鼓膜に刺さる黄色い声に顔を顰めながら、学園の廊下を歩く。少し先には女子生徒たちの群れが成されている。原因はもちろん、その中心で愛想を振りまく高身長の男である。
またですか。呆れ返ったトキヤは心の中でぼやきながら、足早に群れの傍らを通り過ぎようとする。巻き添えを喰らうのは御免だと、厄介から逃れようとしたのだが。

「やあ、イッチー。どうしたんだい、そんなに険しい顔をして。具合でも悪いのか?」

努力も虚しく、揶揄うような口ぶりで呼び留められてしまう。白々しい。心の中で悪態を吐き捨てつつ、この男に噛みついたところで不毛であると自身に言い聞かせて、憤りを腹の底へと沈める。

「……別に。あなたには関係のないことです」

少しでも早くこの場から逃れたい一心で突き放したというのに、それでも悠々と構えるこの男には効かない。

「相変わらず冷たいなあ、イッチーは。そんな恐い顔してちゃ、レディたちにも逃げられてしまうだろ?」
「余計なお世話です」
「ふうん。この間は駅前で、何やらレディと立て込んでたくせに」
「はっ……!?」

ざわ、と胸騒ぎがした。艶めく唇を深く吊り上げて笑みを浮かべる男の目は、全てを見透かしているような確信を宿していた。
男の周りにたむろしている女子生徒たちも、まさかと疑いの目をこちらに向けてどよめきだす。

「イッチーも隅に置けないねぇ。まさか他所の学校のレディを誑し込んでるとは」
「人聞きの悪いことを言わないでください。あなたとは違います」

このまま誤解が噂となって広まっては困る。否定の意を込めて強く睨みつけると、男は茶化すようにわざとらしく怯む仕草を見せる。しかし、こちらの言葉に納得している様子はまるでない。

「じゃあ、彼女とは一体どういう関係なのかな?」
「彼女は……少し前に困っているところを助けたことがあるというだけの、ただの他人ですよ」
「ただの他人ねえ」

飄々としたこの男の思考はまるで読めない。そのくせ洞察力は高く、厄介な存在だった。
それでもこの男の持つポテンシャルの高さは、悔しながら認めないわけにはいかない。こちらが死に物狂いで努力して掴みとっているものを、自然と我が物として周りへと振る舞っている。

「ま、でも学園一の優等生であるイッチーが恋愛禁止令を破るわけもないか」
「当然です。愛だの恋だの、そのようなくだらないもののために、夢を台無しになどしていられません」
「うん、さすが。絵に描いたような優等生っぷりだ」

皮肉を込めた言葉が、軽やかに投げられる。何とでも、勝手に言わせておけばいい。他人に理解など求める気もない。
悲願を叶えるためにこの学園に入った。どんな手を使ってでも、卒業オーディションで優勝しなければならない。この学園の人間全てがライバル、すなわち敵なのだ。馴れ合う義理はない。
その気になればこの男も手強いライバルとなるだろうが、どうやらアイドル活動に興味はないらしく、入学してからずっとこの調子である。敵は少ない方がいい。無理に焚きつける必要もないだろう。
女子たちの群れから聞こえる、彼への甘い声やこちらへの不服の声を全て受け流して、再び歩を進めた。

馬鹿馬鹿しい。この学園でアイドルを目指す以上、規律は絶対である。そもそも恋などというものは、都合の良い錯覚が生み出した幻想に過ぎない。そのような一時の気の迷いに足をとられるほど、愚かではない。
件の彼女のことも、決してお人好しが過ぎるほどの優しさに絆されたわけではない。一般人の率直な感想は、ちょうどよい資料になる。
それに、彼女の持つ感情の力に興味を惹かれたのだ。人のために笑い、人のために悲しみ、人のために憤り、人のために祈る。他人の感情に寄り添える力を持つ彼女のことが、ただ知りたかった。その力を自身の表現力に取り入れ、活かすために。
どうせ外部の人間であるし、あの彼女の性格上では第三者に情報を漏らすこともないだろう。利用できるものは利用する。そうでなければ、がんじがらめの現状から逃れる術はないのである。

