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私は愚かだ。でも今は全然浅はかだとか、自分が不幸だとか後悔とか思わない。私は、周囲からの人望も厚くて、優秀で、かっこ良くて、憧れのあの人の二番目になれただけで嬉しかった。一番じゃなくてもいい。好きなときに体を合わせたり、愛を囁き合ったりする、そんな関係が気楽で都合が良かった。お互いに。それでも彼が私のために時間を割いてくれるのは嬉しかったし、一番が知らないことを全部知っていることにも、優越感があった。
そんな上司の彼の移動に伴って、彼は私を指名してくれて、私も移動することが決まった。また一つ、彼との時間が、秘密が増えることに喜んでいた。ここに越して来て、あいつに会うまでは。
人の波にのって、電車を降りる。一歩一歩、確かに足を動かして地面を蹴っているはずなのに、そんなこといちいち気にかけることなく、人々は電車を後にしていく。かくいう私もその一人な訳だけど。高校生の、あの頃はその一歩さえ、確かめて歩いていた気がする。階段をのぼって、鞄につけたICカードをひっぱって料金を支払えば、簡単に駅の改札を抜ける。その瞬間によみがえる、かつての思い出。改札を抜けるとあいつとの思い出が、胸を締める。甘酸っぱくもないし大層な関係なんかじゃなかったけど、この胸に感じるかさぶたのような痛みは、やっぱりあの頃過ごした時間は、私の中で大切なものだったんだと感じさせる。どう、大切だったかなんて、今はわからないけど。
待ち合わせまで、まだ少し時間がある。辺りを見回すと、駅は高架化されて、当時とは面影を違っていたけど、横をみる街並みはやっぱり懐かしい。匂いなんてのも本当は大して覚えていないけど、なんだか懐かしい匂い。
私は今日からここで暮らすんだ。あいつが、暮らしているここで。少しのちっぽけな青春がつまったここで。
あいつはきっと、まだここで暮らしているんだろう。あの賑やかで可笑しい兄弟たちと。まぁ、暮らしていればいずれ会うだろうな、そこまで思い入れがあるわけでもないし、わざわざ連絡をとるほどでもない。
そう思っていたのに。
ドキっと心臓が波打つ。少し、遠くに、見覚えのある、赤い…パーカー。なり続ける鼓動の、音は、耳まで聞こえるように強い。
声を、かけようか。久しぶり!って肩をたたこうか。でも、
彼の体が動く。あぁ、
どうか、こっちをみませんように。
「あれ?名前じゃん!」
そう、おそ松はあの日のように私に笑いかけた。
ゆっくりこっちに向かってくる彼の、その姿をみて胸がドキドキした。ドキドキして、締め付けられる。私の中の高校生の私が、彼のことを想い胸を打つ。いや、別に今の私には関係ないんだけど、まるで今の私が彼を想っているんじゃないかと錯覚させる。
「ひっさしぶりー!元気してる?えー、こんなところで何してんの?」
「え、あ、久しぶり…!うん、元気元気!おそ松こそ相変わらずバカしてる?」
「なんだよ、バカって!まぁ、おかげさまで?それなりに毎日楽しく過ごしてるよ。で、こんなところで何してんの?」
「あ、うん、仕事でね、しばらくここに住むことになったんだ」
「えー!そうなんだ?じゃあご近所さんじゃん!久しぶりの再会もかねて、どうよ、一杯?」
おそ松が猪口を持つ仕草をつくって、ぐいっと手を動かす。変わらぬ笑顔に、調子のよさに目眩がした。
本当は思い入れがないんじゃなくて、そう思いたかっただけ。だからわざわざ考えを強調して、頭に焼き付けようとした。
溢れてきそうな、その想いに、私は静かにふたをした。
「ごめん、これから一回会社行かなくちゃいけないんだよ。」
「じゃあその用がすんでからでいいからさ!俺、いいトコ知ってるよ?」
「んー、まぁ早く終わったらね!」
正直、おそ松と2人になるのは気まずい気がした。自分の意志の弱さは、嫌という程知っていたから。多少の居心地の悪さに、時計をみると待ち合わせの時間になろうとしていた。ちらっと辺りをみると、少し離れた場所にスラっと背の高い、彼の姿が目に入る。
「あ、ごめん、待ち合わせしてるの!また、今度…」
適当にはぐらかして、その場を後にしようとしたのに、その視線を捕まえられたように、
「じゃあ、仕事終わったら連絡ちょうだいよ。LINE、送っとくから」
有無を言わさぬ物言いに、私は頷くしかなかった。
「オシゴト、頑張って」
そう、手を振るおそ松に手を振り返し、待たせている彼のもとに小走りで向かう。
背で、あいつがどんな顔をしていたのかも知らずに。
そういえば、あいつ、私のLINEなんて知ってるのかな
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