落ちて
満ちて

 十階にある総務課で、首領宛に来たという手紙の整理を桃子としていると、おう、と佐登を呼び止めたのは中原だった。目を見開いて、見てみれば中原がにいと唇の箸を持ち上げて笑っていた。酷く楽しそうな顔をしている。
「ご予定では、報告は明日とのことでしたが……」佐登が困惑した様子で、中原から投げ出された書類を受け取った。おそらくは、制圧に関する初期報告というやつだ。とりあえず終了しましたよ、という感じの書類で間違いなさそうだ。封筒から取り出して確認して、佐登は再び中原を見上げた。
「太宰の野郎が捕まったって聞いたからなぁ。その面、拝んでやるんだよ」
 そういえば、と佐登は太宰と中原が元相棒で、双黒などと呼ばれていたことを思い出した。裏切りをした相棒に対して中原が何を思うのか、と思ってみてみれば存外に彼は楽しんでいる。反目しあっていたとの話も聞いていたし、もしかしたらこの状況にザマァ見ろとかでも思っているのかもしれない、と佐登は思って苦笑した。
「詳しい報告は明日、参上して伝えると首領に伝えてくれ」
「承知いたしました。お疲れ様です、中原幹部」
 佐登が一礼すると、中原はさっさと地下の牢へ向かって足を向かわせていた。まあ、彼なりに再会を楽しみたい気持ちもあるのだろうから致し方のないことだ。とりあえず、と書類を確認した。隣では桃子が中原の様子にぽかん、と口を開けている。
「中也さん、相変わらずだなあ」
「まあ、お帰りになられてからは暫し休暇ですから、善いのでは?」
 ぱらぱらと数枚程度の書類をめくって再び封筒の中に戻す。西方の勢力抗争はつつがなく終わったらしい。それを脇に置いて、佐登は手紙類の確認に戻ろうとして、ふと、手を止めた。真っ白い、封筒がある。否、封筒が白い事自体には別段おかしいことはないのだが、とてつもなくその手紙からは嫌な予感がする。顔をしかめた佐登に桃子が困ったように顔を上げた。
「暮さん?」
「……いえ。一寸、この封筒、気になって」
「? 何処にでもある封筒ですよね。差出人は?」
 佐登は桃子に促されてその手紙を手にとって差出人を確認する。名前はない。本来なら、秘書室で全て手紙を開封するのだが、佐登はためらわず近くにあった封切りを手に取ると手紙を開ける。そして、一枚しか入っていない便箋を取り出して、絶句した。
「やられた……っ」
 がた、と立ち上がって、佐登は慌てて昇降機の方へと向かっていく。桃子が後ろから「暮さん!?」と呼んでいるのが聞こえるがそれどころではない。鴎外は今、他社から来客を迎えていて、中階層の会議室を使用していたはずだと、鴎外の予定を思い返して、会議室のある二十五階の釦を押した。十階から二十五階まで、時間にして数分のことだが、手紙のことを考えると酷く長い。苛々とするわけではないものの、焦りが胸をじりじりと焦がしていく感覚がした。ぽん、と昇降機の扉が開くと、佐登は――――目の前に居た人物に目を見開いた。
 漆黒のスカァトが揺れて、そこに立っていたのはアスナだった。「そ、相談役」とりあえず、その名を呼んでみればアスナは嬉しそうに目を輝かせて、佐登を思い切り抱きしめた。
「嗚呼、可愛らしい佐登。どうしたのかな?」
「あ、あの……今は」
「太宰くんが、捕まったと聞いてね。私も地下に降りようと思ったのだが」
 アスナが意味深に微笑んだ。「中也くんが降りていったのだろう?」
 そう言われて、佐登は目を見開いてアスナを見た。彼女はどうして知っているのだろう。この二十五階から、十階の会話なんて聞こえるわけではないし、中原が帰ってきたことだって本当に突然のことだ。なのに、彼女は知っていた。それに驚くが、彼女はそれに答えてはくれないだろう、然し、それよりも。
「相談役、もしも、下に行かれるのでしたら、中原幹部を連れ戻していただけませんか!?」
「――――うん?」
 佐登の嘆願にアスナは首を傾げた。
「今、首領宛の手紙を確認していたら……『太宰、死歿せしむるとき、汝らの凡ゆる秘匿公にならん』という内容の手紙がありまして。これは」
 その言葉に、アスナの表情がここで初めて面白げに、まるで物語の魔女であるかのように歪められる。
「それはそれは! おそらくは太宰くんの仕業だろう。――――拙いねぇ」
 拙いと口にする割には、何一つ焦りもなく、寧ろこの状況を楽しんでいるであろうアスナに佐登は表情を曇らせた。だが、佐登のその表情を見て、アスナが肩を竦め、佐登の頭を撫でた。その手付きはとても優しく、穏やかなもので、佐登ははっと顔を上げる。この人は何時も人を喰ったような笑顔を浮かべるものの、然し、時折、こんな優しい柔らかな笑みを浮かべるのだ。喩えるなら、母、なのか。慈愛なのか。
「鴎外くんに伝えておいで。中也くんは私が見てこよう」――――そう言って、佐登が先程まで乗っていた昇降機へ乗り込む。そして、ニッコリと微笑んだアスナは扉が閉じて消えていく。昇降機の階層が下がっていくのを見て、こうしてはいられない、と佐登は廊下を進んでいく。首領の護衛役である黒服が佐登をちらりとうかがい見るが、誰も佐登を止めないのは、おそらく、仕事中にこのようにして進んでいく佐登がなにか緊急の案件を抱えていると思ったからだろう。だが、さすがの扉の前で止められた佐登は首領に用があることを告げる。
「しかし、」護衛の片割れが渋ったように口にする。佐登はそれにわずかに顔をしかめると、少し強い口調で言った。
「組織の存亡に関わる案件です。首領に判断を仰がねばなりません、通してください」
 佐登にそう言われれば、さすがの彼らも口を挟むことができなかったのか、素直に扉の前を譲った。

