「よろしくおねがいします」
菜月が深々と頭をさげると、「こちらこそ、またよろしく」と店長は、菜月に笑いかけた。

バイトのメンバーは菜月が辞めてから少しだけ変わったものの、仕事内容はこれといって変わっておらず、菜月が前に使用していたロッカーも、そのままであった。


「君が事故にあってバイトをやめてから、結構シフトに穴が空いてね…。いなくなってから、君がどれだけ頑張っていたか思い知らされたよ」
「そんなそんな、俺なんて…。長い間休んでいてすみませんでした。これから、またよろしくお願いします」
「ああ。よろしく。
っと、じゃあ早速だけど、ここにサインしてくれるかな?」

差し出された書面に、菜月は軽く目を通しサインをしていく。
それから、改めてバイトの説明と、菜月の現在について話し合った。






 バイトの面接は、数時間で終わった。
そこまで見送るよ、という店長と一緒にガソリンスタンドの待機所を出る。
外は木枯らしが拭いていて、寒い。
室内と外の寒暖の差に、菜月は思わず身震いした。

 ガソリンスタンドの前には、変わらず菜月が好きな桜の木が並んでいた。
今は冬だから、その木は葉を落とし寒々しかった。



「春が好きです、桜いっぱいの、春が…。
覚えているかい?君が、バイトを受けに来た日のこと」

葉を落とした桜を見つめながら、ぽつりと店長が遠い目をしてつぶやく。
菜月がこのガソリンスタンドの面接を受けたのは、今から3年前。
中学を卒業したばかりのことだった。

「君は…なんだか、切羽つまった顔で面接にきてたね。
君みたいな若い子が、どうしてそこまで…ってなにか訳アリな子かと思って、最初は私は君を働かせる気はなかったんだよ。
面倒なことはお断りだからね…」

確かに、店長がいうように、あの頃の菜月は、それまでの人生で一番切羽つまっていただろう。
春までに家を出ろと言われたものの、なかなか仕事が見つからず面接に明け暮れていたのだから。
落ち続ける面接に、これっぽっちも余裕などなく。
けれど、落ち込む暇もなく、追われるように日々を過ごしていた。

「君も…私が面接で落とすのをなんとなく、気づいていたんだろう。面接が終わるころには、肩を落とし少し気落ちしていた。
だけど、ここにある満開の桜の木を見て、君の眼は少し輝いていた。君は満開の桜を見て、こういったんだ。
俺、春が好きです…って、とてもうれしそうに。年相応の顔でね…。その時の君の顔は…とても嬉しそうだった。」
「……」
「私も、この桜が好きでね。
辛いことがあったとき、よく見ていたんだ。だから、桜を見て、嬉しそうにする君を見た時、親近感がわいたのかな。それまで絶対採用しないと決めていた君なのに、数時間後、君に採用の電話をしていた」

この桜は、なにか不思議な力でもあるのかな…、そういって、店長は後ろに手を回したまま、視線を桜から菜月へ移した。


「春が好きです。
そういった君の顔はとても、嬉しそうで…
そして、まるで逃げているかのようでもあったよ。
不思議だったね。

君は春に憧れて、憧れを描いて、春という存在を前に、すべてから逃げ出しているようだった。
春が好きだといって。他から目を背けている様だった。

夢を描いて理想を追い続け現実を見ないというのかな。
君は、春という思い出を胸にすべてを諦めている様だった。
ずっと春という綺麗な思い出から抜け出すことなく、時間を止めているようだったよ。
全てから逃げ出して…ね。

今の君は、今までの君と少し違って見えるよ。
それは同居人のおかげなのかな?」

どうだろう?と投げかける店長に、菜月はどうでしょう?といって、桜の木を見上げた。

葉一枚ない寒々しい、桜の木。
春はまだまだ遠そうだった。




  
百万回の愛してるを君に