机の上に、一枚の白紙。ペン先は未だに着地することなく、宙を彷徨っている。
音也は翔の部屋に遊びに行っているらしく、まだ帰っていない。部屋が静かな今のうちに、卒業オーディションで歌う楽曲の歌詞を認めておこうと思ったのだが。
『一ノ瀬さんが自分らしく輝けるようになって、もうあたしがいなくても大丈夫になったら、ちゃんとお別れしようと思ってるんです』
夕方に聞いた、彼女の言葉が哀しげにリフレインする。あれから何度も繰り返し脳裏に過り、思考が囚われてしまう。
彼女は思っていたよりもずっと慎重かつ現実的に将来を捉え、今後の身の振り方を考えていたらしい。
彼女との永遠を夢見ることはあれど、トキヤも元よりそのつもりだった。
パパラッチにとって、実際の関係はさして重要ではない。そこにある画が全てであり、獲れた写真を基にありもしない間柄をでっちあげてしまえば、世間の注目を容易く集めることができるのだから。
たとえ学園の規則をギリギリのラインで守れたとしても、そういったリスクは常に付き纏う。互いの平穏を守るために、デビューする時には潔癖でいなければならない。
誰よりも理解していたはずなのに、いざ築き上げてきた関係ごと切り捨てるとなると心が拒絶してしまう。彼女のいない元の世界に、本当に戻れるのだろうかと、孤独の影に再び蝕まれてしまいそうになる。
ふと傍らに置いた白い小箱に視線を移し、ペンを置いてそこへ手を伸ばす。彼女への贈り物を恍惚と指先で撫でながら、熱い想いを胸に溢れさせた。
「優衣……」
まだ呼ぶことを許されていない愛おしい名を、人知れず口ずさむ。愛を生みだす呪文を優しく唱えるように。
そうすればまた一つ、この魂に熱情が灯される。
もしも彼女の目の前で呼べたなら。熱に浮かされた理性が禁区を侵してしまいそうで、その先を想像しただけで慄える。それでも、せめてまだHAYATOにそっくりな一介の学生でいられるうちは、この我儘を叶えさせてほしい。
そして、いずれ傍にいられなくなってもなお彼女の全てを独占することを許してほしいと、箱の中に眠る指輪に願いを込めた。
早くこの愛の証と誓いの約束を捧げてしまいたいという想いが高ぶる気分を逸らせ、思わず手帳と携帯を手に取ってしまう。
今なら誰にも聞かれることはない。夕方に会ったばかりだというのに、あの恋しい声をもっと聞きたくて、久々にメールではなく電話をかけた。
*
冬の寒さに凝り固まりつつあった体が、浴槽を満たす熱湯に解される。心地良い疲労感にじわじわと浸され、少しの眠気に襲われつつ、ぼんやりと夕方のことを思い出していた。
「はああ〜、どうしよう……」
深いため息を吐き出しながら、思いを馳せるのはクリスマスプレゼントだ。特に近々会う約束もしていなかったのに、プレゼントを考えてくれていたなんて。
彼の厚意が純粋に嬉しかった。その店の商品に付いた値段を目の当たりにするまでは。
与えられた分だけ返したいのに、あれではタイムリミットまでに返せる気がしないではないか。彼はきっと見返りなど求めていないと言うのだろうが、それではこちらの気が済まない。
せめて彼が喜んでくれるようなものを探さなくては。そして、二人の関係に終わりがくる前に、少しでも返していかなければ。
たとえどんなに互いに想い合っていても、いつまでも共にいられるわけではない。彼は何よりもずっと抱いてきた夢を叶えなければならないし、何も持たない自分には彼の傍にいられるだけの理由もない。むしろ、その価値に傷を付けてしまう可能性だってあるのだから。
冷徹な理性を持つトキヤならきっと、上手く折り合いをつけてしまうのだろう。後ろ髪を引かれることもなく、前だけを見据えて。
だから自分も未練を残さず、ファンとして純粋に応援するために。せめて今はまだ、この先に待ち受ける現実から目を背けて、儚い夢を見ることを許してほしい。
切実な祈りを、そっと浴槽に沈めた。
「あたし、もう上がるね。おやすみなさーい」
「ん。おやすみー」
就寝の支度を終え、リビングでテレビを見て寛ぐ母に声をかけると、そのまま二階へ伸びる階段を上がる。
今日は特に見たいドラマもないので、チャンネル権はそのまま譲った。ちなみに父はというと、明日は朝が早いからともう既に就寝している。