 鴎外は少し退屈に相手の話を聞いていた。
 相手は密輸業をしていて、ポートマフィアと手を組みたいという連中だ。鴎外からすれば本来歯牙にもかけたくもない連中なのだが、まあこうやって相手をするのも仕事だ。ある程度ポートマフィアで取り計らって置かなければ、こういう奴らは暴走する。本当ならば、今すぐにでも理由をつけて追い出したいところなのだが。
(暮もいないしなー)
 一応きな臭い相手なので、佐登は同席させなかった。今頃は総務課で預かっている手紙の回収と確認を行っているはずだ。終わったら、今日は会合もないのだし、終わったら家に帰ってゆっくりと食事でもしたいものだ、と鴎外は相手の話もそっちのけに考えている。せっかくだから、今日は佐登の作る肉じゃがを食べたい。明日は久方ぶりに休暇が取れそうなので、ゆっくりと佐登と晩酌をするのもありだろう。ワインセラーに何が入っていたかな、と鴎外は自宅にあるワインの銘柄を考えて、ふと、扉の方へ視線を向けた。
 少し扉の向こう側が賑やかになり、意識をふとそちらに向けた。声までは聞こえてこないが、なにか緊急な案件でもできたか、と考える。すると、叩敲もなしに扉が開かれて、佐登が飛び込んできたときには流石に驚いた。
「佐登君、来客中だよ」
 咎めない訳にはいかない鴎外は視線を佐登に向けながらそういった。相手方が僅かに眉を吊り上げているのが見える。まあ、彼らからすればそれなりに重要な話の真っ最中に、たかだか秘書に乱入されたのだから、気分はよろしくないだろう。鴎外としてはよくやってくれた、と手をたたきたいぐらいなのだが。
「失礼いたします、緊急の要件につき、叩敲は省略致しました」と佐登が淡々と告げる。相手の、それなりの重役に対して整った礼を見せた後、つかつかと進んで椅子に腰掛ける鴎外の耳元で話しかけるために屈んだ。髪が鴎外にかからないようにと、片手で髪を耳にかけ直した佐登をちらりと見る。
「今、手紙が」
「……手紙?」
「『太宰、死歿せしむるとき、汝らの凡ゆる秘匿公にならん』――――と」
 鴎外の瞳がすと細められた。佐登の判断は正しい、これはある意味緊急事態だ。
「……中原幹部が現在地下に」佐登が申し訳なさげに呟く。鴎外の眉間に僅かに皺が寄ったがすぐにいつもの、来客対応用の笑顔を浮かべた鴎外が椅子から立ち上がって、来客の方をみやった。彼らは一体何がなんだか、という表情だが、鴎外は気にした様子もなく、にこりとした笑みを浮かべたまま、話しだした。
「お話をもう少しお伺いしたかったのだが、申し訳ない。緊急の用件が入ったのでねぇ、これで失礼させていただく。嗚呼、桃子君、彼らのお見送りしてもらってもいいかな」
 ――――視線を扉の方へ向ければ、漸く佐登に追いついた桃子自身も何も判っていないが、とりあえず首領の指示に対してはい、と返事をした。鴎外が扉の方へ向かって歩き出したのに佐登がついていく。手紙の内容は勿論、拙い。アスナは楽しんでいるようだが、会議室から出た鴎外の顔はほぼ無表情だ。おそらくは何かしら思案しているのだろうが、佐登はひやりとした鴎外の気配に、わずかに視線を伏せて、昇降機の釦を押した。
「――――全く、あの子はやってくれる」
 昇降機が上階を目指し始めた頃、鴎外はぼやくようにして呟いた。それは教師が困った教え子に対して向けるようなそんな声音だった。佐登はそんな鴎外を見上げて、きゅ、と唇を噛みしめる。最上階へつくと、鴎外はすぐに執務机について、おそらくは太宰からであろう手紙を受け取って一瞥して、机の端に投げ出した。
「放置するわけにはいかないねぇ」
「はい。如何致しますか?」
「……仕方ない。五大幹部会の招集を。太宰くんはうちの最大の裏切り者だからねぇ、方針は幹部会で決めたほうがいいだろうね」
 鴎外はそういいながら目を伏せた。だが、今日招集をかけて、今日中に集まるということはありえない。それぞれの幹部にはそれぞれの予定がある。おそらく、今から今日の予定は中止させられないだろう。特に、紅葉は今、別組織の会合に出席している。
「かしこまりました。明日の午前中で宜しいでしょうか」
「そうだねぇ、それが最短かな」
「おそらくは……A様も今は海上かと思いますし」
 Aという幹部は船を持っている。おそらくはそこにいるだろう。招集をかけてこちらに着くのを考えれば、おそらく、明日の午前中が最短だと考えられる。佐登は鴎外の予定を確認して、少し顔をしかめる。休暇はどうやら取り消しのようだし、佐登もこの五大幹部会に合わせて書類の準備やら、幹部の招集のための連絡手続きやらで奔走させられることは間違いない。今日も、確実に本部への宿泊が決定した。――――それも踏まえて護衛への予定変更などの手続きをしなくてはならないな、と思うと、膨大な仕事量に目眩がしそうだ。
「済まないね、暮が忙しくなりそうだ」
「いいえ。首領、此処から長丁場かと思いますので、少し休息を取られては?」
 佐登が言外に紅茶を淹れてまいります、と言うと鴎外は苦笑しながら頷いた。もう、今日のこの書類仕事は全く進まないのが確定したのだ、予定の調整をし、鴎外に無理のない予定を組み直さなくてはならない、と佐登は自分の中での仕事を更に増やしてしまったことを自覚したが、敢えてそこには触れない。
「後は、人虎の方だが」
「先ほど芥川さんより、船に乗せたとの報告が。このまま滞りがなければ約束の時間に間に合うかと」
 ――――人虎の件には時間制限がある。今日の、夕方まで。故に、梶井による列車爆破などの計略が用いられていたわけだが、鏡花が探偵社に捕まったことで、人虎の位置は鏡花が補足していた。鏡花の体には、発信機が埋め込まれていたからだ。芥川はそれを使って、人虎を捕縛、そして、船に乗せたとの報告が上がってきたのが、丁度鴎外が来客を迎えたところだった。
「芥川さんからの要請がありまして、首領の伝手の幕僚の方に依頼を致しました。――――武装探偵社の動きを止めるために、護衛の依頼を出すようにと。大規模なものですので、探偵社はすぐに動き出せないかと」
「うん、有難う」
 確認事項を全て述べたところで、佐登は一度礼をして退室した。紅茶を淹れて、鴎外に出さなくてはならないし、それが終われば連絡三昧だ。下の総務課とも連絡して色々手配しなければならないものもある。手紙一つで、組織が此処まで翻弄されるのはあってはならないことだろうが、規模が規模だ。たった、一枚の便箋は、ポートマフィアの心臓に突きつけられた刃となっている。佐登は、お湯を沸かすためにやかんをセットしたところで、はぁ、とため息を付いた。
(今日は何時に寝られるだろうか)



