どうしようもなく反発して、どうしようもなく惹かれあう


 たぶん、俺たちは対極の存在なんだと思う。

 たとえるなら水と油。
 たとえるなら火と氷。

 反発しあうのがいつもの事。あまり気にしたこともないし、そうであるべきだと思った。たぶん、阿含にはそういう存在が必要だと、それとなく感じていたから。阿含の才能に畏怖する人間はいても、迎合する人間は少ない。それは暴力的なまでに才能のみを信じ、磨いてきたが故の弊害なのかもしれないが、少なからず、俺は、そして彼の双子の兄である雲水はそれをよしとした。それでこそ阿含だと、俺は今でも信じて疑わない。そうであってほしいという思いと共に、孤高の途をゆく阿含を一人にしてはならないという漠然とした思いが、俺の中にはあった。


 部活終わりの、暗い夜道。大通りに出れば街頭で道が照らされていて明るいのがまだ幸いだろうか。と言っても、暗がりを歩いた所で幽霊が出てこようがたぶん怖がらない自信がある。というか、生きてる人間の方がよほど怖いだろう、と紅葉は自身の経験を持って知っている。
「よぉ、チビ」
 ほら、怖いお兄さんが暗がりから出て来たよ。と紅葉は小さく呟いた。頭を思いっきりその手でつかまれて、痛みが走り顔をゆがませた、紅葉は怖いお兄さんこと阿含を見上げた。呆れた視線に気づいたのか、阿含は手を放した。
「一人か?相変わらず寂しい奴だな」
「お前も珍しく一人だな?今日はお姉さま方に振られたのか」
 紅葉の棘のある辛辣な一言に阿含の米神が動いた。ぴくり、と青筋が立ったのを紅葉は暗がりでも見失うことなく、ああ、今日は皆予定があったんだな、と察した。そろそろ来るころだとは思ってはいたけれど、と携帯の日付と時間の表示を最後に確認して、スクールバッグの中へ携帯を入れた。動きを止めたままの阿含を気にも留めず、紅葉はすたすたと歩きはじめる。
「可愛そうだな、お姉さま方も忙しかったんだな」
「……ちっ」
「仕方ないから、ご飯位は作ってやるよ」
 紅葉はそういうと阿含に手を差し出した。

 ――小さな手だった。
 阿含に伸ばされたその手は、小さくて、白い細い指。だが、あちこちに節がつき、平は豆だらけだった。女らしくない手だ。少なからず、阿含が相手にしている女たちはみんな手を気にしていたし、実際、女らしい軟らかい手が多かった。でも、そんな女たちの手より、紅葉の手の方が、という思考が阿含の頭をよぎって、振り払った。
「阿含?」
 どうしたの、と紅葉の緑色の瞳が自分を見上げてくる。何でもねえよ、とその手を握ると、やはり少しごつごつとした感触がした。指先は、氷にでも触ってたのかと、思うくらい冷たい。いつものことながら、この冷たい指を握っていると、少しばかり気分が晴れてくる。寒さで、目が覚めるような、そんな感じ。
 手を握られ、一緒に歩いていても特段の会話も二人の間にある訳ではなかった。先程まで饒舌気味だった阿含が押し黙ったことに、紅葉は何も言うわけではなかった。元々、自分も口が達者な方ではない。黙っていて苦にならない相手なら、わざわざ話題を探すようなこともしない。阿含も同じはずだ。沈黙が苦にならないから何も話さない。話題も特段ないのだろう。これがきっと、他の女だったら口説き落とすために話題を探しているのかもしれないが、わざわざ紅葉にそんな労力を使うつもりはなかった。

 少し暗い夜道で、沈黙する二人。手を繋いでいても、それがはたしてカップルに見えるのだろうか、と思って紅葉は、笑いが込み上げてきた。うん、たぶん違うな。これはカップルと言うより、お兄ちゃんに手を引かれて歩く、妹の姿かもしれない。
「あ゛〜…?なんだよ」
「別に。阿含みたいなお兄ちゃんだったら、嫌だな、と思っただけだ」
 怖いし、暴力振るってくるし。と付け足すと、握っていた阿含の手が、ぴくりと反応した。あ、怒られるな、と思ったからするりと手から抜け出して、少し先に走り出した。おい、チビ!と怒鳴り声が後ろから聞こえてくるが、立ち止まってはいけない。捕まったら、きっときついお仕置きだ。絶対。

 たぶん、俺の境界線を易々と踏み越えてこようとするのは紅葉だけだ。他の女は、何か察したように俺の、奥深くへ立ち入ろうとはしない。遊ぶだけだ、と割り切っている女程扱いやすい物はないし、気が楽な物はない。たぶん、紅葉は普通に考えればめんどくさい女の部類に入っているはずなのに、突っぱねる気にはならない。
 たとえるなら、水と油。
 たとえるなら、炎と氷。
 反発しあうだけ、反発するような奴だし、生意気だし、チビだし、女らしいかと言われればそんならしい仕草の一つも、この17年で一度も見たことがなかった。それでも、あの女の側に行くことを一度だって嫌だと思ったことはなかった。境界線を易々と踏み越えて来るくせに、踏み越えた後、何もするわけでもなくただ、側にいるだけの女。何か言うわけでもなく、何かするわけでもなく。ただふとした瞬間に、気付くと、氷のように冷たい手が、俺の手を握っている。
「だから、ごめんって」
「いや、許さねえ。今決めた」
「理不尽!理不尽大魔王!!」
 小脇に抱え込んだ、軽い身体。たぶん、阿含が全力を込めれば、ぽっきりと折れてしまいそうで怖い。
(怖い?俺が?)
 まだ、ぎゃーぎゃーと騒いでいる紅葉へ視線を落として、阿含は自分の中にある、その感情の大きさに、ふと納得がいった気分になった。そうか、そういう事か。
 一人で納得すると、阿含はそのまま歩き出した。捕えられた紅葉は不満そうに、頬を膨らませている。
「帰ったら覚えとけよ」
「いや、忘れます」
「忘れられねえ夜にしてやるよ」
「変態」
「うるせぇ、チビ」
「色情魔」
「しきじょ…っ、お前、本当に覚えとけよ」
 こんな、些細な口げんかすら、楽しむようなら、たぶん、末期なのだ。

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