか、お前」
「そりゃ……お前が来るまで俺が殴られてたんだから、仕方ないだろ」
「もう少し殴っとくんだったな」
阿含は気絶してる男たちを眺めながら、低く呟いた。別段、俺が殴られたから、とか言うわけでもないのだろうが、そのサングラスごしの瞳には殺気が宿っていた。まずいな、と思って服の裾を引っ張れば、もうしねえよ、と紅葉はあっさりと持ち上げられる。
「ちょ、阿含」
「てめぇの歩調に合わせてたらいつまで経っても帰れねえからな」
片手で軽々と持ち上げられてしまったことも確かに屈辱的ではあるが、だがしかしこんな抱き方で歩くつもりなのか。夕暮れを過ぎて、会社員たちの帰宅ラッシュにもあたるこの時間帯。大通りはすでに人だらけだ。恥ずかしすぎる、と紅葉は阿含に訴えるものの、阿含はお構いなしに裏路地から表通りへと出る道を進んでいく。
(……昔を、思い出したからかな)
阿含に抱かれたまま、紅葉はぼんやりと阿含を眺めた。不器用な奴だ。でも、決して優しいとは思わない。彼は"善"ではなく"悪"だ。完全な、悪。でも、善悪をさておいて、紅葉にとっては変わらないヒーローだ。助けに来たつもりが本人になくとも、紅葉は確かに阿含に救われた。
「あーちゃん」
小さく、昔のように呼ぶと、阿含の視線が驚いたように紅葉に向いた。純粋に驚きを隠せないという顔の阿含に、紅葉はついつい、噴き出しそうになった。
「懐かしいね」
「……覚えてねぇよ、んなもん」
ふい、と逸らされた顔。そろそろ、ネオンがともり始める街並みを阿含は少し足早に過ぎていく。やっぱり、阿含は変わってないよ、と紅葉はつぶやいて、阿含に体を預けて目を瞑った。