 夜も程々に過ぎた頃に、鴎外と五大幹部会で遣う資料のまとめと整理をしていたところに飛び込んできたのは桃子だ。
「し、失礼いたします、首領!」
「――――今度は何かな」さすがの鴎外ももう勘弁してくれ、と言わんばかりの顔をしている。それでなくても先程アスナからからからと笑った声で「太宰くんに逃げられてしまったよ」という報告が上がってきたばかりだ。まあ、彼女の場合なら、逃げられたのではなく逃したのだろう、と鴎外は思いながらも、こちらで捕まえておく理由がなくなった太宰に関しては追う必要もないことを告げた。手紙のことを知っていたらしいアスナは、わかっているとも、と鴎外に答えて消えたところだった。
「人虎を乗せた密輸船にて爆発が発生し、人虎及び泉鏡花が探偵社に回収され、芥川さんが重傷にて病院に輸送されたとのことです!」
 ――――今日一番の鴎外のため息を聞いて、佐登が肩を震わせた。人虎が探偵社に回収された、ということは取引に失敗したということだ。こういった仕事に関しては信頼が第一だ、失敗し、予定に間に合わなかったなど、完全に信用問題になる。それは、今回の取引相手だった組合のことではない。横浜において、ポートマフィアの威厳が失墜する可能性もあるということだ。
 鴎外が机に肘をついて、手を組んでいる。何も言わないため、桃子も佐登もどうしたものかと鴎外に視線を注いでいる。
「桃子君、すぐに芥川君の傷病録取り寄せてくれるかな」
「は、はい……っ」
「暮は申し訳ないけど、芥川君が使った運送業者の動向を見てくれるかな? 彼のことだ、無事で済ませていないだろうから」
「承知いたしました」
 補佐と秘書がぱたぱたと動き出しているのを見ながら、鴎外は深く椅子に腰掛けた。久しぶりに此れほど翻弄されているな、などと思いながら、矢張り太宰くんが関わるとろくなことにならないなぁ、と誰もいない部屋で呟く。通電式の窓を開けば、横浜の夜景の光が入り込んできて、少しばかり目を細めた。

「本当に、いつ、自宅に帰れるかなぁ」




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