「え、抗争?」
寝惚けた頭で必死に電話の内容を咀嚼する。電話の相手は中原中也で、ポートマフィアの幹部である。年下ではあるが、立場的には彼のほうが上である。然し、中原は中原で佐登の立場を重んじて、それなりに丁重に扱ってくれるのである意味良い上司として佐登から認識されている。嗚呼、と短く答えた彼は移動中なのか、電話の奥から、過ぎ去る雑踏の音が聞こえる。
「首領にはすでに連絡済みだが……お前の身の安全を、と首領が仰せだ。自宅にいるらしいが、今黒蜥蜴の迎えをやるから支度だけ済ませろ」
要するにこの近辺で中規模の抗争が起きたらしい。佐登は自分の危機に対して未来予測することの出来る異能力者ではあるものの、それだけだ。銃は相変わらず撃てないし、近接戦闘も当然出来ない。逃げ足も早いわけではないので、抗争が起きたときに一番危険というわけだ。鴎外がそんな佐登を危険地帯から、安全地帯であるポートマフィアの本部事務所へ戻したいという意向は理解が出来た。
「……本当はAの野郎が護衛するとか言ってやがったんだがな」
「……A様……? ああ、あの」
五大幹部の一翼、Aは佐登も余り良い印象はない。元々はマフィアの賭事場を荒らす無法者だったらしい。私設部隊を五十人を持ち、多額の上納金でポートマフィアの幹部になったらしい。あの、野心的な目が佐登にはどうも恐ろしいもののように見えてならない。そんな、彼が佐登の護衛を申し出るなんて、なにか考えていると思うのが妥当だろう。そこは中也がうまくそらしてくれたらしい、佐登はその事実にホッとした。起き上がり、速やかに着替えを取り出したところで、遠くから銃声と爆発音が聞こえる。戦闘の中心は湾岸部のようだが、遠くない音に佐登は不安げに眉をひそめた。
「黒蜥蜴にはノックの仕方も指示してある。それ以外の方法でノックされても開けるんじゃねえぞ」
「はい、中原幹部はこのまま前線へ?」
「ああ、指揮があるからな。首領は本部ビルで待っておられる。――――気をつけろよ」
電話を切った後、佐登は着替えた。襯衣と背広に袖を通して、スカァトではなく洋袴を履く。靴もヒールのものではなく、動きやすい運動靴を。髪もざっくばらんに整えて、頭頂で一つにまとめ、化粧品などはバッグへ詰め込んだ。黒蜥蜴の迎えは恐らく電話が来てから数分以内のことである。ノックは決められているとのことで、佐登は非常事態に於ける黒蜥蜴であることを知らせる決まりを思い出して、反復する。
――――コン。
一度ノックが聞こえ、佐登は身を固まらせた。ドアからわずかに離れたまま、次のノックを待つ。コン、コンコン、コン。一回のノックが三回。間に二回のノックが一回。間違いない、非常事態が起きて、佐登を護衛するために駆り出された黒蜥蜴のノックだ。佐登は確かな足取りでドアに近づき、のぞき穴から誰か確認する。立原と銀である。銀とはのぞき穴越しに目が合う。
「今、開けます」
鍵を開け、扉鎖を外して、佐登は少しだけドアを開けた。二人は佐登がまだ無事であることを確認する。
「よし……首領、此方立原です。今、佐登の姐さんの無事を確認しました。これから、銀と車まで誘導します」
立原が通信しているのを横目に銀が佐登に視線でアパートの階段を降りるように促し、先頭をきって進んでいく。此処で不安そうな表情を見せるわけにも行かず、佐登はいつもどおりの落ち着いた表情をできるだけ努めて、アパートの少しだけ錆びた鉄階段を音を立てないように降りていく。立原が周囲を確認し、銀と佐登が降りた後に続けて降りた。
「……広津さんは?」
「広津の爺さんは前線だ。佐登の姐さんが避難する道を作ってるはずだ」
「そうですか。……すみません」
つい、口についた謝罪に立原が驚いた表情を見せる。深夜のまだまだ誰も起きて活動することのない時間帯で、良くて新聞配達の学生が走っているくらいの道は薄い霧に覆われていて視界は余り良くない。銀が佐登に止まるように手を持ち、周囲を見回した。銃声は遠ざかっていく。
「謝る必要はねえだろ……姐さんが狙われるのはある意味首領も想定済みだからな。ここらに住んでると気づかれる前に避難させてぇだけさ」
「有難うございます」