自室に戻るとすぐさま勉強机に向かい、そこに眠る父のおさがりのノートパソコンを開いた。
今はとにかく、トキヤへのプレゼントを考えなければ。男性への贈り物なんて父以外にしたことがなかったので、勝手がまるでわからない。こういうのはインターネットで調べるに限る。
必死になって画面を睨んでいると、傍に置いていた携帯がけたたましく震えた。そういえばマナーモードを解除し忘れていたっけ。などと暢気に思い出している場合ではない。二つ折りの携帯を開いてそちらの画面に目を移すと、着信画面に一ノ瀬トキヤの名前が刻まれている。
突然の電話なんて珍しい。少し嫌な予感がしたが無視するわけにはいかないので、躊躇いつつも大人しく出ることにした。
「はい、春日です」
『もしもし、一ノ瀬です。こんな時間に、突然すみません』
「いえ、それは全然大丈夫なんですけど……えっと、どうかしました?」
声色は、ひとまず落ち着いている。以前のような追い詰められた様子はない。それに関しては安心できたのだが、今の優衣にとって懸念はそれだけではない。
『渡したいものがあるので、近々会えないかと思いまして』
ああ、やっぱり。的中した予感に慄き、言葉に詰まってしまう。
白を切ってか、あえて夕方のことには触れられなかった。ここでこちらから掘り返すのも野暮だろう。
どうしたものかと悩んだが、電話である以上は返事を先延ばしにすることもできず、トキヤの術中にはまって流れに身を任せた。
「あの〜、ううん……あたしはいつでも空いてるので、一ノ瀬さんの予定に合わせます!」
『そうですか、それはありがたいです。では――』
柔らかな声色で小さく笑われてしまった。きっと、こちらの思考にも気づいているのだろう。
なるようになってしまえ。半ば自棄を起こしながら、あれよあれよという間に次の予定を決められてしまった。
プレゼント選びに残された時間は、ほとんどなかった。
ホームルームが終わって担任が退室すると、生徒たちはようやく一日の学業から解放される。大人しかった教室の空気は集中が途切れたように、一斉にざわめきだした。
そんな中、優衣は素早く身支度を済ませて席を立つ。
せっかく用意したプレゼントだがさすがに学校に持ってくるわけにもいかず、家に取りに帰ってから待ち合わせ場所に向かわなければならない。少しでもトキヤを待たせたくなくて、こうして放課後のスタートダッシュを決行する羽目になったのである。
「優衣、今日も帰っちゃうのー?」
「うん、ごめんねー! また明日!」
友人たちのちょっぴり不満げな声に苦笑い、そそくさと教室を後にした。
トキヤからの突然の電話から、二日。まさかここまで猶予がないとは思わなかったが、昨日も今日と似たような状況で学校を飛び出し、悩みに悩んでどうにかプレゼントを確保した。彼が用意してくれているものに比べるとかなりちっぽけだが、これが限界だ。
喜んでもらえるだろうか。不安はあれど、会いたいという強い本心には敵わない。廊下を突き進む足は、衝動に急かされてますます速まった。
人の流れに乗って改札を通り抜けると、人混みの中できょろきょろと首を左右に振る。自分たちと同じく待ち合わせをする若者が多く、本命を探しだすのに苦労してしまう。
電話した方が早いかもしれない。鞄の中をごそごそとまさぐって携帯を探していると、軽く頭に何かが乗り、びっくりして肩が跳ねた。
「思ったより早かったですね」
「一ノ瀬さんっ」
振り返って顔を上げると、黒縁の眼鏡をかけたトキヤの顔が思いの外近くにあってたじろぐ。遅れて頭に乗せられたのが彼の手だと理解した途端、触れられていることに意識して、胸が疼くと同時に顔に熱が灯った。
なるほど、眼鏡のおかげで知的かつ冷静な雰囲気が増し、より明るく活発的なHAYATOの印象から離れた気がする。それに加えて、黒のコートの襟元に巻かれた厚手の紺のマフラーで口元を隠してしまえば、ぱっと見た感じではHAYATOだとはわからない。
無論、厳密には彼はHAYATOであってHAYATOではないので、誤魔化しならいくらでも利くのだろうけれど。
「一度家に帰ると言っていたので、もう少し時間がかかるものだと思っていたのですが」
「そりゃあ、一ノ瀬さんを寒い中待たせるわけにはいきませんからね。放課後になった瞬間に大急ぎで学校抜けちゃいました」
