このまま自分は、ここにいていいのだろうか。
利弥は復讐と言っていたけれど、昨夜の出来事で彼の心は晴れたのだろうか?あれで復讐は終わったのだろうか。
(小牧さんなら知っているのかもしれない。
俺が知らない、利弥さんのこと)

利弥との関係を止めようとしていた小牧だったら、菜月以上に利弥のことを知っている。
なにせ二人は親友であり、幼馴染なのだ。
利弥がいう“復讐”理由も小牧は知っているかもしれない。
魔法がとける、といっていたように、引き金をひいたのは小牧だ。だったら、真相もきっと知っているはずだ。
真相を知っているからこそ、あんなにも、自分の前に現れてそのたびに忠告してきたはずだから。

 昨夜無理矢理抱かれたというのに、利弥に対しての恋心は消えていなかった。いっそ、嫌いになれたらよかった。
嫌いになりさえすれば、復讐といっていていた彼を思うことなく離れることができ、また利弥のいなかった頃の生活に戻れたのに。
思いは消えることなく、彼の隠している裏の黒い部分も知りたいと思ってしまう。

都合がいいかもしれないが、今は頼るべき人間は、あれだけ苦手としていた小牧しかいない。

縋るような思いで、コートのポッケから、ずっとしまっていた小牧の名刺に記載された電話番号に電話をかける。
が、あいにく小牧につながることはなく、おかけになった電話番号は…、と規則正しい留守番電話のメッセージが流れた。
留守番メッセージに利弥のことで会いたいと吹き込んで、電話を切ると、菜月はいてもたってもいられず、コートを羽織り財布を手に取るとそのまま家を飛び出した。



「いらっしゃいま…あ、中川さん。お久しぶりです!少し遅れましたが新年あけましておめでとうございます」

黒沢君が、店に赴いた菜月に向かい、丁寧に挨拶する。

「あ…、はい。おめでとうございます。あの…今日って、小牧さん来ていませんか?」
「小牧さんですか?ん〜最近ボクは見てませんけど…。マスターは?」

黒沢君が背後、カウンターにいるマスターに問いかけると、マスターも見ていないようで、「最近は見ていませんが、今日あたりくると思いますけど…お忙しい方ですからね」と呑気に返した。

「忙しい人なんですか…」
「ええ。お医者様ですから」
「お医者様…?あの人がですか?モデルとかじゃなくて?」

あんなにスタイルもよくて、美人で中性的でファッションも奇抜な彼が、医者?
驚く菜月に、マスターは、
「みんな中川さんみたいな反応をするから、最近では秘密らしいですけどね。
真面目なお医者様と思われるのが嫌みたいですよ。
本人は大変真面目な方なのですけどね」と、グラスを拭きながら答えた。


「小牧さんと待ち合わせでもしてたの?」
「あ…、いえ。
電話してもでなかったので…ここにくれば会えるかなって…。ここくらいしか、会えそうな場所思いつかなくて」
「あいにくだね。
小牧さんはいつも夜の時間にくるんだよ。男を漁りにね。だからこの時間はいないよ〜!仕事でもしてんじゃないかな?」
「黒沢君。お客様のプライベートをペラペラ喋らない」

マスターに叱られ、黒沢君は「やっちゃった…」とぺろりと舌を出すと、「ボク店の奥の掃除でもしてきます!」といって店の奥へ引っ込んだ。やれやれ…とマスターは肩を落とす。

「とにかく、今の時間は待ち合わせでもしない限りいらっしゃらないとは思うのですが…なにかお話したいことでもありました?宜しければ、伝言でも承りましょうか?彼のメールアドレス、知ってますから」

取り繕うように、マスターが提案してくれたが、菜月は首を横に振った。

「あ…、いえ。その自分でいうべきことなので…」
「そうですか。」
なにか言いたげにマスターが菜月を見つめる。

「なんです、マスター。そんなに見つめて。」
「あ、あの…お伺いすべきことではないのかもしれませんが…なにかあったんです?」
「え…?」
「凄く浮かない顔されていますけど…」
「浮かない顔…そうですか?
いつも浮かない顔ですよ。
地味で、どこにでもいそうな、平凡の覇気のない顔です」

自虐交じりに答えると、マスターはコップを拭く手を止め、
「やっぱりなにかありましたね?」と確信をもった顔で尋ねた。

こういうお店にいるから、人の感情には敏感なんです…とマスターは続ける。自分ではいつも通りのつもりでも、しょげているのがわかったらしい。


「わかります?」
「わかります。中川さんは素直ですからね。」
「それって子供ってことですか?」
「いえいえ。まっすぐな方ってことですよ。」
「違うよ。まっすぐじゃなくて、ただなにも知らない子供なだけだよ。なんにも知らなかった子供。小牧さんがいったとおりだった」
「小牧さん…?」
(そう、魔法がとけたシンデレラなんて惨めなものだ。俺はずっと夢見てたんだ。利弥さんを理想の王子様だって、甘えて…。その腕をほしがってしまったんだ)
利弥がなぜ自分を引き取ることにしたのか。
利弥は菜月と付き合うとは言ってくれたけど、けして愛しているとは言ってくれなかった。
菜月がそれとなく強請っても抱いてくれなかった。
どうして、その時に、愛情を疑わなかったのだろう。
馬鹿な子供だったからだろうか。

「小牧さんに話があるといいましたね。彼はいつも、金曜日にお店にくる可能性が高いんです。それも、1か月以上月日を置かずにやってくる。今日はくしくも、金曜日。このまま待っていれば小牧さんくるかもしれませんけど、このまま早めの夕食でもいかがでしょう?」

マスターはそういって、菜月にカウンター席を勧め、それにならい菜月も席に着いた。

「ねぇ、マスター。なんで20歳以下ってお酒飲めないのかな。俺、早く飲みたいんだよね。
こっそりコンビニで買って家で飲むとかじゃなくって、こうやってお店にきて飲んでみたいんだ。今、すっごい飲みたい気分なんです。こうぱぁっと忘れちゃいたいような…。羽目を外したい気分なんだよね」
「そんなこといっても、うちは未成年にはお酒は出しませんよ。はい、これ。ホットチョコレートです。甘くておいしいですよ」
「俺、お酒がのみたいのにな」
「駄目です」

差し出されたマグを受け取り口をつけると、チョコレートの甘さが口の中に広がった。
ホットチョコレートなんて子ども扱いされてる…と不貞腐れていた菜月であったが、口に広がる優しい甘さに口が緩む。


「あまい…。けど、美味しいですね」
「ですよね?来月はバレンタインですから。これをメインにしていこうかな〜って思っているんですよ。バレンタインが終わればもう、春は目の前ですからね。春は春で桜をモチーフにしたカクテルでも出そうかな…って」

そう呟くマスターの顔はキラキラしている。
こうしてメニューを考えるのが好きなのだろう。
はたして、自分にもこんなに誇りをもって好きと言えるものがあっただろうか?
マスターのように胸を張って人に話せるものなどあっただろうか?
キラキラと語るマスターを見ていると、羨ましく思うと同時に、自分に対して卑屈になってしまう。
自分はここまで、好きなものはない。
こんなに夢中になれるものもない、と。



  
百万回の愛してるを君に