扉は開かれた

 大きなお屋敷の車寄せに黒塗りのキャラデック・リムジンが到着すると車寄せの警備をしていた私兵たちが慌てて邸の中へ駆け込んでいくのが車の中から見えた。いかが致しますか、と控えめに聞いてくる運転手を相手にその人物は適当に手を払い、車から降りることなく椅子に深く腰掛けていた。
 それからしばらくして、転げ落ちてくるのかという勢いで邸の中から二人の男性が出てきて、車の少し前で優雅な足取りへと変わり――若く背の高い方の男が車のドアに手をかけたのを見て、やれやれとため息を付いた。ドアが開き、差し出された手を取って車から一歩出てきたその人のドレスはまるでそこだけが夜であるかのように暗く、目を引いた。立ち上がり、長い髪を落ち着かせるかのように首を振れば、その赤い髪はまるで焔のように見えて、未だ屋敷に入っていなかった者たちが、ほうと息をついた。
「これはこれは、シュヘンベルグ大公爵。本日はお越しいただきまして――おや、弟君もご一緒ですかな」
 よく似た赤い髪の青年――というには些か顔立ちが幼く見えたその人物に気付くと、邸の主人は丁重に頭を下げた。シュヘンベルグ大公爵と呼ばれたのは女性の方であり、黒いドレスのフリルを揺らしながら弟の方へと手を伸ばす。弟も心得た、と言わんばかりに自分よりも少しばかり背の高い姉の手を取ってドレスやヒールで歩いても支障のないレベルで歩き出した。
 流れるような一連の動きに、邸の主人やその息子があっけを取られていると、シュヘンベルグ大公爵は振り返ってニコリと笑ってみせた。
「私のエスコートは弟のレオルグにまかせております。どうぞ、私共にはお気遣いなく」
 行くぞ、とレオルグに告げた姉の言葉にレオルグははいと静かに返して会場の中へと消えていった。

 鬱陶しい視線を感じながら、シュヘンベルグ大公爵――アスナ・シュヘン・ガル・クラウンは静かにため息を付いた。それを感じ取ったレオルグは苦笑して、一度姉の手を離して、隣を歩くように付き添う。その姿はどちらかといえば弟というよりも従者であるように見えたのは、彼の衣装がホワイトタイという最礼装であったからだろう。普通、こういったパーティーではブラックタイが基本だろうが、彼はあえてホワイトタイを選んだ。
「シュナイゼル殿下から直接のご依頼だったのでしょう。そのような顔をされては」
「わかってるさ。――あの方の気まぐれには困ったものだ」
 少し陰鬱げに、しかし決して嫌がっている雰囲気ではない姉にくすりとレオルグは笑って、招待状を会場となる大広間の扉の前にいた警備に見せるために取り出した。白い封筒のそれを見せようとして、警備の目線がそら遠いところを見ている姉に向いている事に気づいたレオルグはこほん、と一つ咳払いをした。
「あ、ああ、失礼いたしました。シュヘンベルグ卿と弟のレオルグ様ですね。招待状拝見いたしました、どうぞ当家のガーデンパーティをお楽しみくださいませ」
「ありがとうございます」
 レオルグは招待状を受け取り直し、ポケットへしまうと再び姉の手を取って、ドアの向こうへと歩む。さて、姉はどこまで機嫌を損ねられず、頑張れるものかな、と少しばかり期待してしまうのは仕方がなかった。



* * *




(どこにいたらいいのかな?)
 華やかなガーデンパーティーの片隅で、枢木スザクは困り果てていた。身の置き場がない、というのを我が身で実践中である。
 日本国首相枢木ゲンブの一人息子、枢木スザク。まもなく16歳になろうかという春に、いきなり父から強制的に留学を申し渡され、現在神聖ブリタニア帝国アッシュフォード学園高等部一年に在籍中である。
(えーと、会長どこ行ったかな?)
 人懐っこい性格が幸いして留学先でも友人はすぐに出来た。転校初日、登校五分で友人ができるのは我ながら凄いと思う。その友人たち、リヴァルとシャーリーに引っ張られる形で、生徒会メンバーにまでなってしまった。
 日本の学校のお堅い生徒会を想像していたスザクは、アッシュフォード学園の生徒会活動に最初は驚いたが『郷に入っては郷に従え』と今では率先して活動している。女装も猫耳もドンと来い。
 こうして、学園生活を満喫していたスザクだったが、転機はこのガーデンパーティーだった。