「そんなに急がなくとも、あなたのためならいくらでも待ちますよ」
甘やかすような言葉がさらりと流れ、胸が柔く締めつけられた。息が詰まり、一瞬だけの苦しさを覚える。
そんなに優しくされたら、戻れなくなりそうで怖いのに。ずるずると絆されて、腹の底に秘めていた本心が呆気なく溢れてしまう。
「だめですよ。あたし、一ノ瀬さんに早く会いたかったんですから」
目を見る勇気はなくて足元に視線を落としていると、頭上でふっと息が小さく吹き出された。
「まったく、あなたという人は……」
再び顔を上げると、困ったように微笑む彼の姿が目に映る。そこにはやはり甘さを滲ませて、決して呆れられたわけでも窘められたわけでもないとわかる。
『この学園の人間に聞かせたら、誰もが想像できないって言うだろうからさ。きっと、子猫ちゃんにだけ見せてるんじゃない?』
不意に、学園祭でレンに言われた言葉を思い出した。
今の彼も、学園では見せることのない特別な彼なのだろうか。あんなことをほのめかされては、自惚れてしまう。
きゅっと緩みそうになる口元を引き締めていると、そっと手と手が絡められた。手袋越しでもほんの少しだけ、温もりが伝わる。
やんわりと細められる目には、優しさが宿っていた。
「行きましょう。話は、それからでも」
「は、はい!」
慌てて頷くと、揶揄うように笑われてしまった。
恥ずかしくなって、だけどそんなふうに笑ってくれるのは嬉しくて、どんな顔をしていいかもわからずに、ただ繋いだ指先にきゅっと力を込めた。
駅を出ると冷たい風に晒されて思わず身を竦めたが、繋いだ手は温かい。ほとんど日が沈んだ空は淡い水の色を暗くくすませて、夜に差し掛かろうとしている。
ふたりが向かったのは大きな植物園。普段ならとうに閉まっている時間だが、クリスマスに向けたこの時期はイルミネーションに彩られたその空間を開放しているのだ。
昼間は茂る緑や可憐に咲く色とりどりの花が目を癒やしてくれる自然の居場所が、今はがらりと景色を変える。
「す、すご〜い……綺麗ですねー!」
園に足を踏み入れた瞬間から織り成す光の芸術に、強く感激した。
計算されて配置された数々の電飾が薄暗くなった冬空の下できらきらと星のように煌めいて、幻想的な世界を創り上げている。
「ええ、そうですね」
噛み締めるように返ってきた声を辿ると、穏やかに同じ景色を見つめる横顔を見た。光を浴びて輝く瞳は星空のように綺麗で、思わず見惚れてしまった。
周りにもカップルが多く、寄り添いあってイルミネーションを眺める姿や、写真を撮るのに奮闘する姿が見受けられる。これだけ外が暗く周りの注目が他へ注がれていれば、トキヤの顔に気づかれることもないだろう。慢心や油断は許されないが、過度に警戒する必要もない。安心すると、少しだけ心が大胆になる。
自分たちも、他の人の目にはカップルのように見えているのだろうか。ゆっくりと園内を練り歩いている間、ライトに照らされる花々に目を向けながらも邪なことを考えてしまう。
手を繋いで隣を歩く彼をそっと一瞥すると、不意に視線が合い、心臓がどきりと強張ってとっさに逸らしてしまった。
そして不自然な動揺を誤魔化すように、無邪気を装って辺りの景色を一望する。
ふたりの間に歪に沈む沈黙が急に居心地悪く感じて、何か言わなければという焦りから言葉を紡ぐ。
「一ノ瀬さんと一緒にこんなにきらきらした場所を歩いてると、おとぎばなしの王子様に夢の世界へ連れていかれてる気分になっちゃいますね」
だから、こんな浮かれたことを言ってしまったのだ。
我に返るなり、我ながら何を言っているんだろうと恥じた。気まずさの中で恐る恐る視線を再び彼へと戻すと、一瞬だけきょとんとした様を見せた彼の目元が、柔らかく溶けた。
「それを言うなら……私も、あなたが夢の世界に住まうお姫様に見えますよ」
「お、お姫様!?」
思わぬ反撃にたじろぐ優衣は、その表現の甘やかさと現実の落差にいたたまれなくなる。
「それは……さすがに言いすぎですよ」
「いいえ。あなたは純粋でひたむきで、照れ屋で愛らしくて、心優しすぎるお姫様です」
真っ直ぐに射抜く優しい熱を帯びた眼差しに、素直に吐き出される言葉に、意識が愛撫されるように絡めとられた。
