暖かな
食事

 佐登は比較的食事に余念がない性格である。
 朝から炊きたての御飯の匂いを嗅ぐととても心が躍る。卵焼きにソーセージ、焼き魚に味噌汁があれば立派な朝食だ。どれだけ仕事が早くから始まろうが、朝食を抜かすのはポリシーに反した。夜に帰ってきてから、翌日の朝食の仕込みだけしておけば意外と何とかなるもので、秘書になってからすでに十月余り。本部に泊まる際には致し方ないことも有るが、材料を買って冷蔵庫に入れておけば翌日の朝食を作ることも困難ではなかった。本部には首領付きの料理人がいるので、彼に言付ければ佐登の分も用意してもらえるのだが――どうにも気が引けた。

「……よっし」

 今日、佐登は一人分には些か多いおにぎりを作っていた。紅鮭を丁寧に焼いてほぐしたものと、焼きたらこのおにぎりに海苔を巻きつける。おかずには卵焼きと、母が漬けてくれたたくわんと、自分で作ったきゅうりの浅漬。味噌汁はキャベツと豆腐と人参を入れて程よく温めてある。小鉢のために、ほうれん草の胡麻和えも作っておいた。
 おにぎりと卵焼き、漬物を一つの皿に乗せて、小鉢に飾った和え物、味噌汁は少し大きめの椀へ注ぐ。半月型の一人用の盆を二つ用意して、その上へそれぞれ並べた。ほかほかと湯気立つ其れ等を見て、もう一度、よしとつぶやいた佐登は其れ等を鴎外とエリスが待つ食堂へと運ぶことにした。
 食堂に入るとエリスが目を輝かせた。座ってくださいね、と佐登がいうとエリスはすぐに席についた。エリスと鴎外の前にそれぞれお盆を置いた。朝食である。
「あれ、佐登くんの分は?」
「あ、私は先に頂いてますので……」
 ――お気になさらず、と言えば鴎外もエリスもどことなく不満そうな表情を浮かべた。此れは自分も此処で食べるべきだったのだろうか、と佐登は考え込むがそうは言っていられない。今回ばかりは仕方ない。ホカホカのおにぎりを一つ手にとって、鴎外は頬張った。


 ――何故、佐登が首領である鴎外の朝食を作ることになったかと言うと。
 つい、昨日のことである。ふと、佐登は気になったのである。鴎外が食事をしているところをあまり見ないので、いつもどおりエリスを入れてお茶会をしていたときに、何か軽いものでも用意させようかという話を振った。
「首領はお食事をあまり召し上がりませんね」
「そうかな?」
 鴎外は首を傾げた。佐登が用意させたのはエリス用の洋菓子と、鴎外用のサンドイッチやキッシュなどの軽食だった。鴎外は佐登が取り分けたキッシュへフォークを刺しながら、ふむと考え込んだ。佐登も同じようにキッシュを自分の皿に取り分ける。
「首領が会食やパーティーで軽く召し上がっているのは見ますが……ちゃんと朝食や昼食を召し上がっていますか?」
「あー……食べてないかな」
 ぴく、と佐登のキッシュを食べようとする手が止まった。顔を上げて、鴎外をじっと見る。いや、確かにいる。朝食を抜かす人間は一定数いる。佐登には信じられないだけで、学友の中には朝食は食べれないという人間がいたので珍しいことではないだろう。
「そういえば、会食で食べるぐらいかな」
「……其れ以外は?」
「本当にこういう物をたまにつまむ程度で、後は栄養剤サプリメントかな」
「……栄養剤サプリメント?」
 佐登が信じられないものを見る目で、鴎外を見る。どう考えてもありえない、空腹を感じないのだろうか。鴎外はその視線を受けて、いたたまれない表情を浮かべて、困ったように眉を下げていた。エリスは、この際良しとしよう。彼女は鴎外の異能によって生まれた少女であるから、鴎外の命がある限り現れることが出来るのだろう。佐登は一食抜かすだけで、とても寂しいと思うのに。
「暮、そんな顔しなくたって」
「だって……私には考えられなくて」
 ご飯食べると、幸せな気分になれますよ。と佐登は鴎外にいう。
「あまりね、食べる気が起きないのだよ」
 首領ともなると、食事にもいろいろ有るのだろうか。ドラマとかでよく見たが、毒殺だって普通にある世界だと思い出した。料理人は確かに鴎外が選んだ人間では有るが、それでも完璧に信頼に足るというわけではないのだろう。しかし、栄養剤サプリメントが食事だなんて、佐登は絶対に受け入れられなかった。仕事ができればいいとか、そんなことは却下だ。秘書としても、恋人役としてもそんな暴挙は認められない。
「……決めました」佐登はフォークを皿の上にそっとおいた。
 鴎外とエリスが顔を上げて、佐登を見る。
「お仕えする方の健康の管理をするのも秘書の仕事です。よって、私は首領の食生活改善を要求します!」
「え」
 佐登の言葉に、鴎外がきょとんと目を見開いた。この表情だけ見ているならば、きっと鴎外はどこにでもいるような普通の中年男性である。ポートマフィアの首領などと誰が想像するのだろうか。しかし、佐登は一歩たりとも引くつもりはない。
「首領の朝食、私がお作りいたします!」


