Shall we dance?

 パーティーというのは憂鬱だ、というのがデルカダール王国の女将軍アスナの率直な気分であった。正装でというのが当然のしきたりであり鎧の着用は近衛兵以外は原則不可。剣の帯刀は許されるが、まあ、戦う機会があっては困るという本音もあって事実上好まれない。そんなことをしている暇があるなら魔物たちに時間を割いてあげたいとは思うのだが将軍としての立場も捨ててはならない。魔物たちが平穏に暮らせているのもひとえにアスナの将軍位とそれを与えてくれているデルカダール王の温情にしか過ぎない。立場を守るために貴族との繋がりや多少のご機嫌取りも我慢せねばなるまい、とアスナは正装のタイを整えて姿見を一瞥した。
 規則正しい三回のノックが聞こえてきて、入れ、とアスナは静かに言う。失礼します、と硬くも淑やかな女の声が聞こえてきてアスナは静かにマントをはためかして振り返った。アスナの部下――オリヴィアはアスナの服装に目を見開いた。
「アスナ様、本日は正装とお伺いしておりましたが……」
 控えめに聞いてきたオリヴィアにアスナはなにかおかしいか、と両手を広げて自身の服装を確認して、首を傾げた。
「正装、だろう?」
「それはそうなのですが……パーティーに呼ばれたのですよね?」
 その、ドレス、とか。
 その言葉でアスナはオリヴィアの言いたいことを理解した。パーティーに行くのにアスナが将軍正装を取るとは思わなかったのだろう。それも間違いではないのだが、パーティーという場を考えるなら女性らしくドレスを身にまとってほしいという希望でもあったのだろう。だがあいにくとアスナはドレスを着る趣味はなかったし、何より女だから、と騎士としての自分が舐められるのはゴメンだった。未だに貴族の中にはアスナのような女騎士が将軍の立場についていることに不満があるものもいるのだ。くだらない、とは思うがめんどくさい柵があるのが貴族社会というものだ。――しかしながら、魔物に育てられたアスナにはイマイチ理解できないのだが。
 オリヴィアを一瞥してアスナははぁとため息を付いた。
「ドレスは好きじゃないの」
 言葉尻こそ柔らかいが明確な拒絶が見て取れるアスナに一体どうしたものか、としばし考え込む。オリヴィアにとってアスナは憧れの聖騎士――旗手も勤め、凱歌の鳴り響く中、列の先頭で旗を持って馬を乗りこなしている姿には憧れを抱いたものだ。その将軍の正装も正直言って素敵だとは思う。素敵だ、似合っているし凛々しい。しかしながら、せっかくのパーティー、本人が乗り気で無いとしても美しいドレスを身にまとってほしいと思ってしまう。それに、彼女も黙ってはいるものの、長くお付き合いしている男性もパーティーへ出席するのだからその男性のためにもドレスを身にまとってほしいものだ。
「アスナ様、僭越ではございますが」
 オリヴィアは意を決してアスナを見た。騎士オリヴィア、ここではひいてはならない、と。アスナは静かにオリヴィアを一瞥する。それは話を続けてもいいという合図でもあるため、オリヴィアは居佇まいを直す。
「此度のパーティーはドレスで参加されてはいかがかと」
「その心は」
「……――グレイグ様も参加されるのでは?」
 グレイグ、という名前にアスナはぴくりと反応した。そう、それが彼女の恋人の名前だ。この国の英雄、最強の騎士とも名高いグレイグ将軍とアスナはかねてより交際している。本人たちはそれを誰かに明かしたりする様子もなく隠れて交際しているようだが……正直なところグレイグという男は根が真面目すぎてわかりやすい隠し事のできないタイプだ。表情や態度に出やすいからわかりやすいのだ。アスナを慕う一人の部下としてグレイグのような男がアスナを愛してくれてよかった、と思う反面どうして隠せないのだろうと思うときもある。一番わかり易いのが一緒に夜を過ごしたのであろう翌日の朝だ、そのときばかりはアスナもわかりやすく、非常に乙女のような顔をする。
 そんな男の名前を引き合いに出されたからか、アスナはしばし考える。
「……似合わないと、思うよ」
「そんなことはありません。せっかく陛下が美しいドレスを設えてくださったのに、一度も着ないなどともったいないではありませんか!」
 オリヴィアはもう少しだ、と確信した。ここで国王の名前を出したのも、最後のひと押しのためだ。アスナも、グレイグも孤児であった自分たちを拾ってくれたデルカダール国王を何よりも敬愛している。その彼が設えてくれたドレスはアスナの真っ赤な髪が映える宵闇のドレス。しかしながら、夜空にきらめく星のように散りばめられたスパンコールのきらめきがとても美しいものだ。もったいない、というよりも、用意してくれた国王への申し訳無さが勝ったのだろう、アスナはひどく不本意そうにしながらも、そう、だなと渋々声を出した。
「でも、後、一時間で化粧とか、アクセサリーとか……」
「ご心配には及びません! 私と、メイド長で全部揃えますので!」
「……本気だね」
 アスナは目を輝かせたオリヴィアに一歩後ずさった。こんな風に後退したのは正直戦場でもないよ、と静かに思いながら覚悟を決めた。
(……ドレスを来たら、グレイグ、喜んでくれる、かなぁ)
 あの不器用な恋人はどんな反応してくれるだろうか、と少し想像すると今までは着たくもないドレスだったが少しだけ心が踊るものにかわった気がした。