こんなにも光り輝く空間でそんなふうに真摯に肯定されては、錯覚してしまう。彼は王子様で、自分はお姫様で、いずれは結ばれてハッピーエンドを迎えるだなんて。それこそ小さい頃に夢見たような、儚く泡沫に消える妄想の世界だ。
じわりと喉元に疼く言葉をぐっと呑み込んで、虚勢を張って弱く笑う。
「ずるいですよ、そんなの。あたし、こう見えて小さい頃は、童話に出てくるお姫様と王子様に憧れてたんですから」
「こう見えてというより、見たとおりというべきだと思いますが」
「えっ。いや、さすがに今はちゃんと現実見てますよ! それに、どうせあたしなんて、そういう世界にいても平凡な村の民とかでしょうしね」
「それでも、私はあなたというたった一人のお姫様を見つけてみせますよ。たとえどんな世界で、どんな立場に生まれようとも。私たちは、出逢うべきです」
せっかくおどけてみせたのに、彼は臆することなく求めてくれる。ふたりで紡ぎ、歩み続ける物語を。
そのまま笑って夢を見ていなくてはいけないのに、永遠が幻であることを知っているから、心から頷くことができなくて。迷いを、見せてしまった。
「たとえ、ずっと一緒にいられなくても、ですか?」
「春日さん……」
期待して、甘えて、失うのが怖かった。今みたいに、彼を困惑させてしまうのも嫌だった。
すぐに首を横に振って、靄のように思考に漂う迷いを振り払った。
「今のは、忘れてください」
惑わせてはいけない。彼の心のどこかでも負担になってはいけない。だから弱い自分は見せたくなくて、目も合わせられなくなって、逃げるように繋ぐ手を緩めようとしたのに、繋がれた手にぐっと力が込められて解くことができなかった。
今度はこちらが動揺していると、彼は光の花壇から少し離れたベンチを指差した。
「あそこで少し、休憩しませんか?」
ふたり並んで座って少し余裕がある程の木のベンチは、光の届かない宵闇の中にひっそりと佇んでいる。
頷くと手を繋いだまま誘われ、ベンチの上にすっと黒いハンカチが敷かれた。さあ、どうぞ。なんて紳士のように促され、つい背筋を正してそこへ座った。
隣に座る彼は、少しだけ緩めたマフラーの中からどこか悪戯めいた笑みを浮かべ、そっと繋いでいた手を離す。
「少しの間だけ、目を瞑っていていただけますか?」
「えっ?」
意味深に唱えられる唐突な要求に、どきりとした。
何をされるのだろう。真意が読めずにまごついていると、彼は有無を言わさずに念を押す。
「お姫様に魔法をかけてさしあげます。いいと言うまで、開けてはいけませんよ」
「え、は、はい!」
時に、彼は強引だ。言い聞かせるような口調で言われてしまえば、素直に応じるしかなくなるわけで。
きゅっと力強く目を閉じると、少しの間の後、するりと右手を守っていた手袋を外され、肌は冷たい外気に晒される。びっくりして目を開けそうになったが、彼の言いつけを破るわけにもいかず、ぐっと衝動を堪えた。
気になる。でも開けられない。もどかしさに身を震わせていると、ひやりと一際冷たい輪が人差し指に触れる。
「少し早いですが……メリークリスマス」
同時に、慈愛に満ちた優しい声が鼓膜を静かに揺らし、とうとう我慢できずに目を開けてしまった。
宵闇の中、かろうじて届くイルミネーションの光にぼんやりと照らされて、間近に彼のそれは綺麗な顔が目に映った。心臓が甘く締めつけられ、顔に火が灯る。
逃げるように後ずさろうとベンチに手を置いた瞬間、こつんと硬いものが当たる音と、弾かれるような小さな衝撃を右手に感じた。
はっとそちらを見やると、闇の中でもきらりと主張する煌めきが薬指に留まっていた。
「こ、これっ……!」
右の手の甲をすぐ目の前にやり、改めて薬指を眺めては狼狽えてしまった。
まさか本当に指輪だったなんて。細いシルバーのリングに清らかな白い石と深い紫の石が花の形を模って並んでいる。可憐で繊細な美しさがきらりと指元に映える。
これも、きっと高価なものなのだろう。こちらが怖じ気付いている一方、彼は満足げに薬指に光るそれを眺めている。
「よかった、ぴったりですね。これは今までの感謝の気持ちと、これからの将来への誓いの証です」
「将来への……?」
「ええ。繋いだこの手は絶対に離さない。かつてあなたが私に捧げてくれた約束を、今度は私から交わします。私も、絶対にあなたを離しません」
