ずるい大人たち


 
兵団内の人の入れ替わりは激しい。もっとも、その多くは壁外調査での死亡者が後を立たないから。それなりの在籍期間になってきたとは思っていたが、特に目立ちもしない自分が団長補佐として役割を任された時は驚きと不安で眠れない夜が続いた。

実際はそんな弱気なことをいっている余裕などないほど、実務は目の回るような忙しさ。補佐の役について約半年、神のような存在と思っていた団長は人間らしく冗談も言いあう気さくな存在になった。

溜まっていた書類の処理がひと段落し、すっかり冷めてしまったが、なまえが入れた紅茶を口にしながらエルヴィンが視線を向ける。

「明日は非番だったね」
「はい、団長のお休みに合わせて私も非番にしてもらっています」
「そうか、なら久しぶりに飲みにでも行かないか?」

団長からのお誘い、いつもなら即座に同意の返答を返していただろう。しかし今夜は既に先約が。

「せっかくのお誘いですが…今夜は憲兵団の同期と食事の約束をしていまして…」

申し訳なさそうな様子のなまえに、エルヴィンはいつもの優しい表情で、気にするなと宥める。執務中は一切表情を変えず、淡々と仕事をこなす印象が強いが、実は優しい顔をするのは補佐となり休憩中のオフの様子を見るようになって気づいた。

約束があるなら、といつもより少し早めに仕事を上がらせてくれたエルヴィンに感謝し、友人が指定した店へ馬車で向かう。

彼女とは訓練兵団で知り合い、同室だったのでよく話した。目的のために真っ直ぐに行動する潔さは見ていて気持ち良いくらい、さっぱりしている。なまえは個性だと割り切って接していたが、同期の中にはそれを好ましく思わずある意味敵も多く作る人間だった。そんな彼女は有言実行、きっちりと上位の成績を収めて憲兵団へ入団した。

店内に入り、ウェイターへ友人の名前を告げるとテーブルへ案内された。

「なまえ!久しぶり。相変わらず綺麗ねアンタ」
「久しぶりだね、ノーラは化粧濃すぎるわよ」

数年ぶりに会う友人は、最後に見た記憶よりややふっくらし、化粧が濃い。訓練もせず自分磨きとやらに精をだしているようだ。

「だって化粧好きなんだもん〜」

とこちらの指摘を何も気にせず笑う姿は、彼女の人柄が当時と変わっていないことを表していた。

「で?久しぶりの呼び出しに、相談したいことって何?」

こんな調子でもなまえにとっては大切な同期の一人。人に相談なんてするタチではなかったが、何かあったのかもと今回呼び出しに答えた形だ。

「うーん、それはね…」

ノーラと目が合う。嫌な予感がした。

「なまえ、先に謝っとくね、ごめん!美味しいご飯タダで食べられると思って許してね」

タイミングを見計らったかのように、なまえには聞かされていなかったもう一人の人間がウェイターに連れられてきた。

「遅れてしまって失礼、初めましてなまえ。憲兵団所属のクルトです。今日は時間を作ってくれてありがとう」

…やられた。

やはりあのノーラが自分に”相談”なんてしてくる筈なかった。自分の向かいに座り、微笑みかけてくるクルトの横で、ノーラは手を合わせて

(よろしく!)

と口を動かしている。
あらかた、この会食をセッティングすることで彼女にとって何か旨みがあるのだろう。自分達を置いてノーラが離席しなかったのが唯一の救いだ。もうこうなったらたらふく食べてやる、となまえは料理に向き合った。





エルヴィンは、なまえを上がらせた後もしばらく書類処理を進め、遅めの夕食がてら酒場にいた。久しぶりの休み前ということもあり、もう少し夜の空気を楽しみたい気分ではあったが、席を立った。

酒場やレストランが多い通り。食事を楽しんで馬車を待つ人や、次の店に向かうであろう肩を組合い歩く男たちなど、非常に賑やかだ。日頃の激務に文句の一つも言わず、尽くしてくれる補佐官は楽しい夜を過ごしているだろうか。

その時、聞き慣れた声が耳に入る

「クルトさん、今日はありがとうございました。私はこれで失礼するので、後はノーラと楽しんでください」
「なまえさん、せっかくお会いできたので、もう少しだけお話しませんか?」

酒も入り緊張もほぐれたクルトはなまえの手を掴み離すつもりはないとばかりに、ぐっと力を強める。オフの場とはいえ、自分より兵団員としての歴は長いクルトに対し、あからさまに邪険な態度を取るわけにはいかない。頼みのノーラはどちらの肩を持つもなく、ニコニコと傍観者を貫いている。

しっかり食べた分、数時間話し相手にはなった訳なので、正直もう帰りたい。なまえをじっと見つめるクルトの視線があがり口が開いたまま。なまえは急に肩を引き寄せられる感覚に驚き横を見上げると、見慣れた青い瞳と視線が合い息が止まる。

「やぁなまえ、食事は楽しめたかい?」
「…は?…えっと、はいもう十分楽しませていただきました」

それは良かった、とにこやかに話すエルヴィン、固まったままのクルト。状況の理解が追いつかないなまえだったが、これはこの場を離れるチャンスではとエルヴィンに合わせることにした。

「では、この後のもう一杯は私に付き合ってくれるかな」
「わかりました、団長。クルトさんありがとうございました。ノーラも、またね」

掴んだままだった手をクルトがやっと離したのを確認して、なまえの肩を引き寄せたままのエルヴィンが歩き出す。

「また連絡するわね〜なまえ」

楽しそうに手を振っているノーラに、あいている片手を挙げる。彼女からの連絡は碌なことでないことが殆どだ。しばらく連絡してくるなと心の中で呟いた。

しばらく歩き、もう2人の姿も見えないところまできた。

「団長、助けていただきありがとうございました。もう大丈夫です」
「楽しかったという割にはずいぶん不機嫌そうだったな」

感情を顔に出すタイプではないが、エルヴィンにはお見通しだったようだ。

「…まぁ、もう十分話は聞いたので帰りたいとは思っていました」

歩みは止めず会話が続く。気になったのは肩を抱かれたままのこの状況。意を決して立ち止まると、エルヴィンも同じように止まり触れられている肩からより熱を感じる。

「あの、もう十分離れたので、そろそろ馬車を拾いませんか?」
「おや?この後の一杯は俺との約束だったと思うが?」

てっきりあの場を離れるための言葉だと思っていたが、本気だったのか。澄んだ青い瞳は肯定の言葉を聞かねば解放してくれそうにない。

「もう、誘い方がずるいですよ」

本日2度目の諦めは、案外悪いものではなかった。







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