あけすけのない言葉にある意味感謝する。銀が進んでも問題ないと合図するので、佐登が一歩踏み出そうとして、天啓――――未来の映像が見えた。数十秒後、爆発が起きる。意識していない、無意識の領域化で行われる異能力の処理に脳が悲鳴をあげることなく処理を終えて佐登に見せた映像に、佐登は立原の動きを止め、銀に叫んだ。
「銀さん! 伏せて!!!」
自分も立原がその異様さに気付いたのか、庇われるようにして舗装された道路の上に倒れさせられる。次の瞬間には、見えたとおりの爆発が起こり、周囲一体に閃光と爆音が響き渡る。立原がとっさに佐登の耳をふさいでいなければ、耳がやられていたかもしれない。固く目を瞑って爆風の余波に暫く耐えて後、恐る恐る目を開けた。
「た、立原さん……無事ですか?」
「あ〜〜〜……何とか。瓦礫が何度かあたっただけだ、佐登の姐さんは?」
「……私は、立原さんがかばってくれましたから、大丈夫です」
立原は周囲に危険がないことを確認して、佐登の上から退いた。必要なら、此の侭盾にならなくてはならなかったがその心配もなく、周囲を見回してみれば、先行していた銀も無事な様子で、此方に手を上げているのが見えた。立原は佐登が起き上がるのを確認しながら、耳元の通信機を起動させた。
「おい、爺さん、どうなってンだ!……ああ?ああ、佐登の姐さんは無事だ。……おう、……わかった。どうにかして、こっちは姐さんを安全なところまで運ぶ」
広津と通信をしていた立原の表情が徐々に暗くなっていくのを見ていた佐登の顔に、不安げな表情がついに浮かんだ。深い藍色の瞳がいつの間にか、黄金に変わっていることに気付いたがそれを指摘している余裕は今はない。思ったよりも戦線が伸びているらしいことを手短に銀に伝えた立原は経路を変更することを、銀と相談している。その間、なにか出来るわけでもない佐登は二人の様子を見ながらも、震える手を抑え込むことしか出来ない。
一つ、影がちらついた。
「……あ」
僅かな、吐息のような声の漏れに二人とも振り返った。佐登は慌てて、ち、違いますと言い繕いながらも口を塞いだ。恐らく、此れは、佐登にしか、見えていないものだった。綺麗な、ドレスを来た、西洋人形のような女性だった。顔は黒い布のようなもので覆われていて、緩やかで長い、綺麗な黒髪が靡いている。口元だけ、見えており、白い肌が何処と無く、不気味であるのに、佐登はそれに恐怖心は抱かなかった。
オ イ デ
コ ッ チ ニ オ イ デ
彼女の唇が動くのが解った。穏やかで美しい笑顔。佐登はぐっ、と唇を噛み締めた。そして、銀と立原を見据えた。
「危険がない道、なら案内できます」
美しい、"舞姫"が愉しげに笑っているのが、佐登の視界にちらついている。だが、と食い下がった立原とは違い、銀はあっさりと佐登にその道を指し示すように言われた。単純なことだ、危険がありそうな道は恐らく彼女がいない道。彼女はこっちにおいで、と言っているのだから。――――あれは、幻覚だ。あれは、夢だ。佐登は、ぎゅう、と拳を握りしめたまま、銀に道を教え、銀が先行したまま、三人は進んでいく。
「……本当に何も起きやしねぇ」
少しずつ、本当に少しずつだが離れていく銃声と複数の足音を聞きながら、立原がそう呟いた。住宅街の裏手の道は人とは離れており、少しずつ明るくなってきている道はいつもどおりの住宅街に見えるだろう。佐登が指し示す道は少し経路からは外れているものの、危険は少なく、敵対組織とも、味方組織とも会いそうにはなかった。
ふぅ、と佐登が胸の前で拳を握りながら、ため息を付いていた。
「大丈夫か、姐さん、顔色悪ぃぞ。おい、銀、一回止まれ」
「いえ、あの、大丈夫です……」
冷や汗が額を伝って、落ちる。明らかに先程に比べ真っ青になった顔色を案じて、立原と銀がこの地帯なら一度休憩を入れても問題が無いだろうと、佐登に家屋の塀を背にさせて座らせた。
「…………少し、めまいが、するだけで」
声に力がない。銀が綺麗な白いハンカチで佐登の額の汗を拭って、少し目を見開いた。
「……熱い。熱があるかもしれません」
(あ……銀さん、声が、可愛らしい)
ぼんやりと、聞こえてきた声に佐登はぱちぱちと目を瞬かせた。愛らしい声をしている。もしかして、女性なのかな、などととりとめのないことを考える。車まで距離もない。いつまでも立ち往生している場合ではないと判断した立原が佐登を背負った。
「よっし……行くぞ、銀」
