さらさらと鉛筆を卓上に滑らせて、五線紙に音符たちを踊らせる。
つい先ほど、部屋でこっそり飼っていた黒猫のクップルが脱走し、他の人に見つからないように慌てて追いかけて辿り着いた星空の下。そこで偶然耳にした、力強く前進するような、それでいてどこか優しさを秘めた歌を、できる限り再現できるように書き留めていく。
以前までは完璧であるが故に一つの枠に囚われ、窮屈で色のない歌を奏でていたトキヤが、心のままに愛を歌っていた。どこか切なげに艶めき、とめどなく溢れる熱が流れ込むような歌声が、忘れられなかった。
何か心境の変化があったのは確かだろう。いつも厳しい表情を頑なに崩さない彼だったが、近頃は僅かではあるが雰囲気が柔らかくなった気がする。人知れずふと優しい表情を浮かべているのも、一度だけ見たことがある。
やがて終止線に辿り着いて鉛筆を置き、あっという間に書き上がった譜面を改めて眺める。字余りの音符や不自然に繋げられていたフレーズを整えて、主旋律にコード進行を固めて出来上がった曲を、もう一度頭の中で音にしてなぞる。
果たしてこれを彼に渡していいものか、躊躇いは少しだけあった。パートナーでもないのに、勝手に聴いてしまった曲にもなっていない歌を楽譜に書き起してしまっただなんて。
しかし、彼は初期に組んでいたパートナーをとうに解消し、以降は誰とも組まずにきたという。無論、自分には太陽のような暖かさと輝きを持ち、いつだって真っ直ぐに想いを伝えてくれる、一十木音也という唯一無二のパートナーがいる。だけど、トキヤの革命めいた歌をあの一瞬で潰えさせてしまうのがあまりにも勿体なくて、放っておけなかった。
ひとまず、この楽譜は捨てずに取っておこう。なくさないようにファイルに入れて、鞄の中にしまった。
――そう、大切にしまっておいたはずなのに。
それがファイルの中からなくなっていることに気づいたのは、翌日の夕方のことだった。
いつもどおりに授業を受けて、今日は月宮林檎先生のレッスンがあって、ちょうどレコーディングルームの予約が取れていたのでその後はレッスンの復習も兼ねて一緒に練習して。教室に戻った後、退室時間いっぱいまで没頭していたために慌てて回収してきた楽譜の整理を始めたのだが、その頃にはもうなくなっていた。
もしかしたら、練習に使っていた楽譜に紛れていて、そのままレコーディングルームに忘れてきたのかもしれない。
「ねえ、春歌。この後さ」
「ご、ごめんなさい! 私、さっきの部屋に忘れ物をしてきたみたいでっ」
「忘れ物? いいよ、行っておいで。俺、待ってるから」
「うん。すぐに戻ってくるね!」
申し訳なく頭を下げて音也に断りを入れて、すぐさま教室を飛び出した。今ならまだ間に合うはず。廊下を駆け抜けて、先ほどまでいたレコーディングルームの前まで戻ってくると、扉の小窓から恐る恐る中を覗き込んだ。
「あっ」
見覚えのある後ろ姿を目の当たりにして、心臓がぎゅっと縮み上がった。その手にあるのは、例の楽譜。よりにもよって、当人の目に触れてしまったのだ。
表情は見えない。だが、それを手にして固まっているのは確かだった。
いっそ、このまま知らない振りをして逃げてしまうという選択肢も浮かんだが、それでは意味がない。昨晩に聴いた愛と熱情に満ちた歌を、もう一度聴いてみたいと思ったから。
覚悟を決めて、扉を手の甲で叩いた。
*
結局、一夜で大方の歌詞は書き出せてしまった。空っぽだった器に、清らかな水が溢れてしまうほどの勢いで注がれたような感覚だった。
あとはメロディーに合わせて細かい調整をしなければならないのだが、問題は楽曲だ。生憎、パートナーは組んで早々に解消してしまった。それ以降、学園側から出される課題曲を歌いこなすことでやり過ごしてきたし、卒業オーディションを受けるにあたってパートナーがいない人間への救済措置はそれなりに用意されている。
