喪失が満ちるT



久々に顔を出してみたが、相変わらず代り映えのしない夜会。ゆらゆらと舞うダンスホールのドレスを眺めながら微睡みの理由はワインの酔いか、ただの退屈か。

隣で話す令嬢の名前も覚えていないが、彼女の赤く縁取られた唇からなまえへの賛辞が聞こえている。取り巻きたちの目に映っているのは、なまえ自身ではなく
財と権力を持った名家の若き女当主。

壁内での平和な世が永久の繁栄を信じる人々に狂気すら感じる。変革の足音が聞こえるのは、自分が望んでいるからか。

父が死に、若くして当主の座を引き継いだ。初めのうちこそ家督のためと夜会にも顔を出したが、次第に遠のいた。いくら家督を守ろうとしても心の喪失感は埋まらないと気づいたから。

私が顔を出す夜会には箔がつくだとか、主催の貴族たちは飽きもせず出席の伺いを立ててくる。その日の夜会に顔を出したのは、ほんの気まぐれ。
主催貴族に思い入れなんてなかったけれど。
ただの、ほんの気まぐれだった。


いつも通りの夜会。整えられた金髪に、完璧に着こなされた正装。兵団支援者たちのご機嫌を伺い、令嬢たちの話にも優しく接す。

これも兵団団長の大事に業務の一つだと理解しているが日々の激務から休む間もなく参加した今日は自分でも心身の疲れを感じていた。

「スミス団長、巨人の話を聞かせてくれないか?」
「ええ、巨人の生体については未知の部分が多いですが、」

長く兵団に寄付を続けている貴重な支援者が親しげに話に加わった。疲れからか、今日はいつもよりアルコールが回っているようで手足の先まで熱い血液が送られていく感覚を覚える。
始まって暫く経つが、会場はグラス片手に話し込む者やホールでダンスを楽しむ者、貴族たちは時間と金の消費に花を咲かせていた。


その時、ホールがにわかにざわめいた、いや、どよめいたというべきか。人々の視線は1点に注がれている。

視線の先には、神々しささえ感じられる女性。装いは黒いロングドレス、大きく開いた胸元からは美しい鎖骨と豊かな曲線が見える。緩やかにウェーブした金髪、深い碧の双眸は興味がなさそうに周りを取り巻く貴族たちを見据えていた。無意識だったが、一瞬息が止まっていた。

「スミス団長もあの美しさには心を奪われましたね?」
「確かにお美しい方ですね、初めて拝見しましたが。あの方は?」
「みょうじ家の当主、なまえ嬢です。最近はパーティへ参加されてなかったが、今日の夜会を選んでくださるとは、光栄なことだ。」

貴族たちの声色も興奮の色を帯びている。
みょうじ家といえば、滅多に表舞台に顔を出さないが歴史ある名家で王家に最も近い一族と言われている。その現当主が自分より若い女性ということにエルヴィンは驚いた。

なまえの登場で、会場の雰囲気は一気に盛り上がり参加者の様子も更に熱を帯びている。エルヴィンにとっては好都合。気が緩んだ貴族たちからは情報も資金も獲得しやすくなる。

気がついた頃にはなまえは上階へ移動したようで、ホールには見当たらない。もう一度あの姿を見たい、あの瞳を見つめてみたい。年甲斐もなく、そんな気持ちが湧いているのは酔いのせいにしておこう。


なまえが階下へ目を向けると、自分と同じ色の髪が目に入る。金髪なんて決して珍しいわけではないが、なぜか目を引くその色を見つめていると緩やかに顔が上がり、青い瞳が交わった。

心が揺れるなんて、感じたことなかったけれど
きっといま、自分の心は揺れているのだろう。視線を外せない、その瞳に囚われてしまった。一瞬なのか、しばらく見つめ合っていたのか
わからない時間が流れたが、それはエルヴィンが令嬢にダンスに誘われたことで途切れてしまった。

「ねぇ、あの方はどなたなの?」

側で話し続ける令嬢たちに問いかけると、その名はすぐにわかった。調査兵団団長のエルヴィン・スミス。兵団に寄付金を収める貴族たちが開く夜会には時折顔を出すようだ。

「エルヴィン様とお話されますか?お父様にお願いしてお呼びしますわ。」
「いいえ、結構よ。見たことない方だったから聞いてみただけよ。」
「わかりました。もしご希望があれば仰ってくださいね。」

「エルヴィン様はいつもお優しくて、素敵なんです。」
「ええ、ダンスもとてもお上手で、優しく微笑んでくださると、足が動かなくなってしまうわ。」

エルヴィン団長は随分と人気者のようで、その場は彼の話で持ち切りになった。他の話題の時と同様、相槌を打つくらいで積極的に話すことはなかった。

その日以降、夜会の誘いを受けた際は誰が出席するのか、それとなく確認するようになった。彼の名前が出ることもあれば名前が出なくても、調査兵団へ高額な出資をしている貴族主催であれば気まぐれに顔を出した。近付いてみたいと思う気持ちは、自分の周りを固める貴族たちに阻まれ。遠くからでも存在を確認できるだけで満足だった。

きっと、一言「話してみたい」と声にすれば、すぐにでもその場は用意されるだろう。それでも頑なにそれをしなかったのは、自分の心を閉じてしまうことで自分自身を守ろうとしているから。

*****

支援貴族への報告を終え、兵団へ戻る馬車へ向かう途中。当主から直接夜会の招待状を手渡された。

「わざわざ直接お持ちくださるとは、ありがとうございます。」
「この日は必ずお越しください、スミス団長。」
「ええ、もちろんです。」
「貴方も名前はご存じかと思うが、なまえ嬢もお呼びしている。
 彼女は貴方に興味があるようなので、他に邪魔されぬ場でお話いただきたい。」
「・・・邪魔されぬ場といいますと?」

当主は静かに笑みを浮かべながら、エルヴィンの肩に手を置いた。

「彼女に取り入ろうとする貴族は多くてね。だが直接的なお誘いに乗ってくるような方でもないのだよ。夜会の場はいい隠れ蓑になる。」

この男が自分に何を求めているのは、気づいてはいた。自分に気がある彼女が望めば、男娼のような行いをしてでも満足させろ。そうすることでみょうじ家から目を掛けてもらいたい、ということだろう。

「・・・彼女が望む話題を提供できる自信はありませんが。」

満足げにほほ笑む男に別れを告げ、馬車に乗り込む。正直、逃げる手はいくらでもあった。公に心臓をささげた身ではあるが兵団の資金のためとは言え、私物の手駒のように扱われることになんとも思わないわけではない。

だが、それ以上に、なまえと会えるということに心が躍った。初めて視線が合ったあの日以来、何度か夜会で見かけていた。自分には決して手が届かない場で、多くの人に囲まれ、話す機会など今後も決してないのだろうと思っていた。これ以上の好機はない。あの貴族になんと思われようが良かった。

兵団のために身を売る男と思われようが。
彼女はどんな声をしているのだろう。どんな顔で笑うのだろう。

馬車に揺られながらなまえの瞳を思いながら目を閉じた。

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