教室に戻ると、違うクラスであるはずなのに、寮で同室の男が背丈の小さなクラスメイトと楽しそうに話し込んでいた。何故、ここにあの男がいるのか。見つけた途端に気分が鬱蒼としてしまったが、そういえば彼らは同世代で仲が良いことを思いだした。
彼らはこちらの姿を見つけるなり、快活な笑顔で軽く手を振る。

「おう、トキヤ。レッスン終わったのか?」
「ええ……まあ」
「俺たち、これから一緒に映画観に行くんだけど。トキヤも一緒にどう?」
「いえ、結構です。この後は予定がありますので」

悠長な時間を過ごしている場合ではない。誘いを丁重に断ると、赤髪の男は少し寂しそうに口を尖らせる。

「そっか〜、残念。せっかくだからと思ったんだけどなー」
「ま、無理に誘うわけにもいかねーからな。……あ、そうだ。先週から借りてた本、返すぜ。なかなか面白かった。ありがとな!」
「いえ、楽しめたのならよかったです」
「またオススメとかあったら貸してくれよな」
「ええ。用意しておきます」

片や、金髪の小さなクラスメイトの方は物わかりが良く気遣いのできる男で、惜しみながらもさらりと話を切り替えてくれる。
タイプは違うが、彼もストイックな努力家である。見識が高い上に視野も広く、様々な分野にも興味を持つためか、いつしか互いに本の貸し借りをするようになっていた。こちらとしても、普段読まないような漫画に触れる機会を得て、なかなかに新鮮だった。彼とは、意外と価値観が合う気がしている。

それにしても、映画か。トキヤは彼らの言葉に触発されて思いたつ。
実のところ、例の彼女との繋がりを留めて以来、メールでのやりとりはなおも続けてはいるものの、再び会うきっかけを見失っていた。特別に会う理由がないのだ。
一ノ瀬トキヤとしての学園生活と、HAYATOとしての芸能活動。その隙間にと彼女の予定を意味もなく強制させてしまうのは、どうも憚られた。
ちょうど、今ならHAYATOが出演する映画が公開されているところだ。内容としてはこちらの趣味ではないが、女子高生が相手なら外れにはならないだろう。HAYATOのことを何かと気にかけている彼女なら、きっと食いつく。
不本意ではあるがきっかけを与えてくれた彼らには感謝しつつ、また詮索を受けないように端的に彼女への誘いのメールを打った。



*




最近の日課は、メールが来ていないかと携帯をチェックすること。ボタンを操る指はいつも緊張に包まれていて、どきどきと心臓の音を逸らせている。
相手は多忙であるはずなのに、何かと小まめに返事をくれている。彼のことを知るのが楽しみで、彼のことを考えるのが楽しくて、気づけばメールに夢中になっていた。
家でも、学校でもつい休み時間になる度に携帯を触ってしまう。返事が来ていると、とても嬉しくて頬が緩んでしまう。そう、今も。

「優衣、ひょっとして彼氏できた!?」
「わあっ!?」

不意に頭上から落ちる影と興奮気味の大声に、心臓が激しく跳ねてこちらも大声を出してしまった。手に握りしめていた携帯が滑って、机の上に転げ落ちる。
机を挟んで目の前で、好奇心に満ちた目を輝かせて覗き込む友人たちは、何やらにやにやと笑みを浮かべている。囲まれている。気づいて顔上げた時には、もう手遅れだった。

「な、なんでっ?」
「だって、最近やたらと携帯イジりながらニヤニヤしてるじゃん。遂に優衣にも春が来た!? って噂してたんだよ」
「ええっ!? ち、違うよ! そんなんじゃない!」
「えー、じゃあ何よ。あ、わかった! 好きな人できた!?」
「違うってば! ちょっとその、と、友達と色々と予定決めてたの!」
「友達、ねえ……?」