しかし、今はそれでは満足できない。伝えたい想いを持ってしまった。この胸に抱ける愛に相応しい歌を歌いたいと、願ってしまったから。
しかし、あまりにも理想が高すぎる。生半可な楽曲では許されない。たとえ作曲技術が優れていても、二人の愛の形を理解できる者でなければ必ず楽曲の方向性に相違が出てくるはず。
恋愛を禁止されているこの学園で、そんなものを求めることが間違っているのだが。ましてや残された時間が少ない今になって、こうして焦る羽目になるとは当初の自分も思わなかっただろう。
せめて主旋律だけでもと、彼女への愛によって解き放たれたこの心がありのままに生み出した昨晩の即興から、どうにか思い出せるだけ掻き集めていったのだが。当然ながらこれでは不完全だ。
「……これは」
そんな矢先、トキヤは信じがたいものをレコーディングルームで目の当たりにする。
譜面台に置き去りにされた一枚の五線紙には、旋律とコードが記されていた。誰かの忘れ物だろうか。
他人の譜面を勝手に見るのもどうかと思ったが、参考までにさらっと黙読してしまった。書き込まれた情報を頼りに旋律を頭の中で追っていくうちに、それが昨晩に自身が紡いだ歌であることに気がついた。
まさか、誰かに聞かれていたのか。人の気配はなかったはずだったが。微かな動揺に、すっかり体は固まっていた。
思いつくがままに口ずさむが故に、所々でたらめになっていたリズムやメロディーの繋ぎ方はきっちり整えられていて、完成された楽曲の旋律として昇華されている。
しかし、いったい誰が。思案していると、背後から扉をノックされる音が響いた。びくりと体を揺らして振り返ると、扉の小窓に桜色の髪が映っているのを見た。あれは恐らく、音也のパートナーである七海春歌だ。
彼女が、いったい何の用があってそこにいるのか。当然心当たりはなく、不審に思いながら扉を開けた。
「……何です?」
「す、すみません! さっきまでここで練習してたんですけど、どうやら忘れ物をしてしまったみたいで」
「忘れ物、ですか」
おろおろと部屋の中を気にする彼女の様子は、こちらに畏縮しているというよりは、まるで見られたくないものを探して焦っているといった印象だ。
作曲家である彼女が見られたくない疚しいもの――たとえば、人が口ずさんだ歌のメロディー譜だとか。唯一の心当たりを、ちらりと振り返って一瞥する。
「まさかとは思いますが、これのことですか?」
「……はい」
訝しみながらそれを摘み取って見せると、彼女の顔はみるみるうちに諦めの色に染まり、至極申し訳なさそうに俯いて小さく頷いた。
力なく沈む桜色の頭を見下ろし、トキヤは頭を抱える。完璧どころかろくに形にすらなっていないあの歌は、人には到底聞かせられたものではない。密かに生み出した習作を他人に盗み見られたような、気まずい羞恥心が生まれてしまう。
「辺りには誰もいないと思ったのですが……」
「すみません。外に出たら偶然聞こえてきたので、ついそのまま聴き入ってしまって。あれは、一ノ瀬さんの即興……ですよね?」
「ええ、まあ、恥ずかしながら。何の秩序もなく思いつくがままに歌っていたので、随分とでたらめなものになってしまいましたが」
「それでも、すごく素敵な歌でした。一ノ瀬さんの誰かを一途に想う熱い気持ちが伝わってきて……このまま誰の耳にも届かないのは、もったいないと思ったんです」
かつてトキヤの歌を苦しそうと表現した彼女は、嘘偽りのない真摯な感想を伝えてくれた。
聞いていたのが彼女だったのは幸いだった。真面目で音楽に対する熱意を人一倍持つ彼女だからこそ、真剣にあの歌を受けとめてくれた。その結果が、この楽譜だ。
「それで、わざわざこうして曲として成り立つように修正まで加えて、書き起こしてしまったと」
「はい。勝手だとはわかっているんです。でも――その歌を、卒業オーディションで歌っていただけませんか?」