* * *





「どうにも苦手だな」
 透明なグラスに入ったワインを傾けながらグレイグが呟いた言葉に視線を上に上げたホメロスは確かに、とグレイグがこの手のものを苦手としているのは十分に理解できた。元々がこういう世界と縁がないところの育ちだったというのもあるが、無骨な武人であるのだ、この男は。武勇を誇りこそすれ、自慢はせず、民のためにと戦場を駆け回るこの男にこういった綺羅びやかな世界は向いていないのだろう。
「ご婦人たちはせいぜい自分であしらうんだな」
「……お前ほどうまく立ち回れる気がしない」
 何度目のため息か。遠征に出ていて久しくパーティーに顔を出していなかったグレイグ将軍が来ているということもあってか妙齢の女性たちが浮足立っている。もちろん、ホメロスにも女性たちの視線が集まっているがそも、ホメロスはそういった女性たちは適当にかまってあしらうだけだ。グレイグのように愚直に相手をしていては疲れるだけだ、とすっぱりと言ってのける。それも正しいことなのだろうが、自分に話しかけてくれたものを無下には、というグレイグの真面目さ故なのだろう。
「それにしても随分と盛り上がっているな」
「ああ、あの、人間嫌いのアスナがパーティーに出てくるからだろう。なんでも陛下が説き伏せたとか」
「アスナが?」
 さしものグレイグも驚いた。
 人間嫌い、と揶揄したホメロスの言葉もあながち間違いではないのだろう、アスナは魔物の元で育って経緯があってか人間をあまり好んでいない。というよりも、グレイグやホメロスなど特定の関わりの深い人物以外には薄く壁を作って踏み込ませない。パーティーはめんどくさいから嫌い、と以前、グレイグと話していたとおりで――「パーティーで関わりたくもない人間と関わらなくちゃならないのがめんどくさいから嫌い」という意味だ。そのアスナが、いくら父のように慕っている国王の言葉があったとしても素直に聞き入れたとは思い難い。あらゆる攻防がなされたに違いないが、アスナが来るというのなら、将軍の立場につくアスナに接点を持ちたい貴族は多いだろうし、外見は美しく、妙齢でありながらまだ未婚ともなれば、男性たちが浮足立つのもわかる――と考えたところで、グレイグはホメロスに小突かれた。
「顔が恐ろしいことになっているぞ、グレイグ」
「……いや、そんなことは」
「まだ、アスナが他の男と関わったわけでもないのに、嫉妬か?」
 ホメロスがからかって笑う。その通りで、グレイグは反論できずグラスの中のワインを口へ押し込んだ。
 その時だった。
 会場のざわ付きが一気に最高潮になり、そして一瞬にして静まり返った。女性も男性も一斉に静まり返ってグレイグとホメロスは互いに顔を見合わせた。こつ、と聞こえた靴の音に視線を向けてみれば、一気に呼吸が止まるような思いがした。まるで燃えるような赤い髪、夜空に輝く星のような金色の瞳、白い肌を覆う漆黒のドレスは星が散りばめられたようにスパンコールが輝いている。誰にも手をひかれることはなく、凛々しく歩く姿が印象的でグレイグは目が離せなかった。
 会場が静まり返っていることに少し驚いたような表情を浮かべた彼女。一体どこのご令嬢かしら、と後方のご婦人たちが噂する声が聞こえる。
「グレイグ、ホメロス!」
 彼女が自分たちを呼ぶ声で理解した。ひくり、とホメロスとグレイグの表情が引きつった。
「……化けるものだな」
 皮肉だろうか、本音だろうか、しかしながら今ばかりはグレイグも大いに同意できる言葉だった。あの戦場で見ている勇ましさはどこに消えたのか、美しい麗人――アスナは幼馴染であり、戦友であり、親友であるグレイグとホメロスの元に急ぎ足でも向かってくる。視線に耐えかねたのだろう、二人を見つけてホッとした表情を浮かべている。
「グレイグ将軍、ホメロス将軍――ご機嫌麗しゅう」
 楚々とした仕草でドレスの端を持ち上げたアスナに一瞬反応が遅れたが、最初に意識が戻ってきたのはさすがはホメロスだった。ホメロスは婦人たちすらイチコロにするような営業スマイルを浮かべてアスナに手を差し出す。アスナは静かにその手を重ねて、ニコリと笑う。静かにその手の甲にキスを落として、ホメロスはアスナへ明確にわかる世辞を述べた。