* * *



 シュヘンベルグ大公といえば、この国で知らぬものはいない一人の女性を示す名詞である。赤い髪をなびかせたその人はパーティーには不釣り合いなほど濃い暗色のようなドレスを身にまとっていてもなお、その輝くような美しさにパーティー中の視線を集めていた。隣に立つ、弟のレオルグですら姉の圧倒的な美しさや凛々しさには気圧されてしまうほどだ。シュヘンベルグ大公は緩やかな微笑みを見せ、招待客の数名と和やかに談笑している。
「――ええ、昨今の経済動向を見れば……」
 難しそうな話にレオルグはクラクラしそうになった。いくら、スキップ(飛び級制度)で高校に通っているとはいえどもまだまだ十三才になったばかりの少年である。経済の話とか、政治の話などまだまだ遠い世界だと思いたい。思えないとしても。姉がちらりと視線を向けてきたのを感じて、レオルグは慌てて背筋を直した。レオルグはまだデビュタント前の少年なので、本来ならこういう場に足を運ぶことは難しいのだが――目が見えないシュヘンベルグ大公は末の弟を連れ歩くことが多かったので、皆が見逃してくれている。本当に重要なパーティーには大公の双子の弟が連れられるので、皆微笑ましくレオルグを見守ってくれている。
「レオルグ、私はしばらく大丈夫だからお食事でも頂いてきなさい」
「あ、しかし、姉上」
「難しい話は飽き飽きだろう? せっかくのガーデンパーティーで、美しい料理も揃っているようだし……私の分まで楽しんできなさい」
 ――まあ、ダンスはまだ踊れないがね、と片目を瞑って茶化す姉にレオルグは困ったような笑顔を見せた。
 軽く、牽制も含まさっていたのだろう。年頃の近い令嬢を抱えている貴族たちが一瞬にして表情を曇らせた。デビュタント前の少年が、自宅のパーティーでもないのにダンスを踊るのは些か不躾だ。早くから縁を作っておきたいのだろう貴族たちはそんなことを無視して、レオルグと一曲踊らせたかったようだが、姉は弟にはまだ早いのだとさり気なくもすっぱりとそれらを断ってくれた。
「そうですね。――美しい方々を前に、とても残念ですが……私では役不足でしょうし、お食事を頂いてまいります。姉上、何かあれば呼んでください」
 レオルグの言葉に姉は柔らかく微笑んで、頷いた。もちろんだとも、といったあとにすぐに背を向けて、客たちと話しだしたのでレオルグは踵を返してダンスホールとは反対側にある飲食側のスペースへと足を運んだ。姉の言う通りに多種多様の料理がテーブルごとに並んでおり、食事は姉のほうが食べたかったのではないだろうかと心配になってきたがせっかくなのでいただくことにした。姉には後で数品とドリンクを持って戻れば、姉が空腹に悩まされるということはないだろうし、いざとなれば屋敷の使用人たちが夜食を用意してくれているはずだった。
(……これと言って、食べたいと思えるものがない場合はどうしようか)
 ふむ、とレオルグは食事が並べられているテーブルの前で悩ましげに指を口元に当てた。この場合は自分、というよりも姉が、という方が正しい気もするがレオルグ自身もこれと言って食べたいと思えるようなものは並んでいなかった。姉はもともと、肉料理や油脂がたっぷりと使われているような味の濃い料理は好まないので、さっぱりとした前菜料理のほうが好きなのだが――と、考えたところででっぷりと太っていたヴェステンブルフ公爵を思い出してしまって、食事はたいてい主人の好みを反映するものだと納得がいったレオルグは無難にサンドウィッチと数点のフルーツをとってそのテーブルから捌けようとしたところで、後ろから声をかけられた。
「あれ、レオルグ?」
 聞き覚えのある声に、屈託のないレオルグへの呼び方にあわてて振り返ってみればそこにはアッシュフォード学園生徒会会長のミレイ・アッシュフォードが立っている。周りには数名の男性がいるところを見ると、それなりにパーティーを楽しんでいたのだろうということが伺える。レオルグはサンドウィッチの乗った皿を近くのテーブルに置いて、ミレイに対して丁寧な礼を心がけた。
「これはアッシュフォード嬢、本日は日頃の美しさもより際立ち、庭に輝く薔薇たちも一歩引く美しさを讃えておられます。ご招待されているとは知らず、ご挨拶が遅れまして誠に申し訳ありません」
 レオルグのその対応に、ミレイも今がどこであったのか思い出したのだろう。家柄だけでいうのならば、年齢がいくら年下であろうともレオルグのほうが圧倒的に格上なのだ。ミレイは令嬢らしく恭しく一礼してみせた。
「こちらこそ、レオルグ公。本日は姉上のお供でございますか?」
「ええ。姉は先程から、招待客の皆様に捕まっておりまして――一人、放り出されてしまったのです」
 レオルグが冗談をほのめかすようにして、片目をばちりと閉じたので、ミレイは少しだけ肩の力を抜いて微笑んだ。