頑固な視線に射抜かれる。いつもは頼りなさすら感じさせる柔らかな瞳が、確固たる意志を宿している。
音也にとっても、音也のために曲を作る彼女にとっても、自分はライバルであるはず。それが、何故。
戸惑いはあれど、提示された選択肢を無下にしてしまうほどの余裕はない。どんな手を使ってでも、自分は卒業オーディションで希望ある未来を勝ち取らなければならないのだから。
彼女の施しを手に取るべく口を開いた瞬間、割って入ったのは燃えるような赤い髪。
「何言ってるんだよ!」
「音也くんっ」
今の会話を半端に聞いていたらしい音也は、明らかに思い違いをしている。悲しげな目には架空の裏切りへの動揺が見て取れ、縋るように彼女を見つめた。
「春歌は俺のパートナーだろ? そんな、トキヤに曲を渡すなんて……」
まったく、世話の焼ける。トキヤは眉間に皺を寄せ、煩わしさを追い払うように首をゆるゆると振った。
「ひとまず、詳しい話は後にしてもらえますか。人の貴重な練習時間を奪って目の前で痴話喧嘩とは、嫌がらせとしか思えません」
「そんな、茶化したような言い方っ」
「す、すみませんでしたっ!」
「え?」
音也が反発するよりも早く深々と頭を下げる彼女を、状況を欠片も理解していない音也は拍子抜けした顔で見下ろす。
いちいち説明するのも面倒だ。ただでさえ有限な時間を、今もなお削られていっているというのに。トキヤは募る苛立ちをため息にして吐き出した。
「これは預かっておきます。私にこの曲を歌ってほしいというのであれば、練習が終わるまでにその男を説得しておいてください」
「な、なんだよそれ。俺は認めてな」
「音也くん、ちゃんと説明するから教室に戻ろう!」
「ええっ、ちょっと春歌!」
意外にも頼もしく、彼女は不服を訴えようとする音也の腕を半ば強引に引きずって退散した。
「まったく……」
遠退く嵐のような騒がしさを見届けている間に、ようやく静かなる平穏が訪れる。手元に一縷の希望を残して。
邪魔が入ってしまったが、得たものは有益だった。すぐさまレコーディングルームの扉を閉めて籠もり、それと向き合った。夜空に煌めく星のように散りばめられた音符たちに、愛しい人への愛を込めた言霊を乗せて、歌にして。
*
「トキヤが自分で作った歌、かあ」
音也を引きずって教室に戻った春歌は、昨晩に見聞きしたことを全て語った。無事に思い込みが解けたのか、音也は先程までよりも冷静に話を飲み込んでくれている。
「私はそれを少しだけ手直しして、楽譜に起こしただけなの。どうしても、一ノ瀬さんにあの歌を歌ってほしくて」
「そんなにいい歌だったの?」
「うん。今までの一ノ瀬さんにはない、誰かへの真っ直ぐで優しい愛情を感じさせるような……」
あの歌を言葉だけで表すには不十分だ。その耳で、心で触れなければ魅力を余すことなく伝えることなどできない。だからこそ、一人でも多くの人々に知ってもらいたくて、彼に楽譜を渡してしまったのだ。
さすがは同室で好敵手なだけあって、音也もトキヤの歌には関心があるらしい。二人はよく比べられてきたから、当然なのかもしれない。だから春歌も、臆することなく彼の歌に感じたことを言い表せた。
現に、音也も素直に聞き入れてくれている。
「でも確かに、最近のトキヤはちょっとだけ優しくなったっていうか、前より丸くなった気がするかも」
「一ノ瀬さんに、何か心境の変化があったのかな」
自分よりもずっと顔を合わせることの多い彼がそう言うのだから、間違いないのだと思う。
少し前に意見の相違で口喧嘩をしたらしいが、この様子だと特に後に引いているわけではないようで安堵した。
「心境の変化かあ……たとえば、誰かに恋をした、とか?」
「えっ?」
ううんと唸りながら思案していた音也の口からぽつりとこぼれた言葉が、妙に心に引っかかった。