 というのが始まりである。
 言った後で、とんでもないことを言ったな、と自覚して紅葉のところへ駆け込んでみたが、たまたまいた中原と一瞬顔を見合わせたかと思えば、紅葉はクスクスと笑い、中原は困ったように頭をかくだけだ。
「鴎外殿は何も言わなかったのだろう? ならば、心配せず作ってこい」
 年は一つしか変わらないというのに、紅葉は溢れ出る大人の魅力でよしよしと頭を撫でる。どうやら、彼らも鴎外の食事情にはほとほと困っていたようで此れで改善されるなら上々、と紅葉は笑っている。
「あーー……まあ、佐登は首領の恋人、なんだ。あんまり気にしねぇ方が善い。首領も存外楽しみになさっているだろうしな」
 何とか、二人に宥められ、うんうんと唸った末に佐登は今日の朝食を作るに至ったわけだが。
 今までは自分用に食事を作るばかりだったので、どうにも誰かに食べてもらうのは気恥ずかしさも有る。相手の好みに合っているだろうか、とか。況して、食べてもらうのが好きな人なのだから、美味しいと少しでも思ってもらえたら嬉しいのだが。配膳用のお盆で半分ほど顔を隠しながら、鴎外の様子を伺う。丁寧で、綺麗な所作だ。味噌汁を一口飲んで、鴎外が頬を緩めたのを見て、佐登は少しだけ安心した。
 どうやら味の好み的に問題はなかったらしい。
「何だか、すごく久しぶりに誰かが作ってくれた物を食べた気がする」
 鴎外のその言葉に、佐登は首を傾げた。料理とは必ず作る誰かがいるわけで、料理人が作ったものに比べれば自分の料理など酷くおそまつなものだろうに。きょとん、とした佐登の顔に鴎外が少し困ったように笑った。
「……ほら、手料理とよく言うじゃないか。料理人はプロだからねぇ、やっぱり其れと、誰かが自分のために作ってくれた手料理は違うものだよ」
 ――美味しいよ、と鴎外は佐登を見ながら笑った。何処と無く、何時もの人を喰ったような笑みとは違う、穏やかで澄んだ笑みに佐登は心が暖かくなる。ちらり、とエリスが卵焼きをフォークで刺しながら二人の様子をうかがって、誰にも聞こえない程度の大きさで、ふうんと呟く。ぱくりと大きな口で卵焼きを口に放り込む。きっとエリスや鴎外の好みに合わせたであろう甘い卵焼きだ。
「私、クレの料理もっと食べたい」
 エリスちゃん? と、目を見開いた鴎外の視線がエリスに向く。だが、彼女はいつもどおりどこ吹く風だ。
「首領が、お嫌でなければまたお作りしますよ」抑、私は首領の健康管理のために始めたのですから、と佐登は穏やかに微笑みながら、食事用の焙じ茶を湯呑に注いでいた。何とも洋風の食堂には合わない取り合わせだが、食事の組み合わせとしては最適解だ。焙じ茶の香ばしい良い香りは、何とも鼻腔に良い刺激をもたらして、空腹が促されるような気分になった。
 一口啜ると、良い茶葉を良い焙じ方をしたのだろう。ちょうどよい渋みが、塩気の有るお握りにはよく合う。首領はどこか休まるように息をついて、佐登を見上げた。美味しい、と言ってから表情が緩んでいる彼女を見て、矢張り彼女は穏やかで、暖かなものだと思う。
「じゃあ、お願いしようかな」
「はい、喜んで」
 ――最初は、彼女を利用できるならばそれでよかったはずなのに。いつの間にか、それすら何処かへ追いやってしまっているように感じる。



「どうじゃ? 喜ばれたか?」
 たまたま、紅葉へ書類を出しに行くと、彼女はニコニコと笑って対面の応接椅子へ佐登を座らせお茶を出させた。話題といえば、朝食の話だろう、佐登はお茶をすすりながら、こくこくと頷いた。
「良かったです……お口に合わなかったらどうしようかと」
「ふふ、首領もなかなか男じゃのう。幼女以外興味が無いかと思っていたが」
「いえ、そこは変わっておられないと思いますが」
 袖で口元を隠しながら愉しげに笑う紅葉に対して佐登はきっぱりと、言ってみせる。首領のもっぱらの興味関心が向くのは矢張り異能力で作っているとは言え、幼女のエリスだろう。佐登は思い出しながら、うんうん、と数度頷きながら、お茶を茶托の上へ戻した。
「でも、美味しいって言われたのは嬉しかったです」
 少し照れたように笑う佐登を見て、紅葉も穏やかな笑みを浮かべた。
 ふむ、どうやって首領に取り入ったか、と思っていたが――――なんてことはない、敵意も悪意もない言葉や行動だからこそ、警戒する必要もなかっただけか。紅葉は納得がいったように微笑み、佐登の前に大福を差し出した。それを見て、目を輝かせる彼女と少しばかり茶の時間を楽しむのだった。




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