食い違い

海堂薫は大変難しい男である。
この男は一見恐ろしい見た目をしているが、その実優しくて気配りの出来る最高の男だ。私が保証する。
ただしこの男、見た目が頗る恐ろしいために優しさが後ろ手に隠されてしまった哀れな男である。
だからこそなのだが、彼の優しさを垣間見てしまった人は、見た目と行動との狭間で胸をときめかせることになる。それは私が許さない。
なぜならその一面は、私だけが知っていれば良いことなのだから。


「ははは、今年に入って四回目だね」
「……」
ぎゅっと口を噤む彼。違う、私はこんなことが言いたいわけでは決して無い。悪いのは貴方ではなく、私の意地汚い恋心なのだ。
「本当にモテるようになったねぇ。でもぽっと出の女に海堂を取られるのは癪だな。本当に」
私だってぽっと出の女だろうが。何を偉そうに言っているんだ。
「俺は別に、そんなつもりねぇよ」
「分かってるよ……。優しいね、海堂は」
その優しさに包まれ、柔く傷ついている私がここにいる。彼に投げた言葉は全て自分に跳ね返り、鏡のように私の姿を映し出す。
「そんなに思い詰めるな。俺のことが信じられねぇのか?」
「う、ずるい」
そんなことを言われてしまったら是と答える他に選択肢はない。答えを声に出す代わりに彼の胸に飛び込んで思い切り抱きしめると、困惑したような間を置いて腕が背に回ってきた。
「時々思うんだ。海堂の優しいところにみんなが気がついて、いつの間にか海堂の隣にいるのが私だっていう必要が無くなっちゃう日が来るかもしれないんじゃないか、って」
「はぁ」
「だから、誰も海堂の優しいところに気がつくな!って思っちゃう。でもそれだと海堂が誤解されたままになるから、癪にさわる」
「お前俺のこと買い被りすぎじゃねえのか?」
「買い被らせてよ、恋人なんだから」 
むう、と唇を尖らせる彼。大変可愛いのだが、その可愛さも人に見られるかと思うと、怒りにも似た大きな感情が沸々と。
「もう、いっそのこと頭から食べて胃に保管しておきたい」
「……は?」
「ん?」
「ん、あ?いや……今何て?」
「ん?んはは」
「いや、はははじゃねえよ」
「なんかさ、海堂見てるとモヤモヤ?するんだよね。何でだろう」 
はぐらかしの話題逸らしはあからさまだったが、彼はそれを良しとした。
「それは俺に足りないところがあるからか?」
「そんなこと無いよ。むしろ私には勿体無いくらい完璧だよ」 
遠慮がちに顔を寄せれば、彼の心音が鼓膜に響く。皮膚の下で脈打つ血液で体温は温かく、彼の為人を肌で感じさせた。
こんなところを見られたら、私は後ろ指を指されてしまうだろうか。彼の優しさを覆い隠し、皆には良い顔をし、「無愛想で怖い彼氏の優しい彼女」を演じ続けるのだろうか。
まるで白雪娘の美しさを妬み、森へと追いやった魔女のように。
「お前が良いならそれで良い。俺はお前が何を思ってようが気にしねぇよ」
「……うん、そうだね。お前はそういうやつだよね」
突然、廊下からパタパタと誰かが走ってくる音がした。パッと体を離して廊下を走って行く影を目で追う。教室に入ってくるわけではなさそうだ。
「教室でイチャつくのって結構スリルあるね」
「別にそれ目的で教室にいるわけじゃねぇだろ、変態か」
「それもそうだ」


先刻、偶然校内で彼と出会った。
しかも、告白されているシーンで。
明らかに気まずそうな顔をした彼と目が合った瞬間、激しい炎が一瞬燃えて、すぐに消えた。これは私が介入する問題では無い。彼が答えを出すべき問題だ。そう思ったから、その場を立ち去り教室へ向かった。
と、すぐに後ろからついて来る足音がし、私の横でぴたりと止まった。
「あれ、女の子を一人にして良いの?」
「だから来たんだろ」
ははあ。
高等な口説き文句に舌鼓を打つ。彼は恥ずかしがる様子もなく私の横を歩いている。
「……妬いたりしないのか」
「めちゃくちゃ、ってわけじゃない。そりゃちょっとはするよ」
「別に、俺を責めても良いんだぞ」
「それはお門違いだよ。あの子も海堂も悪くないもん」
「お前は優しいな」
「……やめてよ。海堂に言われたくない」
「どういうことだよ」
渡り廊下の侘しさが足を伝って香りとなり、鼻を刺激した。砂埃と青春の匂いがする。硬いタイルを上靴で踏み、柔らかな木の板に着地すれば薄暗がりに私と彼の声だけが響いた。
「海堂の方が、私なんかよりよっぽど優しいってこと」
「そんなことねぇだろ、いつもの愛の話はどうした?」
「んー、今日はお休みかな」
ガラガラ、と教室の戸を開ける。私は放置された日誌を完成させなければいけない。一方ジャージ姿の彼は何をしにきたのだろうか。まさか彼が部活をサボって私と、ということは絶対に無い。
「海堂、部活じゃないの?」
「あ?ああ、忘れもん取りに来た」
「そう」
休憩時間か。そうでもなければ彼が部活を抜け出すことは滅多にないだろう。
「って、何だこれ」
海堂の机に置いてあったのは、素朴だが可愛らしい桜色の便箋。
「ははは、今年に入って四回目だね」
以下、冒頭に繋ぐ—


「俺は戻るが、お前は?」
「今日は日誌書いたらすぐ帰る。部活がんばってね」
「おう」
忘れ物と思われるグリップテープを指でクルクルと回し、彼は教室を出て行った。何となくだが上機嫌そうだ。
そういえば彼は便箋の中身を見ていない。どのみち返事はノー、だろう。それ以外は私が許さないし、彼のことを信じる以上はそれ以外あり得ないと自惚れても良いだろう。