「なーんて、あのトキヤがそんなことあるわけないか。あれだけ掟を破るのにも恋愛そのものにも否定的だったし」
彼はすぐさまあっけらかんと笑って切り捨てたが、春歌には同じように否定することができなかった。
何かに縛られていたトキヤの心を解放したのが、誰かへの恋心であったなら。あの歌に、じわじわと説得力が増していく。
「……可能性は、あるかも」
「うーん。でも、トキヤってあんまり他人を寄せつけないイメージあるし、女の子との交流も特に……」
「音也くん?」
不意に、音也の思考が途切れた。
突然の異変に心配して顔を覗き込むと、固まっていた顔がみるみるうちに焦りに染まっていくのが見てとれる。
「ま、まさか……だめだめ! それはだめ!」
「ど、どうしたの?」
ひとりでに繰り返される拒絶の言葉に、ますます首を傾ける。心なしか、顔が青ざめている気がしないでもない。
呆然としていると突如勢い良く肩を掴まれ、びっくりして小さな悲鳴をあげてしまった。
「たとえトキヤが春歌のこと好きになっても、春歌のパートナーは俺だから!」
「う……うん……?」
「とにかく、トキヤからちゃんと話を聞いてみなきゃ。たとえメロディーはトキヤが考えたものだったとしても、春歌の手が加えられてるならそれは春歌の音楽でもあると思うから。俺は納得できないよ」
「音也くん……」
何か大きな誤解を生んでいる気がするが、きっとそれはトキヤ自身が否定してくれるだろうと信じることにして。
いつでもパートナーとして、大切な人として求めてくれる彼を不安にさせてしまったことが申し訳なくて、きちんと話し合ってから行動に移すべきだったと反省を抱えた。
もちろん、一番に輝かせたいと思うのは太陽のように暖かな彼なのだから。
「お待たせしました」
やがて、練習を終えたトキヤがAクラスの教室を訪れた。歌詞と、字数に合わせて細かく修正を加えられた件の楽譜を手にして。
「一ノ瀬さん。お疲れ様です」
「トキヤ……」
「その顔だと、説得は上手くいかなかったようですね」
複雑な情を滲ませて見上げる音也を見下ろし、トキヤは険しくため息を吐き出した。
「当たり前だろ。春歌の音楽は誰にも渡したくない」
「まあ、そう言うと思いましたよ」
それでも大きく動じることなく涼しい顔を崩さない様は、さすがに扱い慣れていると感じられた。
「音也は何か勘違いをしているようですが、あなたが警戒しているような感情は一切抱いていませんよ。確かに作曲家としての彼女の音楽性には、期待するものがありますが……別にあなたから奪い取る気は毛頭ありません」
「本当に……?」
「こんなことで嘘を吐いたところで、どうにもならないでしょう」
彼の淡々と言い切る口調に固い説得力を感じ、安堵した音也の表情から力が抜けていった。
さらりと流れた評価には恐れ多くも少し心が踊ってしまったが、今の音也の前で表立って喜ぶわけにもいかずにぐっと胸の内に留めた。
それに、トキヤの内に眠る歌を引きずり出すためにも、今は何よりも彼の心と向き合うことを優先しなければ。
「でも、私じゃなくても、あの歌に誰か一人への想いが込められていたのは確かだと思います。その、今までの一ノ瀬さんの歌とは違ったので」
「それは……ここでは言えません」
覇気なく言い淀む言葉と、不安定に泳ぐ視線。彼らしからぬそれは、肯定と捉えるには十分だった。
寂しい沈黙が、少しの間に下りる。窓の外の薄暗い闇が、他に誰もいない閑散とした教室の空気を蝕もうとしているようだ。
そこにぽつんと、穏やかな声が落ちる。
「トキヤってさ、最近ちょっと変わったよね」
「何です、急に」
不服そうに睨む視線と、どこか嬉しそうに和らぐ視線が、静かにぶつかり合う。
「俺が夜中に部屋でギター弾いて歌ってても、あまり言ってこなくなったし」
「何度言っても聞かないので、諦めただけですが?」
「時々、相談にも乗ってくれるじゃん」