いつの間にか手袋を外していた綺麗な男の手に、宙を彷徨っていた右手をするりと取られ、次第に固く握りしめられる。彼の体温が、直に肌に沁み込んでいく。
固く握られたのは、魂さえも。視線や声から注がれる純然たる信念に、抗うことはできない。
「二人を分かつ時が来ようとも、私の想いは変わりません。たとえ触れ合うことは許されなくとも、歌の中でなら恋を貫き、愛を育み、共に歩むことができる。――だから、あなたもどうか私だけを見て、信じて待っていてほしい」
「……ま、待つって」
「すぐには叶わないかもしれません。それでもいつか必ず、あなたを迎えに行きます。その時は、人生のパートナーとして」
重く紡がれる言葉一つ一つに心を強く揺さぶられ、視界が滲んでいく。
どうして彼はこうも、捨てようとしていた願望を掬い取ってくれるのだろうか。あまりにも恐れ多くて、だけど心が震えるほど嬉しくて、遂に涙が溢れて温かに頬を伝う。
誰かに求められることがこれほどまでに幸せなのだと、初めて知った。この腕に持てる力はちっぽけだけど、それでも求められるだけ返していきたい。
不確かな未来に見出した希望を信じて、心晴れやかに笑って、力強く頷いてみせた。
「はい。一ノ瀬さんのこと、ずっと信じて待ってます」
トキヤもほっと力が抜けたのか、安らかに笑みを浮かべ、そっと指を濡れた頬になぞらせて雫を拭う。
「泣いたり笑ったり、本当にあなたは感受性が強いのですね。羨ましい限りです」
「でも、そうさせてるのは一ノ瀬さんですよ」
頬を撫でる指が、ぴたりと止まった。
何も間違ったことは言っていないつもりだ。他でもない彼の言動が、想いが、いつだってこの心を翻弄するのだから。
神妙な面持ちで固まっていた彼は、やがて呆れたように項垂れると同時に深くため息を吐き出す。
「やれやれ、そういう文句を言うのは私の前だけでお願いしますね。あと、これは男除けの意味も込めていますから、必ずその位置に嵌めるように。薬指なら左でも構いませんが」
「え……えっと〜……」
「最近のあなたは人気者だそうですから。できることなら学校でもしていただきたいところですが……」
「こ、校則違反です!」
「それは残念です」
大真面目な顔で冗談めかしながらも垣間見せる独占欲に、振り回されはすれど、先ほどまでの心の翳りが嘘であったかのように和ませてくれる。
もう遠慮しなくてもいい。躊躇う必要はない。そう言ってくれているような気がして、今なら向けられるものを素直に受け入れて気持ちを伝えられる。
「ありがとうございます。一生の宝物にしますね」
この宝物の対価は一生かけて返していけばいい。たとえ会えなくなっても、物で返しきれなくても、この身が尽きるまでずっとずっと想い続けて、あなたがずっと輝いていられるように何もかも捧げよう。
煌めく星が散りばめられた寒空の下、頬に触れる彼の温もりに手のひらを重ねて誓った。
*
門限にはかろうじて間に合った。
このまま寮に帰ろうかと思ったが、同室の男に余韻をかき消されるのが勿体なく感じて、未だ消えぬ多幸感を抱えて敷地内を遊歩していた。
今なら愛を歌う詞が書けそうな気がしている。将来の誓いを交わした彼女に伝えたい言葉が、泉のように湧き上がる。
『これはあたしからのお守りです。たとえ傍にいられなくても、願いが届けばいいなって思って……』
右腕に隠れるブレスレットにコートの上から触れる。
きっと大急ぎで用意してくれたのだろう。数日前に街中で遭遇した時は、そんな予定はなかったという焦りがあからさまに顔に出ていたくらいだ。
金属製のブレスレットに繋がれているのはアイオライト――夢への道標をもたらしてくれる石。そこに彼女の純粋な願いも込められている。今の自分に相応しいお守りだ。
彼女が誓いの証を一生の宝物だと言ってくれたように、自分にとってもこのお守りは一生の宝物になる。この二人を結ぶ二つの宝物があれば、離れ離れになっても必ず再び同じ想いを抱いて巡り会えるだろう。
体の芯から爪先まで巡り巡る愛おしい熱情を思い浮かぶまま言葉にし、自由な旋律に乗せて人知れず冷たい星空へと紡いだ。
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