ようやく研修が終わった。
時の政府の役人さんが来た翌日、書類が届いた。審神者になるにあたっての注意事項などが書いてある同意書のようなもので、すべて読み、未成年だから親のサインも貰い、その日中に送り返した。それから一ヶ月の間、放課後や休日を使って審神者の研修を受けていた。それがちょうど今終わったのだ。
「お疲れ様、來くん」
「宇佐(うさ)さん」
あの時の役人さん――宇佐さんは、そのままボクの担当者となった。この一ヶ月でだいぶ打ち解けたと思う。
「さて、これで審神者研修は終わって後は本丸へと移ってもらうわけだけど、準備は大丈夫かい?」
「はい。必要なものは先に送ってもらったので」
「それじゃあ、行こうか」
そう言って歩き出した宇佐さんの後ろをついて行く。そうして着いたのはたくさんあるうちの一つのゲート。
「本丸へ行けば案内役として式神のこんのすけがいるから、最初は彼の指示に従ってね」
「宇佐さんは行かないんですか?」
「私は他に仕事があるんだ、ごめんね。何かあればいつでも連絡してくれて構わないから」
「わかりました、ありがとうございます」
宇佐さんに見送られながらゲートへと入ると、一瞬光に包まれ、思わず目を閉じる。そして目を開けると、ボクは日本庭園に立っていた。後ろを振り向くとボクが通ってきたゲートがある。無事に移動できたようだ。
さて、と。こんのすけと呼ばれる式神はどこにいるのだろう。キョロキョロと視線を巡らせる。
「主様!」
平屋の玄関から見知らぬ声が聞こえた。そこに目を向けると、隈取りが特徴的な小さい狐が座っていた。近付いて、目線を合わせる。
「キミが、こんのすけ?」
「はい! 私がこんのすけでございます、主様」
「そっか、よろしく」
「よろしくお願いいたします! まずは中に入りましょう」
こんのすけに着いて平屋の中へと足を踏み入れる。少し歩いてひとつの部屋に入ると、日本刀が五振り並んでいた。
「こちらの五振りの刀剣の中から初期刀をお選び頂きます! 説明は必要ですか?」
「ううん、研修で聞いてる。顕現の仕方も教わったから大丈夫。でもどれがどれかはちょっと……」
「左から加州清光、歌仙兼定、山姥切国広、蜂須賀虎徹、陸奥守吉行でございます」
「ありがとう。じゃあ、この刀で」
ボクが一つの刀を指差すと、こんのすけは、では他の刀は政府へと返還して参りますので刀剣男士様を顕現して交流を深めていてくださいませ、と言って部屋を出て行った。
それを見送ったボクは“山姥切国広”を手に取り、教わった通り刀に霊力を注ぎ込む。どうかボクに力を貸して欲しいと願いを込めて。すると刀が手から離れ、目の前で桜の花びらが弾けて中から人が現れる。
「山姥切国広だ。……何だその目は。写しだというのが気になると?」
山姥切国広は霊剣“山姥切”を模して造られた打刀で、彼は写しだということにコンプレックスを持っている――ということだけ、教わっていた。
「初めまして、山姥切国広さん。ボクは天草來、この本丸の主です。先に言っておきますが、ボクは刀のことを審神者研修でかじった程度にしか知りません。貴方の所謂本科のことも知りません。だから写しだと言われてもよくわかりません。……ボクは刀のことも戦のことも知らない未熟者ですが、これから知っていきたいと、知っていこうと思っています。もちろん山姥切国広さん――貴方のことも」
いきなり色々と話したボクに、彼は驚いているようだ。初対面から失礼だとは思ったけれど、これから一緒に過ごし戦っていくのなら先に話しておくべきだと思ったのだ。ボクが審神者研修で学んだことは、審神者について、歴史修正主義者について、本丸での生活について、あとはほんの少し刀剣男士について。宇佐さん曰く、刀剣男士については一緒に過ごす中で知っていくべきだ、と。ボクも同感だ。一方的に今までの経歴を知ることは容易いけれど、直接彼らから聞くことが重要なのだと思う。折角、人の形をとって喋れる口があるのだから。