* * *




 ミレイがそうしてレオルグと会っているとは知らずに。
(人を無理やり付き合わせて、どこに行っちゃったんだろう)
 日本国首相の息子という肩書きを持つスザクには、留学直後から色々招待状が届いていた。そういった華やかな世界には微塵も興味がないスザクにとってみれば迷惑なこと極まりなかった。今回もさっさとお断りの返事を出そうとしたスザクを止めたのは、生徒会長のミレイ・アッシュフォード。
「将来に向けての練習だと思えばいいのよ。スマートな振る舞いができればカッコいいしね。しつこい女や男を上手にあしらう扱いを目の前で見れるチャンスなのよ! こういうのは出席しなさい!」
「でも、こういうのは女性の同伴者が必要なんじゃ……」
「私に、まっかせなさい! このミレイ様がついていってあげようではないか!」
「えっと、じゃあお願いします」
「こらっ! もうちょっときちんとしなさい!」
 スザクはそう怒るミレイにやれやれとと思いながら、姿勢を直して礼をする。
「それでは、ミレイ・アッシュフォード嬢。私のパートナーをお願いしてもよろしいでしょうか」
「うむ! よきにはからえ」

(と言いながら、自分はさっさとどこか行っちゃうし。男が壁の花をやってても絵にはならないし)
 姿勢正しくすらりと立つ姿はさっきからご令嬢たちの注目を浴びているのだが、本にはまったく自覚はなく。まさか、パーティー会場で女性から声をかけるわけにもいかず、みんなジリジリ見ているのだ。
「はあ……」
本日何度目かの溜息を吐いたスザクの上着の裾を誰かが引っ張った。――が、誰の姿も見えない。
「え? と、あれ?」
 後ろを見ても誰もいない。もう一度、ひっぱられて、下にいる子供に気がついた。にこっと笑う男の子は、とてもきれいな黒髪に紫水晶の瞳だ。
「あのね、これあげる」
 まるでお人形のような可愛らしい少年の小さな手のひらにはキャンディー。スザクはしゃがんで、男の子と同じ目線になる。すると、男の子がひどく驚いたような顔をする。
(あれ? なにかしたかな)
 疑問に思いながらも、スザクは男の子の手のひらのキャンディーをとりあえず、貰う。
「ありがとう。食べてもいいのかな?」
 こくこくと頷くのを見て、包みを開けて口に入れる。甘い、苺の味が口いっぱいに広がった。
「美味しいね、イチゴだ」
 男の子は本当に嬉しそうに笑った。――とても、嬉しそうな笑顔は可愛らしい。
「ルル、イチゴ好き」
「ルルって言うんだ。僕はね、スザクだよ」
「スザク?」
「そう」
 当たり前の自己紹介だったのだが、男の子はイチゴが美味しいと言ったときよりも更に嬉しそうな顔をして、スザクの腕を掴んだ。

「スザク、あそぼ!」

 小さな皇子と騎士の出会い。


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