可愛いあたしのエインセル
食べられないために、坂を転がるパンプキンパイ
――彼は逃げるのが得意だった
坂を転がるパンプキンパイ
――彼は坂の下で待つ人物を知らなかった
坂を転がるパンプキンパイ
――彼は知らない。疑う事を。
***
俺たちが『街』と呼ぶこの場所は特殊な環境にある。
法が機能していれば、いくら俺たちが恨まれていようと殺される心配も(まったくないとは言わないが)かなり減っただろう。
しかし、この『街』は警察機関等がほぼ機能していない。マフィア等の癒着が強く、むしろそれらの機関は国と無法者が手を組んでいる大変危険な組織と化している。
まともに機能していないのだから、そこに在籍している奴らはやりたい放題だ。
だからこそ、この『街』の住民たちは結束が固い。お互い手を取り合い守りあうために自警団を結成している。
こんな環境だ。だからこそ、俺たちに居場所は無いのだ。
ないのだが、
「兄さん、おかえり」
俺の唯一の居場所である弟は俺の帰りを、酷い顔色で出迎えた。ナターシャの事で拗ねているのか怒っているのかどちからかと思えば、少し様子が違う。
「どうした。やけに顔色が悪いが」
「こっちに来て」
言われるままにボロ屋に入れば、ゴミ同然のソファに両手足を縛られたナターシャがいた。両目には大粒の涙がたまっている。
「お前、ここまですることはないだろう!!」
慌てて縄を解こうとすると、ラヴィが制止した。
「兄さん。僕だって嫌いって理由だけでこんな事はしない。ナターシャの傷を見てみてよ。全部精巧な化粧なんだ」
「は?」
「いいから見てみて」
ワンピースの肩の部分を少しずらす。赤黒い傷跡に触れると、それは俺の手に色移りした。
「ぜったいこいつ、おかしいよ。『街』のやつらが僕たちの事探ってるんじゃないの」
「スパイだと?この子はまだ子どもだぞ。だいたい、そこまでして俺たちを追いまわすメリットなんてない」
「じゃあ、この偽物の傷は何なんだよ!?」
そうは言われても、俺にもさっぱりわからない。本人に訊くしかないだろう。
「ナターシャ……」
「――!!」
猿轡を解いてやり、俺はなるべく穏やかに問う。
「説明してくれるか?」
「……わ、わたし、は」
「何で君の親は、怪我したふりをさせた?」
「この方が、大事にされていない感じがするからって」
「?」
「わたしの事はだいすきだけど、あぶないからって、いわれたの」
「俺たちがこの森にいることを、親は知っていたのか?」
「わからない」
ナターシャはぼろぼろと、涙をこぼす。そして――
「……iwtgh」
聞きなれない発音の言葉を発した。
「何?なんと言った?どこの国の言葉だ?」
「……パパ、ママ」
ナターシャは答えない。それでもようやく年相応の顔を見られた気がして俺はなんだかほっとした。
「ナターシャ、ひとつずつ訊くぞ」
彼女は頷く。
「君の親は、君を殴ったりしない人たちなんだな?」
「うん」
「森に君を連れてきたのは『街』から離れるためか?」
「たぶん、そう」
「君の親の仕事は?」
「『街』を守るんだって、いってた」
「そうか。なあ、ナターシャ」
手と足の拘束を解いてやりながら、俺は平静を装って問う。
「君の、ラストネームは?」
ナターシャは俺の目を見て、はっきりと答えた。
「スミルノヴァ」
寒いというのに、嫌な汗が滲む。
「君の親は『自警団』のリーダーだね?」
彼女はそれが何を意味するのか知らず、当たり前のように頷く。
自警団のリーダーの娘が何故こんなところにいるのか。
『街』では今いったい何が起こっている?
20201218
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