「……あんたは、俺について何も知らないのか?」
「いえ、“山姥切”の写しということだけは知ってます。写しの意味も知っています」
「そうか……。なら、そのうち写しには興味がなくなるんだろうな」
「まだボクは貴方のことを知らないので、何とも言えません」
「……あんたも、俺を山姥切と比べるんだろう」
その一言で、まるでジグソーパズルの最後のピースが綺麗にはまるかのように、頭の中でパチリと音が鳴った気がした。これは、ボクにも経験があることだ。
「ああ、なるほど、合点がいきました。そういうことか」
「何がだ」
「先程も言ったように、ボクは貴方の本科を知りません。だから比べようがありません」
「……」
「ボクには優秀な兄がいます。勉強も運動も人付き合いも、なんだって出来る兄が。……比べられて勝手に落胆されるのは、誰だって怖い」
ボクの兄ちゃんは凄い人だ。学生時代は進学校で上位をキープしていたし、教師からの評価も高かった。友人も多く、家族も大事にしていて――姉ちゃんへの態度はあれだけれど――今も大企業に勤めている。優秀な人間がいると何故か人間という生き物は何かにつけて比べたがるようで、特に同性の兄弟であったボクはよく標的にされた。お兄さんは優秀だったけれど弟さんはどうなのかしら、なんて聞き飽きた。期待されるのは嬉しかったけれど、それに応えられなかった時に勝手に落胆する人達の言葉は、幼いボクの心を抉った。そのうち成長するにつれて“努力”という単純でいて難しい解決法に辿り着いたボクは、ようやくそこでボクを見てもらえるようになった。まあ、ボクの場合は家族や友達がそういう人間じゃなかったから助かっていたのだけれど。
「あんたも……?」
「はい。だから努力しました。兄の弟ではなく、“天草來”を見てもらえるように。ねぇ、山姥切国広さん」
「……何だ」
「比較されるのが嫌なら、比較できないくらいになってやりましょう。今までは無理だったかもしれないけれど、今は人の身を得たんです。努力ができます。言い返す口があります。勝手なことを言う人間を見返してやりましょうよ」
人間はみんな自分勝手だ。だったら、刀剣男士だって勝手になっても良いよね。
「俺は……写しだ。山姥切じゃない。だが、偽物でもない。国広の第一の傑作なんだ……!」
「はい」
「……俺も、いつかあんたみたいに、俺自身を見てもらえるだろうか」
山姥切国広さんの瞳は揺らいでいた。まるで迷子の子どものようだと思った。きっと、彼はボクには想像もつかないほど本科と比較され良し悪しをつけられてきたんだろう。でも、“山姥切”のことは嫌いではないんだろうとも思う。だからこそ比べられるのが苦痛で、そう思ってしまう自分が嫌になる。国広の第一の傑作としての誇りはあれど、“山姥切”の写しとしての自信が持てない。なんて難儀なんだろう。
「大丈夫です、努力は裏切りませんから。まあ、今すぐに自虐をやめろとは言いません。劣等感はそう簡単に無くなりませんし。でも、卑屈になって閉じこもっていたら、勿体無いですよ。世界は貴方が思ってるより、ずっと広いんですから」
「そう、か。そうだな……努力か、考えたこともなかった」
「これから一緒に頑張って、努力して強くなっていきましょう、山姥切国広さん」
「……敬語と敬称はいらない。あんたは俺の主なんだろう。好きに呼んでくれ」
“主”と、彼はボクをそう呼んだ――顕現して初めて。ふっと、肩から重荷が下りた気がした。ああ、ボクも自信がなかったんだ。この本丸で刀剣男士をまとめる主人になれるかどうか、刀剣男士に主人だと認められるかどうか、不安だったんだ。でも、そうか、彼はボクを認めてくれたんだ。それだけで、こんなにも嬉しいだなんて。普段あまり動かない表情筋が、僅かに口角を上げた気がした。
「……そっか、そうだね。うん、じゃあ、これからよろしくね、“ヒロ”」
「ああ、よろしく、主」
――斯くして、ボクの本丸での生活は始まったのだ。