「見違えましたな、アスナ将軍。戦場で勇ましく馬を駆り弓を引き、旗を振る姿もお美しいといつも思っておりましたが――天上の天女すら素足で逃げそうな美しさだ」
 口の端を持ち上げて言えば、アスナはひくり、と眉を吊り上げてホメロスを睨みつけて、引きつり笑顔を浮かべた。
「あら、お美しさでいうのならホメロス将軍、貴方には勝てませんわ。純白の衣装がそれほど似合う殿方も少ないでしょう。多くの女性を魅了する美しさには私のような田舎娘など到底及びません」
 互いの嫌味の応酬ももういつものことだ。ホメロスもアスナも恒例行事のようにそれらを終えると、手を離した。しかしながら、ここまで来てグレイグから一つの反応もないことにアスナは不安に感じたのだろう、ホメロスもアスナもその視線が自然とグレイグの元へ向いた。そして、ホメロスは呆れてため息を付いた後、グレイグの脇腹に思い切り肘鉄を打ち込んだ。ぐ、とさすがの武勇を誇るグレイグ将軍も急襲にも近いホメロスの肘鉄には瞬時に対応できなかったのだろううめき声が上がった。それで意識が戻ってきたのだろう、頬は若干紅いままだがそれはいい。ホメロスに倣って、アスナの手をそっと取ると、少し屈んで自分の唇に近づけた。
「その……とても美しい」
 グレイグの言葉には嘘がない。アスナは一気に頬どころか全身が熱くなるような思いがして、息がつまりそうだった。隣のホメロスが呆れたように肩をすくめているのが何となく分かるが仕方ない。なんとか声を絞り出すようにしてお礼を述べると、ひどく名残惜しかったが手を離した。
「陛下から賜ったドレスというのがそれか」
「……ええ、ちょっとドレスに負けているような気がしたのだけれど」
「そんなことはない。お前の美しさを際立てていると俺は思うが」
 グレイグの言葉にアスナは息をつまらせた。他意はない、他意は、とアスナはなんとか咳払いをして持ちこたえた。天然とは本当に恐ろしい、と思いながらくるりと体を反転させてパーティー会場を眺めた。
「盛大ね」
「そうだな、俺も久しぶりだが。確かに盛大だ」
「何、めったに顔を出さないお前たちが来るから盛り上がっているんだろう。いい機会だ、顔でも売ったらどうだ」
 ホメロスの言葉にアスナは思い切り顔をしかめる。いやよ、めんどくさいと口に出さずともわかる表情だ。ニコリともしないアスナは本当にパーティーがめんどくさいのだろう、今にも帰りたいのを必死でこらえていると言った風体であった。ボーイがアスナの元へやってくるとお飲み物はいかがいたしますか、と丁寧に声をかけてくる。アスナはふとどうしようか、と考え、ちらりと二人を見る。二人のグラスには紅いワインが入っている。
「彼らと同じものをいただけるかしら」
「か、かしこまりました」
 表情だけ笑顔を浮かべたアスナはボーイが行ったことを確認すると、ふうとため息をつく。
「……なんだか、落ち着かないわ」
「大丈夫か? 俺も、あまりこういう場は得意ではないからな、気持ちはわかる。……何か、食事でも取ってこようか」
 グレイグが少しばかり表情を沈ませているアスナに気遣いの言葉をかける。ありがとう、とこれは表情だけの笑顔ではなく心からの笑顔を浮かべてアスナはグレイグを止めた。気持ちだけで十分だ、本当に。
「……グレイグが、居てくれたほうが、落ち着くの。こちらに居てくれる?」
 他の客からは見えない位置でグレイグの服の裾を引いてアスナは困ったように笑った。そ、そうか、と言葉をつまらせながらもたまらなく幸せそうな顔を浮かべている親友たちにホメロスは肩をすくめた。
「俺がいるところでは控えてもらえるか、二人共」
「……あ、ああっ、すまん、ホメロス!」
 動揺した声を上げるから密かに噂されるんだぞ、グレイグ、という言葉をホメロスは飲み込んだ。すると失礼しますと先程のボーイがアスナにワインの入ったグラスを持ってくる。ありがとう、と笑ったアスナはそれを受け取って二人の前に出す。グレイグもホメロスも何も言わずに伝わったのか、かちん、と三つのグラスが重なって音を立てる。



