変わりのない夢を愛す
本国にいる愛おしい双子の弟よ。本国はどのような感じですか。
宮廷内は相変わらず、泥沼だろうけれど、私の弟であるお前はたくましく生きていると姉は信じています。
姉は今、お前に黙ってシュナイゼル殿下と共に日本の地を踏みました。
日本はとても穏やかな気候だと聞いていましたが、現在は残暑と言われる夏の残りのしばし暑い時期なのだとか。海はもう入れないらしいのが少しさみしいですが、姉は今日も元気に殿下をお守りしています。
――――然し、姉は今、迷子になっています。
何故、私が迷子になったのかというと。
時刻はほんの三十分ほど前にさかのぼります。
私立桜蘭学院高等部――――。
財力と家柄を誇る、日本有数の金持ち学校であり、国内のみならず国外の貴賓が留学することでも知られている一流の高校である。車が滑り込むようにして、車寄せに到着する。アスナはガリオンが扉を開けるまでじっと待っているが既に警戒は鋭いものだ。日本には剣を持ち込めないため、特例としてジャケットの内側にホルスターをつけて、銃を装備している。ジャケットのボタンを閉めていないのは、そのためだ。
ガリオンが車の扉を開けたときに、アスナは一歩踏み出した。――――視線などはなし。殺気などもなし。落ち着いて、確認を済ませる。ガリオンが視認できる範囲に敵がいないことを教えてくれる。アスナは問題ないことを確認して、シュナイゼルへ手を差し伸べる。まるでおとぎ話に出てくる騎士の如く恭しく、洗練された動きには全くの無駄がない。シュナイゼルは優雅にその手を取ると、車から降りてくる。
「さて、行こうか、アスナ」
「イエス、ユア・ハイネス、殿下。お供いたします」
アスナは穏やかに微笑んだ。騎士として、皇子のエスコートは完璧でなくてはならない。本来なら女性がエスコートされる側だが、この場合は違う。アスナは騎士である。シュナイゼルの手を引いて僅かな階段を登っていく。誰の目がなくても、これは当然のことなのだ。好奇の視線を感じてふと顔を上げてみれば、おそらくは授業終わりの生徒たちなのだろう、きゃいきゃいと話す声が聞こえる。アスナは表情を変えずに視線のみ送ったが、後ろに居たシュナイゼルがしっかりとロイヤルスマイルを向けていた。その瞬間に女生徒の甲高いきゃーという声が控えめに聞こえてきて、アスナは少しだけ面白くなかった。いや、わからなくはない。殿下のお顔立ちは本当に神々に作られた創造物と言って差し支えないがあまりにもミーハーではないだろうか。一応相手は皇族だぞ、と思ってしまう。
ぐ、とこらえ表情には出さないようにと心がける。理事長室までの案内をと言ってくれたのはこの学校の生徒会長のようで、少し気弱な声の印象がアスナにはある。姿が見えないが、感じる気配はどことなく頼りなさそうな印象だ。
「ようこそいらっしゃいました、シュナイゼル殿下、シュヘンベルグ卿、登校は殿下と大公爵のご留学を心から歓迎いたします」
「ありがとうございます。これから宜しくお願いします」
シュナイゼルが友好的に笑みを浮かべて握手を交わしている。アスナは僅かに下がったままそれを眺めている。まあ、見えているわけではないので目は本当に向けられているのみ。シュナイゼルに対して敵意もなければ悪意もない。武器が一瞬でも出てくるようなことはこの日本ではないだろう。軍隊形式は維持しているものの、お仕着せのそれに価値はない。軍国主義のブリタニアの精鋭の騎士であるアスナを出し抜けるような暗殺技術を持ったものは極少数だろう。留学のために学校に通っているというのに、思考がすでに物騒であることにアスナは気付いていないのだが。