こくり、と頷いた銀が先行する。予め、道は伝えてあるため何か変更があれば佐登が再度告げればいいだけだ。ぐったりと力をなくしている中で、ぼんやりと目を開けると、矢張りそこには彼女がいる。美しいドレスを揺らせて、そこにいる彼女がクスクスと笑っている。佐登はそれを眺めて、ゆったりとまぶたを落とす。
佐登の言うとおりの道は抗争から外れており、難なく車までたどり着くことが出来た。車では、芥川と樋口が待機しており、立原の背中でぐったりとしている佐登を見て、樋口が駆け寄ってきた。
「何事ですか!? 真逆、怪我を……?」
「否、途中で具合悪くしちまって。とりあえず、出発できるならすぐにでも」
首領に見せたほうがいい、といいかけて、立原は後方へ下がった。すぐ傍の道路を銃弾が掠めてえぐっていく。跳弾も躱した後、視線を向ければ、すでに待ち構えていたのであろう敵組織の構成員たちが目に入る。ち、と盛大に舌打ちしたくなる気持ちも仕方のないことだった。
後ろにいる佐登は下ろすな、と樋口から指示が飛び、立原はわかってるよ、と言いながら片手で銃を構える。相変わらずぐったりとしており、熱も先程に比べて高くなったような気がする。
――――佐登の脳裏によぎったのは、沢山の人間が死ぬ光景だった。
慌てて、目を開けてみれば、芥川の異能力『羅生門』が周囲の敵を皆殺しにした直後であった。裂かれた肉から血が滴り落ちて、周囲の道路を赤く染め上げているのが見える。それを、覆い隠すように誰かの手が佐登の目を覆った。
ダ メ
ミ テ ハ ダ メ
その声は、明らかに彼女のもので、自分の目を塞いでいるのも彼女だと解った。胃から迫り上がってくる不快な感覚をなんとか飲み下して、佐登は詰まりそうになる呼吸を何とか再開した。そういえば、死んだ人間を視るのは此れで三回目だというのに、此れほどはっきりと直視したのは初めてだった。成程、首領はそれなりに自分に配慮してくれていたらしい、なんてどうでもいいことを考えていると、立原の手で車に乗せられ、隣には樋口が乗った。どうやら、このまま本部へ行くらしい。芥川は残党処理に残る、という声が聞こえて、少しだけホッとしてしまった自分が情けなかった。
本部のエントランスの車寄せに車がついた途端に鴎外が建物から飛び出してきたときには、ドアを開けた樋口が目を見開いた。
「暮!」
ぐったりと、車の座席に体を預けて目を瞑っている佐登に呼びかけながら、樋口がどけた座席に足をかけながら車内へ身を乗り出す。冷や汗でじっとりと濡れた肌に手袋を脱いで触れ、首筋にふれると脈を取る。何処か弱々しい脈を指で感じ取り、鴎外は顔をしかめた。
「樋口君、医務に最上階まで来るように言ってくれるかな」
「は、はい!」
樋口が走り出していくのを確認した鴎外の服を弱々しい手付きで、佐登が掴んだ。
「……大丈夫、です」
「大丈夫な顔には見えないよ。……とりあえずは、上で休もう」
「…………ちょっと、異能力、を使った、だけなんです」
「……異能力を?」
鴎外の顔が顰められる。佐登の手が自然と鴎外の首に回ってきたので、そのまま抱き上げて、何処にもぶつけてしまわないように慎重になりながら車の外に出す。では、この熱や不調もそこから来ている可能性が高いだろう。
(あれほど、使うなと言ったのに)
鴎外は漸く落ち着いてきたらしい呼吸で浅く胸を動かす佐登を眺めやりながら、ため息を付いた。状況も状況だったから仕方ないと言えば、仕方のないことだが。もしかしたら、天啓が連続して降ってくるような状況でもあったのかもしれない。どういう形であれ、異能力を連続して使用すれば、佐登には大きな負担になるということか。汎ゆることに考えを巡らせながら、昇降機へ乗り込む。足元には、愛らしい風体のエリスがいつの間にか現れており、珍しく鴎外の服を掴みながら、どこか虚空を見上げている。
「エリスちゃん?」
「……なんでもないわ」
エリスの視線の先には、彼女がいた。だがしかし、鴎外には見えていないらしい。クスクス、と愉しげに笑っていた彼女がエリスに睨まれて、その姿をゆったりと消していく。まるで、花が散るように消えていった彼女が完全に見えなくなると、鴎外の腕の中の佐登の呼吸が完全に落ち着いて、顔色も僅かによくなった。
ワ タ シ ハ
イ ツ ダ ッ テ
ア ナ タ ノ ミ カ タ
薄っすらと、目を開けた佐登には、もう彼女の姿は見えなかった。