* * *





 美しい音楽の旋律が聞こえてくると会場が一変する。男性が着飾った女性に手を差し出し、麗しいワルツを踊る。綺羅びやかな照明に包まれて踊る男女の美しいことと言ったら無い。アスナにとっては初めて見るパーティーでのダンスであった。
「……始まったか」
 ホメロスが煩わしげに呟いたのは女性たちの視線がよりいっそう強まったからだろう。パーティーに来ているのに男が壁の花をしていても何も美しくもない。誰か適当に誘って後腐れなく離れたほうが有益なのだが、誰を選ぶかが問題なのであって、それがひどくめんどくさいと言わんばかりの表情をしていた。
 誘われる側のアスナの場合は今はグレイグとホメロスがそばにいるので誘われないだろうが、二人が離れた途端大変なことになりそうだ、と言うのは想像できる。――が、アスナは少し呆然とした様子でダンスの様子を眺めていた。二人がそんなアスナの様子に気づいて視線を下ろした。
「キレイね」
 純粋に屈託のない言葉。
 憧れがないといえば、嘘になる。女の子らしいことに興味が無いわけではなかった。魔物と育って少しばかり常識に疎いかもしれないが、お姫様を迎えに来る騎士様とか、王子様とか憧れはする。幼い姫に読んでとせがまれた童話にはそういう話が多かったこともあるだろう。いつか、自分にもそんな――などと夢見たことがないとは言えない。もう、いくらなんでもそんな夢見るような年頃ではないのだが。

 ごす、と再度、ホメロスの肘鉄がグレイグの脇腹に直撃した。今度はうめき声を上げずに耐えきったぞ、とグレイスは涙目になりながらホメロスを見下ろした。自身を見上げてくるホメロスの目の冷たいことと言ったらない。言いたいことは何も言葉に出さずとも伝わった。ホメロスが静かに自分たちから離れていったのを確認して、グレイグはんん、と咳払いをして静かにアスナの前に回って、手を差し出した。

