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「ごめんね、宮沢さん…」

 先生が倒れたのは、僕との特訓が始まって半月ほどたった時だった。
先生の家に伺うと、いつもはインターホンを推したらすぐに迎えてくれる先生がその日は出迎えてくれなくて、異変を感じ借りていた鍵を使って家の中に入ると先生が玄関で倒れ込んでいたのだった。
すぐに僕は先生をベッドに運び、救急車を呼ぼうとしたが、意識を取り戻した先生に「いつものことだから」と救急車を呼ぶのをさえぎられた。


「先生、そんなに無理しなくてもいいんですよ。
ここ最近、連日頑張ってますよね…?
頑張りすぎて寝不足にもなっているんじゃないですか?クマも酷いですよ」
「う、うん…でも、ちゃんと小説は書いてるし…」
「書いていても、です。
そんなに倒れていちゃ不安になりますよ…」
「…うん…。ごめんね…」

先生はベッドの上で申し訳なさそうに身を縮めた。

「先生は頑張りすぎです。
もう少しゆっくり、焦らずいきましょう?」
「…焦らず…」
「そうです、焦らなければきっと大丈夫ですよ…。先生のこと好きな人はみんな応援していますから…!みんな…」
「好きな人…ね…。
でもさ、頑張れって言葉って頑張れない人には重く感じちゃうよね。優しい気持ちでかけた言葉も、期待に応えられずに重く感じてしまう…」
「……っ」

先生の口からこぼれた言葉に、ヒヤリと手足が冷たくなった。
そんな僕の様子に先生は気づくことなく、苛立たしげにクビを左右に振った。

「その好意がどれほど、窮屈に感じているのかきっと知らないんだ。好きだからって言葉ですべてを正当化させようとする。
誰よりも考えているなんていって、結局は自分の欲望を優先させて…。
ズカズカと踏み込んで…」
「先生…」

「もうずっと治らないし、頑張るだけ無駄なんじゃないのかな?どれだけ頑張ったところで…」

先生は自暴自棄に口元を歪めて笑う。
が、すぐに「ごめん…」と詫びた。


「八つ当たりしちゃったね。ごめんね。宮沢さん。
付き合ってっていったのは、僕なのに」
「い、いえ…」
「“その行為がどれほど、窮屈に感じているのかきっと知らないんですね”って、今の言葉、昔、僕自身が言われた言葉なんだ。その言葉を言われて凄く傷ついたのに…、同じ言葉を宮沢さんに言っちゃった。
わざわざ僕なんかに付き合わせてしまっているのに…」
「付き合わせてって…そんな…。
僕はなにもしてません。せっかく先生がトラウマを克服したいっていったのに、お役にも立ててないし」
「ううん。宮沢さんは色々調べてくれたし親身になってくれたよ。
悪いのはいつまでたっても、自分の殻から抜け出せない僕がいけないんだ」
「先生…」
「ごめんね…宮沢さん。こんな先生で…。
ウダウダといつまでたっても悩み続けている煮え切らない男でごめん。
僕は甘えているのかもしれないね。花蓮と宮沢さんに。
甘えきってしまっているから、いつまでも二人に逃げてしまっているんだ。
だから、いつまでたってもこの現状を変えられない。過去を過去のものと割り切ることができなくてみんなに迷惑ばかりかけてしまっているんだ…」

もっと頑張らないといけないのに…先生は俯いてぎゅっと布団を握りしめた。
先生の顔は、今まで見たことないくらい切羽詰まっていて…、けれど僕はそんな先生にかける言葉が見つからず。ただ見守ることしかできなかった。


 それからも先生の症状は変わることはなかった。
焦れば焦るほど先生は精神的に追い詰められているようで、いつもおっとりとしている先生がイライラと唇を噛み締めることが多くなった。
しまいには、書いていた小説も全く書けなくなってしまった。

落ち込む先生に、僕もやきもきして励ますのだけれどその励ましも次第に重みに感じてしまったようで。
ついに、先生に言われてしまったのだ。
『…宮沢さん、担当、外れてくれないかな』と。

先生が言うには、僕が嫌になったわけでなくて、いつまでたっても変わらない現状に、変わるきっかけがなくてはいけないと思ったようだ。
無事にトラウマが克服できたら、また宮沢さんに担当になってほしいという言葉を受けて、出版社からは僕より年下の子が先生の新しい担当になることになった。
つまり、また僕は不要だと切り捨てられてしまったのだった。
また、いらないと言われてしまった。


 「…はぁ…」

 もう何度目かのため息。
相良先生以外にも僕が受け持っている担当の先生はいる。
仕事がないわけじゃない。
やらなくてはいけないことはたくさんある。

しかし、相良先生の担当を外されたことは、僕にとってショックが大きくて、すぐに気持ちを切り替えることができなかった。
担当を外れてからは、ぼんやりすることが多くなって、ミスが多発し会社にも担当の先生たちにも迷惑をかけてしまった。あわや、原稿をなくしかけて信用問題にまで発展しそうになった。

相良先生は自分のせいだから、気にしないで…と言ってくれたけど、せっかく頼ってくれたのに何も先生の役に立てなかった自分が不甲斐なくて。迷惑かけた先生方にも申し訳なくて。
夏目君のようになりたいと思ったのに、ちっとも誰かの役に立つことができず、落ち込む。

なにより、僕の後に相良先生の担当についた子の存在が、僕をより惨めな気分にさせた。
僕の後についた子は、夏目君の大学のときの後輩の男の子だった。
名前は酒井司君。
童顔の可愛らしい子で、成人しているのに男の子≠ニいう言葉が似合いの子だった。
足れ目がちの大きな瞳は子犬のよう。
夏目君を凄く慕っているようで、よく夏目くんについて回っている姿を見かけた。

明るくてみんなから愛されている酒井君は、根暗な僕にはとてもまぶしすぎる存在だった。

百万回の愛してるを君に