はじまり


 月の光だけが暗闇に満ちた森を照らす夜。ギーマはパートナーレパルダスと共に歩いていた。そんな二体を草の間からミネズミやミルホッグの警戒を示す瞳がキラリと輝く。ギーマは自分より一歩後ろを歩くレパルダスを見た。

「気配はありそうか」

 静かな森にぽつりそれと同じギーマの静かな声が落とされた。レパルダスはご主人の顔を見上げ、短く声を上げてかぶりを振った。
 そうか、とまた静かな声が落とされた。しかし、ギーマは歩みを進める事を止めなかった。決して嗅覚も聴覚も優れた聡明な彼女を見くびったわけではない。彼の勘が"この先にいる"と彼の脚を止めなかった。
 
「なに心配するな。キミの事を見くびったわけじゃない」

 ギーマは不安げに自分を見上げるレパルダスの頭を撫でた。さぞ喜ばし気に鳴き、彼の脚に自身のしなやかな身体をすりつけるレパルダスの甘えに、ふと彼の脳裏に浮かんだのは自宅で自分の帰りを待つナマエだった。
 レパルダスが自分に甘える姿を見ると、まるでステージに立ってなお、誰も歌を聴いてくれず頬を膨らましたプリンの様な表情浮かべるナマエ。そんな彼女を見て、誇らしげに鼻を鳴らすレパルダス。一体どちらが彼の恋人なのか――。
 ギーマはそんな事を思い、ふっと短く笑った。そして直ぐにアレを見つけて、自分の帰りを待つ恋人の元へ帰ろうと、そう思った刹那――レパルダスが声を上げた。レパルダスの鳴き声によって目の前の現実に意識を戻すと、彼の目に映ったのは、この自然の溢れた森に似つかわしくない人工的な頑丈そうな鉄の檻だった。そしてその鉄柵の間から眼光が鋭く輝いていた。

「噂を耳にして来てみれば、まさかな」

 更に近づき檻の中に拘束された黒い物体を目にし、ギーマは怪しげに口元を歪めた。黒い物体は威嚇するかの様に彼をジッと睨んだ。ギーマの足元にいるレパルダスは逆毛を立て、彼の脚にすり寄った。目の前の初めて見る黒に包まれたポケモンに怯える彼女を宥める様に一瞥し、彼はもう一度そのポケモンに目を向けた。

「ダークライか」

 彼がそう口にすると威嚇する様に檻にたいあたりしダークライは声を上げた。ギーマは動じることなく、ただ怒りに身を震わせるダークライを従容と見据えていた。
 しかし実のところ心中では僅かに驚愕していた。リーグ仕事を終え、久しく赴いたカジノで耳にした道化師さながらの男の言葉''あの悪の代名詞ともいえるダークライを捉えた''――。

「まぁそんな怒りをむき出しにするな、らしくないだろ?」

 怒りと憎しみで揺れる瞳をギーマはそれとは対照的な落ち着いた瞳を彼に向けていた。ギーマの言葉の意図――それは悪タイプの使い手としてこのイッシュ地方で頂点に君臨しているからこそ云える言葉であり、同時にダークライという悪タイプのポケモンを同志の様に捉えているからこそ口にすることができる言葉であった。
 さらに彼が抱く悪タイプの立ち構え、相手に感情を悟られるな、悟られたら負けだ、と目の前のダークライにほのかに教えを施している。
 ダークライは目の前の男に屈した。
どんなに悪の代名詞ともいえるダークライに屈しないギーマ。彼自身、悪の使い手として、あのダークライさえも使役しなければならないというプライドがあった。

 見事にそれを成したギーマは、ポーカーで勝利をおさめた時の喜びと同じ様にニヒルな笑みを浮かべた。

「この檻を壊してもいい…が、このままハンターの手に渡ってゲームオバーというのもキミの人生だ」

 まるで目の前のダークライを手中で転がすコインの様に弄ぶ言葉だ。現に彼はいつどのタイミングで取り出したのか分からないコインを慣れた手つきで弾かせている。
 静かな森で鳴るのはコインの弾く音。檻の中のダークライの落ち着きを取り戻した瞳とギーマの感情の読み取れない瞳が交じり合う。そして突如、コインの音が手中の収められた。ギーマは、ふっと怪しい笑みを浮かべ踵を返した。同時に頑丈な檻を成していた鉄柵が壊れた。

「ラッキーな事にジョーカーが降って来たな」

 ダークライに背を向け立ち去るギーマ。彼のパートナーレパルダスは、あんなにも頑丈な鉄柵を壊したにも関わらず余裕を思わせる面持ちで一度ダークライを一瞥し、主人の後を追った。

「早いとこ逃げるといい。私も帰らなければならない。」

 さらばだ、ダークライ――。
ギーマは僅かにダークライの方へ首を傾け、キザに手を振った。

 ダークライは自分と同じ何かを持ち合わせた男の唯一自分とは異なる一つの眩しい輝きが心にあるのを感じた。そしてそれが気になってか、自然と彼はギーマの向かう輝きへ歩みを進めた。