「よろしければ、私と一曲、踊っていただけますか。――姫君」

 薄っすらとグレイグの耳が紅い。
 アスナはぱちぱち、と目を見開いて、そしてとてもうれしそうに笑うとそっとグレイグの手に自分の手を重ねた。
「喜んで、聖騎士様」
 グレイグに手を引かれてダンスホールになっている会場へ入るとグレイグとアスナは見つめ合って一礼した。優雅に流れ出すワルツの曲に合わせるように手を取り合い、グレイグがアスナの腰にそっと手を添えてステップを刻み始める。ワルツは男女が密着するダンスだ。取り合った手と手、近づいた胸から心音が聞こえないだろうか、とアスナは少しだけ不安になった。曲に合わないくらいドキドキと高鳴る心臓。穏やかに自分を見つめてくれているグレイグにひどく安心感がある。
「グレイグ、上手なのね」
 ――他にも踊る機会があったの? と少しだけヤキモチのニュアンスを入れてみるがきっとグレイグは気づかないだろうとアスナは思った。彼はそうか、と少し首を傾げた後、ああ、そういえば、と思い出したように苦笑した。
「ホメロスにいつかこういう機会がくるからスマートに踊れるようになれ、と相当しごかれてな……」
「ああ……じゃあ、ダンスは?」
「実際にはお前とが初めてだな。ちゃんとリードできているか不安だが、大丈夫だろうか」
「すごく素敵よ、騎士様」
 アスナはフフと笑ってグレイグに笑いかける。文句なしだろう、と思う。アスナもこういう場は初めてだから本当にスマートかと言われると自信はないのだが……ホメロスが鍛えたのだから多分間違いはないだろう。自分の焼き付け刃のワルツでは見栄えが悪いのではないだろうか、と思ってしまうくらいには。
 これは他の女性がグレイグ様は不器用そうですけど素敵ですね、とお話しているのも納得なのだ。自分だってそういうグレイグが好きになったのだから。不器用で天然で、時折から回ることもあるがその優しさは本物で、実力だってある、人望だってある。――なんて素敵な人なんだろう。
 ふと、アスナの視線がグレイグから落ちたときだった、アスナの足がグレイグの足に乗ってしまい、思い切り踏んでしまった。
「きゃ、ぐ、グレイグ、ごめんなさいっ」
「いや、大丈夫だ、そのまま」
 足を踏まれたというのに全く表情に出てこないグレイグにアスナは不安になるが、グレイグがしっかりとリードしてくれたお陰ですんなりと元のステップに戻ることができて、ほっとする。しかしながら、二度と足を踏んではならないと思うと自然と視線が足元へ向いてしまう。
 グレイグは少しだけ不満に感じた。ダンスというのはちゃんとお互いの顔を見ていなければ、リードもしづらい。踊りづらさは感じてないか、などやはり表情から伝わるものもあるからだ。そして何より――愛するものの手を取って踊っているのだからその表情は余すことなく見ていたい。腰を抱く腕に少し力を入れて顔を近づけた。
「アスナ、ちゃんと俺の方を向け」
「……っ、ぐ、グレイグ」
「ちゃんとリードすれば、足を踏むこともないだろう。――俺を信じて、その身を預けてくれ」
 ああ、なんて。なんて。
 はい、としか言えないじゃないか。アスナはゆっくりとその紅く染まった顔を上げてグレイグを見つめた。目をそらすことのないように。見えないように、そっとグレイグはアスナの額にキスを落とす。――いい子だ、とつぶやかれる。耳まで熱くて、もう融けてしまいそうだ。ただ、ダンスが終わるまでの時間が、長いようで、短い気がしてただただ心臓がうるさくてたまらなかった。

 ダンスが終わるとグレイグはさり気なくアスナをエスコートしてバルコニーまで連れてきた。あのままではアスナも自分も他の相手と躍らされるのは明確だったし、妙に大人しいアスナを使って少し体調が悪そうだから付きそう、と言えば、かねてからの友人を心配するグレイグ将軍らしいだろうし、問題はないはずだ、とバルコニーでふう、と息をついたアスナの背中を眺め、そして、そっと抱きしめた。
「……誰かに見られたら困るのは、グレイグよ」
「困ることなど、俺には無いが」
 もう、とつぶやきつつ拒絶しないからこのままでいいか、とグレイグはアスナの髪にキスを落とす。するとアスナはゆっくりと振り返ってグレイグの首に腕を回す。少し背伸びするとグレイグの唇に自身のそれを重ねた。

「アスナ」
「ん?」
「今度はここで、俺の前だけで――一緒に踊ってくれるか?」

 抱きしめられる。流れ出したワルツの曲にアスナはそっと目を細めた。そして、グレイグの額に自身の額をそっと合わせて笑う。
「足、踏んじゃったらごめんなさい」
「かまわない」
 誰も見てない場所でただ愛おしい気持ちだけに体を任せて、アスナはそっとグレイグの手を取った。

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