眠れないを抱えて泣いた日


 夜、時折紫雲は過去の夢をみる。
 おそらく、紫雲の「視界」の時はそこで止まっているのだ。暗闇になる少し前、それは兄弟子ライガと、冥衣を身にまとった水瓶座の黄金聖闘士カミュの姿。ライガの腕が低温で焼け落ち、それからしばらくして顔を覆う冷気――紫雲の視界は真っ暗になった。激痛と冷たいもののはずなのに焼けるような熱さを肌に感じて、幼い紫雲はただのたうち回った。


 ――ああ、またこの夢か。
 紫雲は意識が浮上してきたことで、世界が真っ暗闇になって大きくため息を付いた。二、三度大きく深呼吸をして呼吸を落ち着けようとしたところで、体がカタカタと震えだし、大粒の涙が残っている左目からこぼれ落ちた。
「……あっ」
 怖い。
 怖い。
 怖い。
 ダメだ、と抑制する聖闘士としての自分と、怖い、もう逃げたい、と泣き叫ぶ自分が混乱して大声を上げている。シーツにうずくまろうとしてもうまく体が動かなくて、紫雲はただ流れ出る涙もどうしようもなく、ぼんやりとただベッドの上に座り込んでいた。ドアが開いた、その瞬間までは。
「――紫雲?」
 びく、と紫雲の肩が震えた。声の主はいつもこの部屋のドアを開ける男ではなかった。そう、最近開けることが増えた――ハービンジャーの声だった。慌てて紫雲は左目をこすろうとして、ハービンジャーにその手を抑えられた。ぐい、と顎を手で抑えて紫雲の顔を持ち上げた。
「泣いてんのか」
 不機嫌さの混じった少し冷たい声だった。その声に紫雲はきゅ、と唇を噛みしめる。違うの、とはいえなかった。泣いていることは事実だ。涙は今も流れて止まらず、ぽろぽろと、顎を押さえるハービンジャーの手を濡らしていく。
「……ちっ」
 答えない紫雲に苛立ちを感じたのかハービンジャーの舌打ちが聞こえる。そして手が離れていき、紫雲は重力に逆らわず、手をベッドの上に落とした。そして、困ったように笑って、ハービンジャーへ謝った。――ごめんね。その力のない笑顔は余計にハービンジャーを苛立たせた。
「誰だ」
「え……?」
「泣かせたやつだよ!」
 苛立った声に紫雲がびくり、と肩を震わせて、そして、ふるふると小さく首を振った。誰でもない。

「強いて言うなら、私自身、かな」

 笑う。紫雲は笑うと漸く手で涙をこすって拭おうとした。だが、その手は再びハービンジャーに抑えられると、顔が近づいた。涙のあとをなぞる暖かな舌の感触に紫雲はびくりと、体を震わせた。
「は、ハービンジャー?」
 困惑した声など無視するようにハービンジャーは紫雲の流れる涙を舌で掬い、目元に口付けた。何度も、何度も。涙が流れてこなくなるまで。ゆっくりとベッドへ押し倒しながらハービンジャーは紫雲の右目の傷へ口付ける。ちゅ、と触れると紫雲が怯えたようにハービンジャーの腕に指を絡めてくる。安心させるようにその手をきゅ、と両手とも握りしめながらキスを続ける。
「ん……っ、ハービンジャー……っ」
 身を捩らせようにも自分よりも一回りどころか、二回りも三回りくらい大きいハービンジャーを体勢悪く動かせるわけもなく。いや、小宇宙を使えばありかもしれないが、まさかそこまで大人げない行動も取りたくないし、何よりハービンジャーに触れられることにさざめき立っていた心が落ち着いていくような気がして、紫雲は徐々にハービンジャーに体を預けていった。
「……どうした?」
 キスが終わってしばらくハービンジャーは動かなかった。額を合わせてただ、紫雲と手を繋いだまま動かない。流石に不安になってきて紫雲は声をかける。互いの息遣いがわかる距離、ただ、暖かくて紫雲は涙も引いて、心が静かになっていくのが心地よかった。
「痛むか?」
「……ううん」
「どっか苦しいのか?」
「……ううん、違う」
「じゃあ、どうして泣いてんだよ」
「…………ただ、思い出してたんだ、目が見えなくなった日のこと」
 紫雲が静かにそう言うとハービンジャーは少しだけ目を見開いた。紫雲はあまりそういうことを話したがるタイプではないことをなんとなく察していたからだ。傷に触れられることに抵抗感がないのか、紫雲はハービンジャーにそっと顔を押し当てた。
「もう、こっち側は感覚がないんだ。――低温火傷だったからな」
 神経は死んでるよ、と言いながら紫雲は笑う。
「お前だって、痛かっただろう?」
 そういって、紫雲はハービンジャーの左目にキスをした。昔、不良に因縁をつけられてえぐられたのだという彼の左目の傷口を紫雲は見ることもできないが、想像を絶する痛みだったに違いない。経緯は違えど、紫雲も目を失ったのだ。人間の感覚の八割の情報は視覚からだという。それを失う恐怖は計り知れないし、紫雲は正直目を失った時、世界も失ったような気分だった。
「――テメェほどじゃねえよ」
 そういうと、ハービンジャーは紫雲の唇に自身の唇を押し当てた。んむ、と少し色気のない声が上がって、手を繋いだままハービンジャーは紫雲の唇へ長く押し当てたり、短く離したりを繰り返して、ぺろり、と舌で唇をなぞった。
「――っ」
 ぐい、と舌で唇を押せば紫雲が恐る恐る唇を開けた。その隙間に舌をねじ込むと、息を詰めて紫雲がぎゅう、とハービンジャーの手を握りしめてきた。戸惑うように逃げる舌を捕まえて絡める。何度も何度も角度を変えてキスを繰り返せば、徐々に力が抜けていく紫雲をハービンジャーは見やる。真っ白な肌が、薄く、桃色に染まっていて耳まで紅い。二人の唇のどちらのものともわからない唾液がてらてらと光る。口の端からは飲み込みきれなかった分の唾液が伝っていく。
「ふ……っ、んっ」
 キスの合間に聞こえる吐息。酸欠になりかけてぼうとしてくる頭で必死にハービンジャーの存在を紫雲は探していた。つながれた手から、キスをする唇から、その熱を感じる度にたまらなく安心して、幸福な気分になった。――このまま、ずっと、と思っているとハービンジャーが離れていく。
「……?」
「はっ、えっろい、顔」
 唇に引いている糸。薄く唇を開けて酸素を求めている紫雲の胸は上下し、肌は赤く染まっている。ただ、自分を見上げてくる(実際に見えているわけでなくとも)その顔は完全に女の顔をしていた。
「…………痛く、しねぇから」
「……?」
「痛くしねぇから、ちゃんと俺に体預けてろ、いいな?」