疑り深い視線を集中して浴びて、居心地が悪くなってきた。
すっかり周りが見えていなくて気にもしていなかったが、まさかそのような疑惑が浮かんでいたとは。

「でもこの間、校門の前で男の人と会ってなかった?」
「えっ」

さらなる容赦ない指摘に、ひやりと肝が冷える。固まってしまう優衣を余所に、友人たちはますます盛り上がりを見せていた。

「え、嘘! 優衣ったらいつの間にっ?」
「あまり顔はよく見えなかったけど。あれ、彼氏じゃなかったの?」
「ち、違う違う! あの人は……なんていうか、前に助けてもらったことがあって……」
「ふーん?」

このままではあらぬ誤解が独り歩きしてしまう。慌てて全力で首を横に振るも、友人たちは何か言いたげに顔を見合わせる。
ああ、信じてくれていないな。もはや何と弁解しても、聞き入れてもらえそうにない。諦めて口を噤むことにした。

「あ、ねえ。そういえばさ、今日の放課後ってみんな空いてる?」
「うん? 何かあるの?」

唐突に思い出したように話を切りだす友人に、また別の友人が興味を向ける。すると、問われた側はそれはもう目を輝かせて、ファンシーでカラフルなチラシを何故か誇らしげに見せてきた。

「じゃーん! 最近、駅前に新しいクレープ屋さんができたじゃない? 周りがみんな美味しいって大絶賛するから気になってたんだけど」
「へえ〜! メニューいっぱいあるー!」
「え、行く行くー! 今日は用事なかったはずだし! あたし、このチョコミントのアイス乗ってるやつがいいなー!」
「えー、じゃああたしティラミス乗ってるやつー!」
「うわ、カロリー高そ〜」
「いいのいいの、晩ごはん少なめにしておけば許されるでしょ!」

人の机に勝手にチラシを広げて、それぞれメニューを指しては騒ぎたてる。確かにどれも美味しそうだなあと密かな好奇心を抱きながら、豊富なメニューを呑気に眺めていると、言いだしっぺの友人が半ば興奮気味にこちらの目を覗き込んできた。

「ねえねえ、優衣も行くでしょ? どれがいい?」
「あー……ごめん、今日は人と会う約束してるから、また今度誘ってくれると嬉しいかな」
「へー、優衣が珍しいね。いつもだったら喜んで付き合ってくれるのに」

そう、美味しそうなクレープに一瞬釣られそうになってしまったが、今日は誘いに乗ってはいけないのである。他でもない、トキヤからの誘いを受けているのだから。
協力者となったあの日から、半月ほど経った現在。HAYATOの出演する映画の招待券を押し付けられて迷惑しているので、消費するのを手伝ってほしいと依頼が来たのである。学園の同級生は同じくデビューを目指すライバルだからと一線を置いている彼には、他に頼める人間がいないらしい。
理由はどうあれ、人から譲られた物を決して無下にしないところは、彼の真面目な性格を表している。良好なのか険悪なのか、いまいちよくわからない兄弟関係だが、少しでも役に立てるのなら断るわけにはいかない。

「うーん、今日はどうしても外せなくて」

申し訳なさを滲ませてやんわり笑うと、友人たちは再び訝しむように顔を見合わせてから、一斉に視線をこちらへ浴びせて。

「やっぱり彼氏できた……?」
「もー! だーかーらー、そういうのじゃないって言ってるでしょ!?」

堂々巡りにすっかり心が折れ、頭も力なく傾いて、嘆きにまみれたため息を溢す。
相手はいずれアイドルになる人だ。恋だとかそういった感情を抱いたところで不毛であるだけだし、何よりも彼の夢を邪魔することがあってはいけない。それは自戒として、呪いのように自らに言い聞かせているのだから、そのような過ちが起きるわけもない。
彼は大切な恩人で、応援したい人。それ以上でも、それ以下でもない。それはきっとこれからも変わらないはずだと、優衣は強く信じていた。



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