祈路


限りなく広がる大地、長い髪が風に揺れる。壁上に立ち腕組をするなまえは遠くには土埃が見える。右側から壁を照らす夕日が眩しく目を細める。

「近づいている、開門準備!」

なまえの声に城壁内で待機する駐屯兵が門を開閉するレバーに手をかけ、万が一巨人が近づいた際に対応するための兵たちが門前に待機する。

馬が地を駆ける音が近づく。先頭にいるであろう、旧友の顔が見えるのをじっと待つ。悪魔と呼ばれたり、紳士と呼ばれたり。その言動や外見から、色々な呼び名を持つ彼だが、なまえからするといつまでの夢を追う少年のように見える。帰還する兵士たちが悲壮漂う表情であっても、エルヴィンだけは瞳の奥に光を携えている。



壁を目指す調査兵団、その先頭にいるエルヴィンは城壁に近づいてきたタイミングで馬上の部下たちを鼓舞する。追ってくる巨人はいないが最後まで油断はできない。帰還時に巨人を引き連れてしまうことなどあってはならない。最後尾で追ってくる巨人の相手をするか、逃げ切るかはリヴァイに任せている。

壁が近づき、横を走るハンジの顔には安堵の色がみえる

顔を上げ、壁上に立つ人影に目を細める。腕を組み、長髪を風になびかせながらこちらをじっとみる姿は、まるで壁の女神のようだと、いつか彼女に伝えたら馬鹿なことを言うなと怒られた。その女神に見つめられている、女神が自分の帰還を壁上で待っている。せめてこの時だけ自惚れさせてくれ。エルヴィンの表情に笑みが浮かぶ。



なまえとエルヴィンは訓練兵時代を共に過ごした旧友、戦友といえる。長いようであっという間に過ぎた3年だったが、苦楽を共にし、最後まで訓練をやり切った仲間だ。兵団に在籍している同期の人数は随分減ってしまったが、エルヴィンが調査兵団長としてその責務を担うのとほぼ同時期に、なまえが駐屯兵団の区団長として部下を従えるようになった。その容姿に惹かれ、一時は縁談の話も多くあったようだが、見向きもせずに兵団業務に没頭し、上を目指すなまえの振る舞いに徐々に縁談も来なくなった。いつも壁上に立ち、壁外からの帰還を見届けるなまえはエルヴィンにとっては自分だけの女神だ。自分に彼女を抱きしめる立場は許されない、ただ夕陽を浴び、神々しいとさえ感じるその姿を見つめるだけ。



まだ距離はあるが、先頭の見慣れた髪色がはっきりと認識できるほどには近づいてきた。右手を挙げると、開門までのカウントが告げられる。なまえが目視する先、彼は今回も無事に帰ってきた。


「おかえり、エルヴィン」


誰に届くこともない声だったが、視線の先、馬上のエルヴィンは確かに表情を緩めた。まるで自分の囁きが聞こえたかのようなタイミングになまえは目を開く。

「…ねぇ、聞こえた?」
「はっ?何がですか?」

開門の号令をかける腹心の部下は首をかしげる。

「…そうよね?」
「だから、何がですか!なまえ団長!」

訳が分からず問いただしてくる部下をなだめ、調査兵団の帰還に合わせて速やかに門を開けたその時。見張りの兵が巨人接近の声を上げた。



東から壁に沿うように走ってくる5メートル級が1体。壁に近すぎるため壁上砲が使えない状況下、最後尾を走るリヴァイ班の到着は待っていられない。疲弊した調査兵団員たちの顔が恐怖で引きつる。やっと帰れると安堵していたところからのこの状況に、今まで見てきた地獄の記憶が蘇る。



なまえは近付く巨人を睨みながら髪を束ね、ブレードに触れる。

「ここから出る。閉門のタイミングは任せたわよ」
「はっ!お気をつけて!」


戦い慣れていない駐屯兵たちは弱い。区団長となってから立体機動の訓練を強化しているが、まだ使い物になるレベルではない。巨人は1体、なまえのみで討伐できる。それをわかっている部下はなまえを止めることなく、また足手まといになる人間を付けることもしない。


一度は壁内に入ったエルヴィンだったが巨人出現の声を聞き、即座に門外へ馬を進めた。指示を出そうと巨人に目を向けたとき、アンカーが刺さる衝撃音とガスの噴射音が聞こえた。


足の腱を裂かれた巨人、膝をつき倒れる巨体を裂けるように飛び上がる。寸分の狂いなく、一撃で頸を削ぐ、一切無駄のない動き。

なまえが巨人を惹きつけ討伐している間に、全兵が壁内に入った。門が閉まるのを見届けてからガスを噴射し壁に向かって飛び上がる。壁の上にはなまえに向かって手を差し出すエルヴィンの姿。なまえは器用にガスを使い、重力を感じさせない動きでエルヴィンの手を取り着地する。まるで羽の生えた鳥かのように。

「君の迷いのない太刀筋は、鈍ってないな」
「…寄り道してないで、早く戻りなさいよ」

土埃で汚れた外套にはエルヴィンの物ではない血痕も見える。凛々しい顔を保っているが、身体は疲れているだろう。この後は中央への報告、死亡した兵士の遺族対応、兵団内の人員補填と一月ほどは忙しい毎日が続く筈だ。今日くらい、早く帰って休まないといくらエルヴィンでも身が持たない。 

「なまえが来てくれれば、兵団戦力も、俺の書類処理のスピードも格段に上がるんだがな」
「馬鹿言ってんじゃないわよ」

予想通り、そしてかつて聞いた通りの返答が懐かしく目を細める。なまえをそばに置きたいというのは本心だ。

「私まで壁外に行ったら、誰が貴方の帰りを待つのよ」

細めていた目を見開いたエルヴィンの顔に、してやったりな顔をするなまえ。

「私は毎回エルヴィンの帰りを待ってる、だから、生きて帰ってきなさいよ」


神を信仰する心は持っていない。
信じるものは己の信念のみと考えていたエルヴィンだが、目前の神々しい存在には縋りたいと揺れるこの心を人は信仰心と呼ぶのだろうか。

その答えを知る術はない
変わりゆく世界の中で、この存在だけは永久に続くよう静かに祈った。









祈路
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