アスナとしてはすでに学業を終えている身だ。軍学校をまあ、いろいろな経緯を経たとは言え卒業扱い。すでに軍属であり、大公爵の地位を得ている立派な社会人であるから、正直な所学校というところに一つの興味もない。勉学だけで言えば、すでにアスナもシュナイゼルも政治分野に置いては博士号を得ているのだから、こうして社会的常識を身につけるためとは言え学校に通う意味があるのか。人間的成長を、などと言われた記憶もあるが。他者が交われば、当然そこに危険が生まれる。シュナイゼルは目立つ外見をしておられることもあるから――――。
「シュヘンベルグ卿、こちらが本校の警備となっております」
校長の声にアスナはようやく意識をシュナイゼルから全体へと戻した。ありがとうございますとにこやかに笑って書類を受け取る。なるほど、ただの紙だ。さらりとしており、点字などの記載がないことに気付いたアスナは自身の目の不便を呪った。後でガリオンに翻訳させねばならない。シュナイゼルが僅かに不快げに顔を顰めたのがわかった。まあ、彼のことだそんなもの一瞬なのだろうが。
「このまま生徒会長が案内を務めます、殿下」
「宜しくお願いします」
といい。シュナイゼルと共にアスナは生徒会長の後をついて回り、桜蘭高校の校舎を見てゆくことになる。ブリタニアの寄宿制の学校もそうだが、広い作りだ。まるでひとつの離宮だと言われても差し支えがないレベルだろう。アスナは歩き回りながら、カメラやセンサーなどの位置を出来うる限り把握しようと神経を尖らせる。こういったものの配置と、警備員の数、そしてそれらを複合し、統率した結果に万全な警備が築かれる。
自分以外を信頼し無くてはならないが、それら全てを信用してはならない。当然、自分も含め、すべてのものにミスは生じる。突然機械が動かなくなった、警備員の交代・引き継ぎ中、自身の注意散漫、自然によるもの、故意的ななにか、など、ミスが起こる原因は多種多様だ。最終的にはその場で動けるものの感覚が一番重要視され、シュナイゼルを傍で守るものの判断が最も優先されるだろう。
――――ミスが起こったとしても冷静に対処できるように。汎ゆる状況を見越して、把握していなければ。
おそらくはそんなことを考えながら歩いていたからだろう。
生徒会長の話などとうに耳に入っていなかったし、シュナイゼルもガリオンがついているからと少し意識を離していたことが原因だ。――――これぞ、完全に自身の注意散漫によるミスというやつだが。
「……あれ、ここ。どこ?」
アスナは迷子になっていた。
気付いた頃には、シュナイゼルの気配や足音がない。見えない上に、全くの土地勘のない場所に一人放り投げられてしまった気分だ。地図などあってもアスナにはなんの役にも立たない。気配などを読んでみたところで、物体のある程度の形状がわかるくらい。そんなものわかっても慣れていない土地であれば、どうしようもない。
「シュナ、」
呼んで見ても、当然答えなんて無くて。どうしよう、と急に不安になってきた。見えなくなって、不安だらけで、でも騎士の仮面をかぶって誰よりも強くあろうとしてきたのに。こんな簡単に剥がれてしまう仮面なら意味がないというのに。いやそもそも、迷子ってどうなんだろう。よろしくないのでは。小さく、湿った暖かさのある空気が頬をなでていく。木の葉が音を立てて流れていった気配を感じて、不安が増長されていくような気がしてアスナは慌てて歩きだそうとして、誰かに手を取られた。
――――反射的にその手を掴み返して、つい思い切り組み伏せてしまった。自分の下になった人物からは抵抗を感じず、あっという間に地に伏せてしまった。
「……?」
制服の感触は男子制服だった。しかし、組み伏せた手の感触は相手が女だと告げている。
「い、いたっ、」
「……生徒?」
とっさに飛び出した言葉がそれで申し訳なかったがアスナは手を離した。のしかかっていた体をどけると、男子生徒なのか、女子生徒なのかいまいち判別のつかない彼がのそのそと起き上がったのがわかる。
「まさか……いきなり組み伏せられるなんて」
「……すまない。手を掴まれたから、つい反射的に」
――――それが、この桜蘭学院唯一の特待生である藤岡ハルヒとアスナの出会いである。