「あなたがいつまでも一方的に喋りかけてくるので、応えざるを得なかっただけです」
「でも、前より許してくれることが増えたなって思う。それってさ、誰かを好きになったからなんじゃない?」
「何を根拠に……」
「俺は春歌を好きになって、世界が変わったと思ってる。毎日が楽しくてきらきらしててさ、ああ、俺、ちゃんと生きてるんだってここが叫ぶんだ」
とん、と力強く胸を叩く音也の眼差しはとても真剣に、そこに宿る想いを訴えた。
彼が生きてきた境遇を思うと、胸が締めつけられる。彼の存在を肯定してあげられるような曲を、一緒に作り上げたい。強い衝動に揺さぶられて、ぎゅっと耐えるように拳に力が入る。
「音也くん……」
「だから、トキヤもそうなんじゃないかなって」
「あなたと一緒にしないでください」
しかし、トキヤは頑なにそれを受け入れようとしない。真っ直ぐに音也を見つめ返す瞳には、彼の抱く信念が秘められているような気がした。
「確かに、ある人と出逢ってから私の世界は変わりました。しかし、私たちは互いを深く理解し尊重し合い、立場を弁えた上で適切な距離を保って接しています。それぞれがどんな想いを抱いていたとしても、一線を越えることはありません」
「トキヤは本当に、それでいいの?」
「いいも何も、破滅を逃れるにはこうするしかないでしょう。あなたと同じやり方では、私の夢は叶えられません」
恋も夢も全て叶えたいと願う音也と、夢のために恋を封じようとするトキヤ。二人の意志はどこまでも対極に在る。
春歌には、どちらが正しいと決めつけることなどできなかった。
「自分の気持ちを偽ってまでデビューして、それで本物の『愛』なんて歌えるのかよ」
音也の主張に、一瞬だけ固く結ばれていたトキヤの表情に綻びが生まれた。図星を突かれ、心の迷いに揺らぐような。
しかしすぐさまに、それまで以上に厳しく結び直された決意が、力強く対峙する。
「別に偽ってなどいません。私はたとえ現実には叶わなくとも、歌の中で真実の『愛』を貫いてみせます」
「でもそれじゃあ、名前を呼んでもらうだけで嬉しくなる気持ちも、大好きな人を抱きしめた時の温かさも、キスした時の幸せな気持ちも、何もかも独り占めしたくなる気持ちだって、全部知らないままだ」
「そんなもの、知らなくとも大切な人を想う気持ちさえあれば支障はありせん」
「そんなことない。全部、全部知ってるからこそ、聴いてくれる人にありのままの気持ちを伝えられる歌が歌えるんだと思う」
どこまでも平行線を辿る二人の言葉が、時が止まったかのようにぴたりと止んだ。変わらず視線だけはぶつかり合い、互いの意志が曲げられることはない。
かと思えば、諦めのようなトキヤのため息が緊張の糸を弛ませた。
「……だったら、示してみなさい」
「え?」
「あなたの言う本物の『愛』がどれほどのもので、どこまで通用するのか。その身で実証しなさい。結果次第では、考えを改めなくもありません」
「一ノ瀬さん……」
これは彼の最大限の譲歩だと思った。音也の信念が、彼の心に届いたのだと信じたい。
音也は少しの間拍子抜けしていたが、やがて気を引き締めて強く頷いた。
「ああ、わかった。必ず認めさせてやる。その代わり、トキヤのいう真実の『愛』の歌ってやつも聴かせてよ。俺、トキヤの本気の歌が聴きたいんだ」
「わかりました。約束します」
トキヤも、同じく。
少し遠回りになってしまったけれど、彼の抱える想いを欠片だけでも知れた気がする。彼の手に在る楽譜に輝ける可能性を見出して、春歌もまた彼らの魂を引き出せるような曲を作ろうと意気込んだ。
しかしそんな矢先、間もなく訪れるクリスマスの日。
音也に手を引かれるがままに、春歌も共に学園長の目の前で禁忌を犯したのだった。
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