* * *





 ハービンジャーはこれまでただ自分の欲求を解消するためのセックスばかり求めてきた。相手は正直誰でも良かった、ただ、己を満たしてくれるのであればそれで充分で、それ以上もそれ以下も求める必要性を感じていなかった。
 紫雲に対しても最初はそういう思いだったのだ。ただ、屈服させたかった。気高いその意思を、心を折れるのは、正直なところ戦いではないことをハービンジャーは悟った。この女が折れるのは、その気高さが汚された時だけだ、と気づいてしまった――から、手を出したといえば、最低で、あまりにも子供っぽいことだっただろう。
「あ……っ」
 紫雲の声が聴こえる。たまらなく甘い、紫雲の声が聴こえるたびに体が熱を持つ。心臓の奥がきゅ、と締まるような感覚。うるさいくらい、脈打つ血に沸騰しそうになる。ただ、必死で理性を繋ぎ止めて、ただただ、壊れ物を触るように紫雲の肌に触れ、アチラコチラに残る古傷に唇を這わせた。
「ふ……んっ、んぁ……ハービンジャー……っ」
「ん?」
 名前を呼ばれればハービンジャーは顔を上げた。まだ少し不安げな顔をする紫雲の頭をなでて肌にキスを落とす。こういう行為そのものは初めてではないが、日頃のやり方を考えればこのような愛撫にはまったくなれていないだろう、というのはハービンジャーには容易にわかる。正直、紫雲の性知識は殆どないといっても過言ではない。性交をすれば子供が出来る程度のことは理解しているが、それ以上は何もわかっていない状態だったのを、無理やり組み敷いて犯した。
「……いてぇ?」
「んっ、うんん……いたく、はない、けど」
 紫雲はハービンジャーのキスを受けながら少し恥ずかしげに顔を背けた。もじ、と足をすりあわせて、ただただ言いづらそうに顔を赤くしてゆくばかり。
「けど?」
 意地悪く言えば、紫雲が頬を膨らませた。
「意地悪」
 くっ、と笑いを噛み殺して、ハービンジャーは紫雲の足を片方持ち上げた。その太ももにキスしてニヤリと笑った。
「悪いな、こういう性格で」
 でも、今日は優しくしてやろうっていう気にはなってんだぜ? と言いながら、ゆっくりと太ももの付け根に向かってキスを落とし、指を伝わせた。程よく筋肉質でありながら、女性特有の柔らかさもある体を堪能しながら、降りてくる。
「……っ」
 ハービンジャーがそこにたどり着いたと紫雲は理解するとまるで顔から火が出そうになるほど恥ずかしくてたまらなかった。ハービンジャーの太い指がゆっくりと紫雲のすでに濡れている秘部へ指を伝わせると、くちゅ、と水音が聞こえて、一気に顔が熱くなり、全身に力が入った。
「おい、まだ触っただけだろう、力抜け」
「う……っ」
 宥められ紫雲は唇をかみしめてただハービンジャーから顔をそらして過ごすことに決めた。だが、そうすればそうするほど、ハービンジャーの愛撫によって聞こえてくる水音に耐えられなくなり、たまらなく恥ずかしかった。ただ指でそこをなぞられているだけなのに腹の奥、子宮のあたりが疼いてくるような――はしたない、と思っては見ても、それがひどく心地よくて、気持ちが良かった。
「――!!?」
 突然電気が走ったような快楽を感じて背中をのけぞらせる。呼吸を忘れて、ただ口をパクパクとさせていた紫雲の腹をハービンジャーが手でなぞる。じゅ、と吸い付く音が聞こえて、紫雲は漸く意識が戻ってきたような気分だった。
「あっ、や……っ、そ、こ、や、ぁ……っ」
「あ? こっちは気持ちいいってどんどん濡れてってるけどな」
「っ、あ、やっやだ……ぁっ、そ、こ、で……っ、はな、しちゃ、や、あああっ」
 ひときわ体が大きく跳ねて、紫雲は一度達した。秘部からは透明な飛沫が飛んできてハービンジャーの顔にかかる。指も引き抜いて、ハービンジャーは愛液でいやらしく光る自身の指をためらいもなく口へ入れた。
「………っ、」
 ハービンジャーがわざとらしく立てる指を舐める音に紫雲は耳まで赤くする。
「……ばかぁ」
「言ってろ。少しそんなこと言ってたほうが気が紛れんだろ」
「――っ」
 紫雲の腰をハービンジャーは持ち上げた。その瞬間に僅かに紫雲の体がこわばったのはこれまでの行為――決して相手を思いやらない冷たいだけの行為を思い出したのか。痛い、とか、怖い、とか一切口には出さなかったし、意地でも涙など見せなかったが――はやり怖かったのだろうか。
 そんな紫雲を落ち着けるようにハービンジャーは額にキスをした。
「信じろ、っつても無理だろうけどよ……今日は、ひでぇことはしねぇから、ただ体預けてろ」
 小さく紫雲が頷いた。少し震えながら、でも、怖いと思っては居ないのか、それともただの強がりなのか、薄っすらと笑っていた。

「――っ!!」

 圧倒的な質量が体の中に入ってくる感覚だけはやっぱり紫雲には慣れないものだった。狭い入り口をこじ開けてくるハービンジャーのものは相変わらずでかく、一息で受け入れきれるものではなくて、呼吸を止めかけていた紫雲の手をハービンジャーが強く握った。はー、となんとか吐き出したところで、もう一度押し入ってくるそれをなんとか耐えると、ハービンジャーが紫雲の頭をそっとなでた。
「……最っ高、」
 ぽた、と落ちてきた汗に、つながれた手の感触に、ハービンジャーが気持ちよくなっているのが伝わってくる。これまでの、ただただ痛いだけの行為と明確に違うと、紫雲も感じ取っていた。痛み、ではなく快楽を感じる。両手ともしっかりと繋いだままハービンジャーが律動を始めると、自然と紫雲から甘い声が上がり、ハービンジャーを求めた。

(愛とか――やっぱりわかんねぇな)

 自分の下で身悶えして快楽に興じる紫雲の顔がたまらなく可愛らしく見える。年上ぶって色々言ってくることも多いし、何度対立したかもわからないが、ハービンジャーの人間性まで否定しなかった紫雲の余裕のない表情にキスをする。すると、唇を開いて、もっととねだってくるから、希望通りにキスをする。

(ただ、最高に気持ちいい)

 今はそれでいいか、とハービンジャーは腰を動かすことに専念した。手を握り、キスをし、ただただ、紫雲とまぐわう。蕩けた顔の紫雲がもっと、とハービンジャーを強請るように自らその頬にキスしてくるとハービンジャーは応えるようにキスをし、ゆっくりと紫雲の中に入っていく。
「はっ、あ……っ…はー……はぁ……っ、あっ、ひ……っ」
「……くっ、は……はぁ」
 ただ、吐息をこぼすだけ。
 ハービンジャーが手を離すと、あ、と短く声を上げて紫雲が不安げな表情を浮かべる。一瞬だけでも、そんな表情を見たくない、とハービンジャーはすぐに紫雲を全身で抱きしめた。大丈夫だ、と背中を撫でれば、紫雲がホッとしたように涙をにじませて笑う。抱きしめられたことに応えるように紫雲もハービンジャーの首に腕を回した。ハービンジャーの髪の中に回る指に心地よさを感じながら、最期の絶頂を二人で駆け上っていく。

「……っ、あ、あああーーーっ!!!」
「……っは…!!」

 熱い、熱い白濁が中に出された感触を感じながら紫雲は一度絶頂しただけではとどまらず、数度体を震わせた。ただ強くハービンジャーを抱きしめて身悶えしていると、ハービンジャーが少し体を浮かせて紫雲の頬にキスをした。
「ん……っ、ハービンジャー……」
「もう、寝ろ。そばに居てやるから」
「………ん」
 ゆっくりと紫雲の中からハービンジャー自身が引き抜かれてそっとベッドへ寝かされる。あー、でも、お風呂に入らなくちゃ、とか思考は色々考えようとするがただただ、体が一気に疲れを訴えて、まぶたがどんどん重たくなって閉じていくような気分。ただ、ハービンジャーが離れていくんじゃないか、と不安に思って、そっと手を握りしめると、ハービンジャーが困った顔をして笑い、おやすみ、とキスを落としてくれた。
 紫雲はゆっくりと寝息を立てる。

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